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「とき」

【第6回】「とき」


「とき」の愛称名は、かつて新潟県佐渡島に棲息していた国際保護鳥のトキ(朱鷺)が由来で、昭和37(1962)年6月10日から上野〜新潟間で運転を開始した上越線初の特急に付けられた。残念ながらトキそのものは国産種が絶滅してしまったが、列車の「とき」は在来線特急としての使命を終えた後も、上越新幹線にその名を残している。

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151系をベースに抑速ブレーキと耐寒耐雪装備を施した161系を投入

デアゴスティーニ編集部

漢字の「朱鷺」が併記されたヘッドマークを掲げた「とき」。

高崎と宮内を結ぶ上越線は、いわゆる「上越国境」と呼ばれる水上〜越後湯沢間にループ線や長大な清水トンネルを控える山岳線区で、その険しさゆえに、昭和6(1931)年9月1日の全通当初から水上〜石打間が電化されていた。一方、上越線を含む上野〜新潟間を見てみると、昭和22(1947)年4月1日に上越線高崎〜水上間が、同年10月1日に上越線石打〜宮内間と信越本線宮内〜長岡間が、昭和27(1952)年4月1日に大宮〜高崎間の高崎線全線が電化された。残る信越本線長岡〜新潟間は昭和37(1962)年5月20日に電化され、ここに晴れて首都圏と日本海側を結ぶ上野〜新潟間の動脈が全線電化された。
国鉄ではこれを機に、この区間に電車特急の運転を計画し、東海道本線で活躍していた特急型電車151系をベースに、上越線の特殊性を考慮して抑速ブレーキと耐寒耐雪設備を施した161系を投入、昭和37(1962)年6月10日から特急「とき」として運転を開始した。
当初の「とき」は、2M/新潟8時30分→上野13時10分、1M/上野16時50分→新潟21時30分と、新潟から東京への日帰りビジネスを意識したダイヤで運転された。「とき」が登場する前は、客車急行の「佐渡」が上野〜新潟間を最速5時間45分で結んでいただけに、1時間以上の時間短縮は当時としては画期的だった。

181系化以後は中央東線の「あずさ」と共通運用となる

デアゴスティーニ編集部

上越国境を行く181系「とき」。その名は新幹線に引き継がれた。

昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線の開業により、「つばめ」「はと」「こだま」などに使用されていた151系120両が山陽路へ転じていったが、山陽本線八本松〜瀬野間に急勾配区間を控えるという事情から、出力増強を含む151系の改造が企図された。これは田町電車区の151・161系も対象となり、両系列の出力・機能を統一した181系への改造工事が昭和39年度から始まった。161系は配置両数が少なかったことから、151系の改造工事が優先的に進められ、その工事が完了した昭和40(1965)年3月25日、「とき」は1往復が増発された。
さらに翌年には、10月1日から信越本線に「あさま」が、12月12日から中央本線に「あずさ」が誕生することから、181系の新製車として100番代が登場、両列車に投入されるとともに、「とき」は「あずさ」と共通運用となり、面目を一新した。
また、昭和42(1967)年10月1日改正では、新清水トンネルの開通と上越線複線化により、全線で15分のスピードアップを果たし、1往復が東京まで乗り入れるようになった。

13往復の大台に乗った48.10改正で1時間ヘッドに

デアゴスティーニ編集部

47.3改正からは等間隔運転が開始されるようになり、48.10改正ではほぼ1時間ヘッドによる運転が確立した。また、47.10改正以後は、スキーシーズンに越後湯沢の季節停車も見られるようになった。

昭和43(1968)年10月1日改正で季節列車を含む5往復となった「とき」は、さらにスピードアップされ、120km/h運転開始により、最速列車の所要時間は上野〜新潟間で4時間となった。昭和40年代後半に入ると、山陽本線の電車特急が485系化されるなどして、181系が玉突きのように「とき」に流れ込み、昭和47(1972)年10月2日改正では10往復を数えるようになり、「数自慢、きっかり発車」の「エル特急」の仲間入りを果たした。
次の昭和48(1973)年10月1日改正では、3往復増の13往復となった「とき」だったが、東京駅付近の東北新幹線工事が本格化し、東京〜上野間の連絡線が閉鎖されたことから、昭和41(1966)年12月10日以来続いていた中央東線「あずさ」との共通運用が解消した。またこれに先立つ4月1日には、約6年間続いた東京発着にもピリオドが打たれ、「とき」は再び全列車が上野発着に戻っている。この改正で13往復もの大所帯に膨れ上がったことで、「とき」は下り上野発6〜19時台、上り新潟発6〜18時台でほぼ1時間ヘッドが確立し、上野発は毎時38分発(「12号」を除く)、新潟発は毎時50分発というわかりやすいダイヤとなった。

