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「そよかぜ」

【第63回】 「そよかぜ」


軽井沢は、避暑地として首都圏と交流が深い。このため、昭和30年代後半から東京対軽井沢の準急列車が設定されはじめた。昭和40年代に入ると、信越特急「あさま」の運転の開始などで旅客の特急転移が進んだことから、軽井沢を指向した新たな特急「そよかぜ」が誕生するに至った。以来「そよかぜ」は、リゾート特急の代表格として長野新幹線開業まで運転され続けた。

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一部バス代行で運転された初の軽井沢優等列車「軽井沢」

489系で運転された昭和60(1985)年頃の「そよかぜ」。さまざまな特急型車両を投入して運転されたのも「そよかぜ」の魅力といえる。

昭和30年代までの信越本線の優等列車は、長野以遠へ運転される列車のみで、軽井沢までの近距離客も、長野や北陸方面への遠距離客も同じ列車を利用していた。このため、慢性的に混雑が続いていたが、信越本線高崎〜横川間が電化された昭和37(1962)年7月15日には、上野〜横川間で80系電車による準急「軽井沢」が運転を開始し、初めて首都圏から対軽井沢を意識した列車が登場した。列車名が「軽井沢」であるのに行先が横川とは不可思議だが、これにはわけがあった。碓氷峠を控える横川〜軽井沢間(現在は廃止)は明治時代にすでに電化されていたものの、電圧600Vのアプト式区間であったことから、当時はこの区間を通過するすべての列車がED42による補機を必要とした。しかし、80系電車とED42はシステムが異なるため連結できない事情があったことから、やむなく横川〜軽井沢間はバス代行となり、準急「軽井沢」の行き先サボには「横川…バス…軽井沢」の文字が入っていた。優等列車の末端区間がバス代行になるのは、災害時などを除いては当時としては前代未聞のことだった。
このアプト式区間は横川〜軽井沢間の新線が開業した昭和38(1963)年7月15日に解消され、一部列車が新線経由によるEF63補機の粘着運転に切り換えられた。80系「軽井沢」もバス代行運転が解消され、軽井沢に留まらず一気に長野まで直通するようになり、2往復中1往復は上野〜横川間が12両編成、横川以遠は碓氷峠越えの8両制限があることから基本6両と付属6両に分割されて別々に運転されるという変則運転だった。この「軽井沢」は、同年10月1日改正で上野〜長野間のスジを急行「信州」に譲って、自らは上野〜中軽井沢間の運転となり、1往復は165系、もう1往復は80系の2本建て運用となった。
昭和41(1966)年10月1日、信越本線に待望の特急「あさま」が181系により誕生した。この「あさま」は上野〜長野間の運転だったが、快適な冷房付き車両は避暑地へ向かう夏場の行楽客にも人気を博し、活況を呈していたという。
この当時、準急「軽井沢」も依然として運転はされていたが、上野〜長野間の優等列車を優先的に増発した関係でわずか1往復の運転となっており、昭和43(1968)年10月1日改正では不定期列車に格下げとなってしまう。一方で、夏場に人気の高くなる信越特急では、軽井沢への利用客と、それ以遠の利用客を分散させるために、この年の7月20日から東京〜中軽井沢間で特急「そよかぜ」が臨時運転されるようになった。

東海道本線の「ひびき」以来の157系特急となった「そよかぜ」

昭和61(1986)年11月1日改正までは、長野に489系200番代が配置され、489系ボンネット車の「そよかぜ」を置き換えた。結局、この編成が「そよかぜ」の最後の姿となった。

初期の「そよかぜ」に投入された車両は田町電車区の157系7両編成だった。157系の特急運用は昭和39(1964)年10月1日改正で廃止された東京〜大阪間の「ひびき」以来で、上野口の157系は上野〜日光間の急行「日光」でも姿を見ることができたが、こちらは1等車抜きの6両編成であったのに対して「そよかぜ」は1等車2両を含む7両編成と有名避暑地へ乗客を運ぶにふさわしい内容だった。
昭和44(1969)年夏シーズンになると、157系が伊豆特急の「あまぎ」に転用されたため、「そよかぜ」は「あさま」と共通の181系で運転されるようになった。このときは依然として臨時列車だったが、同年10月1日改正では季節列車に格上げされ、昭和45(1970)年の夏シーズンは、7021M/東京7時20分→中軽井沢9時33分、7023M/東京13時30分→中軽井沢15時43分、8022M/中軽井沢7時50分→東京10時05分、7024M/中軽井沢10時31分→東京12時45分、7026M/中軽井沢18時06分→東京20時20分というダイヤで運転された。
これによって、首都圏と軽井沢の間を結ぶリゾート列車は、先輩格の急行「軽井沢」とともにほぼ出揃ったことになった。一時は、「軽井沢」の派生列車というべき存在で、全車両がスロ62で組成されたグリーン車の臨時急行「軽井沢グリーン号」が運転されたこともあった。
昭和48(1973)年10月1日改正では、東北新幹線工事の影響で、東京以北の特急が東京発から上野発に変更となり、「そよかぜ」も足並みを揃えて上野発となっている。

189・183系→489系と変転長野新幹線開業でその名が消える

レギュラーの「そよかぜ」とは別に、臨時「そよかぜ」に運用された185系200番代。グリーンのストライプと絵入りヘッドマークがよくマッチしていた。

運転開始以来、「そよかぜ」は一貫して中軽井沢発着で運転されてきたが、昭和50(1975)年3月10日改正では、午後発の7023Mと7024Mが上野〜上田間の設定となり、同年4月19日からは、中軽井沢以遠の延長運転が始まった。
さらに7月1日には受持ち区だった長野運転所に新鋭の189系72両が配置され181系が引退、「あさま」とともに「そよかぜ」も189系化された。運用の都合によっては幕張電車区の183系7両編成が充当されることもあり、昭和50年代の「そよかぜ」は189系と183系の2本建てで活躍、昭和57(1982)年以後は185系200番代が臨時「そよかぜ」に充当される場面もあった。
ちなみに、昭和53(1978)年10月2日、昼行在来線特急の全列車に普通車自由席が出揃ったが、「そよかぜ」だけはリゾート列車という特殊性が考慮されて、全車指定席が貫かれた。この措置は昭和57(1982)年11月15日まで続けられた。
昭和60(1985)年3月14日改正を迎えると、一度「あさま」から退いていた金沢運転所の489系運用が復活し、共通運用の「そよかぜ」は489系に置き換えられた。また、この改正では上野口の昼行電車急行がすべて廃止され、季節急行「軽井沢」が廃止。「そよかぜ」はこれを吸収し3往復となった。国鉄末期からは「そよかぜ」の仲間として臨時ながら14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」(現在は消滅)を使用した「サロンエクスプレスそよかぜ」が運転されることもあり、EF58 61が牽引する優美な姿が話題となった。
JR化後の昭和63(1988)年3月13日改正では、1往復が「あさま」に吸収され2往復に戻るが、依然として489系による運転が続けられた。そして、平成6(1994)年12月3日改正ではついに臨時列車に格下げとなり、季節列車としての役目を終えた。その臨時列車も、長野新幹線が開業した平成9(1997)年10月1日改正では「あさま」とともに消滅。以後、軽井沢リゾートの主役は新幹線が取って代わり、現在に至っている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/04/01


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