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「しらゆき」

【第61回】 「しらゆき」


43.10改正以後の日本海縦貫線における長距離優等列車は、特急「白鳥」(現・廃止)や「日本海」、急行「きたぐに」がラインアップを飾ったが、脇役的存在としては金沢〜青森間を結ぶ気動車急行「しらゆき」が存在していた。気動車急行としては北海道の根室→函館間「ニセコ3号」(55.10改正で廃止)の816.6kmに次ぐ772.4kmの走行距離を誇り、気動車の特性を生かして北陸本線内は急行「白馬」、奥羽本線内は急行「あけぼの」(のちの「きたかみ」)を併結、糸魚川〜秋田間は単独で運転されていたが、57.11改正を機に福井〜青森間の特急「白鳥1・4号」に格上げされ、発展的解消を遂げた。

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下りは秋田止まりで上りは青森始発 変則的取扱いで運転開始

デアゴスティーニ編集部

石川、富山、新潟、山形、秋田、青森の6県を股にかけ、長駆700km超の運転距離を誇った「しらゆき」は、まさに長距離気動車急行のキングだった。

「しらゆき」は、北陸本線が金沢まで電化され、電車急行が本格的に運転を開始した昭和38(1963)年4月20日改正でひっそりと誕生した。当時、運転されていた特急「白鳥」や急行「日本海」(のちの「きたぐに」)のような北海道連絡の使命はなく、北陸地方対新潟、庄内地方対秋田といった地域間輸送の色彩の濃いダイヤが組まれていた。その運転開始当初のダイヤは、503D/金沢6時45分→秋田17時05分、702D〜504D/青森6時25分→秋田9時44分・9時58分→金沢20時55分だったが、下り503Dの場合、秋田で1時間37分停車したのち、北上線経由でやってきた急行「あけぼの」に一部車両が増結車として併結され青森まで足を伸ばしていた(青森21時56分着)。実質的には金沢→青森間の列車だったわけだが、当時の国鉄監修時刻表では、503Dはあくまで秋田行き「しらゆき」として取り扱われており、上り504Dの場合は「あけぼの/しらゆき」と列車名併記で青森→金沢間の運転とされていた。下りの場合、秋田で長時間停車していたことから、案内上は列車を別建てとする措置が取られていたようだが、東北には時刻表上は別列車でありながら、実際は1本の列車となっていた例が客車普通列車に数多く存在していた。
そんな「しらゆき」も昭和40(1965)年10月1日改正では下り列車のダイヤが2時間以上繰り下げられ、503D/金沢9時00分→秋田19時05分・19時19分→青森22時29分、504D/青森6時30分→秋田9時42分・9時50分→金沢20時05分となり、上下とも金沢〜青森間の運転として取り扱われるようになった。

日本海縦貫線全線電化するも「架線下DC」のまま走り続ける

デアゴスティーニ編集部

羽越本線吹浦〜女鹿信号場間を行く「しらゆき」。長距離を誇る「しらゆき」だが、単独運転の羽越本線内でも地道に区間客を拾った。

昭和43(1968)年10月1日改正では、日本海縦貫線の優等列車に大きな変化があり、永年、大阪〜青森間を結んでいた急行「日本海」が同区間に新設された寝台特急へとその名を召しあげられ、急行は「きたぐに」と命名された。一方、「しらゆき」のほうは基本的な輸送形態に変化はなく、地道に日本海縦貫線のローカル輸送に徹していたが、秋田〜青森間で併結していた「あけぼの」が、この改正から「きたかみ」に改称されている。
また、昭和47(1972)年3月15日改正では、金沢〜糸魚川間で大糸線経由の松本行き急行「白馬」の併結を開始している。この「白馬」は、前年7月20日から臨時列車として設定され、北陸と信州を結ぶ需要を見込める列車として、この改正から定期格上げされた。
日本海縦貫線は昭和47(1972)年10月2日改正を機に全線電化を達成するが、「しらゆき」は気動車のまま残され、日本一長い距離を走る「架線下DC」という異名を取った。中央西線を経由する名古屋〜新潟間の急行「赤倉」も似たような境遇ではあったが、「しらゆき」は東北本線全線に相当する長距離を走るだけに、ほかの「架線下DC」を完全に圧していたといえる。

57.11改正で特急「白鳥」に格上げ60.3改正で「北越」に編入され消滅

デアゴスティーニ編集部

「しらゆき」は38.4の運転開始から57.11の廃止まで、一貫してキハ58型気動車グループが使用された。

昭和50年代に入ると、北陸本線で特急「雷鳥」の大攻勢が始まり、特急時代が本格的に到来したが、「しらゆき」はその間隙を縫うようにエンジン音を高らかに走り続けた。しかし、上越新幹線が開業した昭和57(1982)年11月15日改正では、永年、大阪〜青森間で運転されていた急行「きたぐに」が大阪〜新潟間に短縮されるなど、北陸本線の優等列車が再編された。このような流れの中、「しらゆき」は電車化されることになったが、北陸本線ではすでに急行型電車による優等列車時代が終わりを告げていたことから、電車化即特急格上げとなり、福井〜青森間の特急「白鳥1・4号」として発展的解消を遂げた。この列車の登場で「白鳥」は初めて複数列車となったものの利用率は芳しくなく、昭和60(1985)年3月14日改正では新潟以西が「北越」に編入され姿を消している。
なお、「しらゆき」の名はJR移行後に奥羽本線の701系快速に付けられたことがある。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/02/01


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