過酷な豪雪地帯に耐えられる新型車183系1000番代が登場

デアゴスティーニ編集部

雪まみれで豪雪地帯を行く183系1000番代「とき」。老朽化した181系が苦しんだ厳しい気象条件を克服していった183系1000番代だが、新幹線開業後は暖かな房総などへも転じた。

そんな順風満帆な「とき」だったが、昭和50(1975)年を前にして、初期車が15年以上もの車齢となる181系は、上越線の過酷な自然条件の前にもろさをさらけ出すことになる。
新潟運転所の181系は151系や161系からの改造車が約75%を占めており、老朽化が顕著になってきた。乗り心地面でも、ウィークポイントが目立ち始め、特に120km/hでの高速走行時には、揺れの激しさにより乗客からの不評が高まっていた。
昭和49(1974)年、1月から3月にかけて東北・上信越地方を中心に襲った豪雪は、181系に相次ぐトラブルを引き起こし、「とき」の一部に長期運休が発生、485・489系による代走などで急場を凌いだ。国鉄ではこのようなトラブルを回避するために、豪雪期でも定時運転を保つことができる雪に強い新製車を「とき」に投入することとし、すでに房総各線へ投入されていた183系をベースに、最新の耐寒・耐雪設備を施した1000番代を投入、同年の暮れも押し迫った12月28日から、「とき」13往復中3往復を181系から置き換えた。翌年10月1日改正ではさらに4往復が置き換えられ、181系は183系1000番代に合わせて12両編成に統一された。
昭和50年以降、183系1000番代は急速に「とき」から181系を駆逐し、昭和53(1978)年10月2日改正で「とき」は14往復という最大運転本数になったものの、181系で残る列車はわずか3往復という状態になった。さらにこの改正を前にした7月18〜20日に181系編成のみに連結されていたサシ181が抜かれ、「とき」から食堂車が消滅してしまった。

上越新幹線で一度「絶滅」 今度は主役として甦った「とき」

デアゴスティーニ編集部

「あさま」「あさひ」の誤乗防止のため上越新幹線に「とき」の愛称が復活した。上越線専用のE1系使用の列車は「MAXとき」として運転された。

昭和57(1982)年11月15日、待望の上越新幹線大宮〜新潟間が開業した。これにより並行在来線の昼行特急が大幅に削減され、上野〜新潟間の「とき」は全列車廃止、その名を上越新幹線に譲ることになった。また「とき」と歴史をともにした181系も形式消滅することになり、他系列へ改造・編入された車両のみにその名残を見るだけとなった。「とき」の廃止と同時に、並行していた「いなほ」は新潟〜青森間に短縮され、「はくたか」は新潟〜金沢間の「北越」となり消滅、代わって上野〜青森間に「鳥海」が誕生し、昼行で上野〜新潟間を直通する唯一の在来線特急となった。
さて新幹線へステージを移した「とき」は、速達タイプの「あさひ」を補完する各駅停車タイプの列車として1日10往復が設定され、大宮〜新潟間を最速2時間10分で結んだ。新幹線「とき」は当初、200系12両編成で運転されていたが、JR移行後に「あさひ」への旅客転移が進み、その存在感が薄くなったことから、昭和63(1988)年3月13日改正で8両編成に減車、平成7(1995)年12月1日改正では新潟直通列車がわずか8往復にまで追い込まれ、東京〜越後湯沢間の区間運転がメインとなった。
この時点で、新潟県に由来を持つ「とき」は有名無実のような存在となり、長野新幹線高崎〜長野間が開業した平成9(1997)年10月1日改正では、上越新幹線の東京〜新潟間列車が「あさひ」、区間運転列車が「たにがわ」の2本建てとなり、「とき」の名は消滅してしまった。ところが、平成14(2002)年12月1日改正では、上越新幹線開業20周年を記念して、「あさひ」が「とき」に改称されることになり、「とき」は上越新幹線で初めて主役の座に躍り出た。当時、トキの方は絶滅が危ぶまれていたが、列車の方は奇跡の復活を遂げたわけだ。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/06/11


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