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「東海」

【第66回】 「東海」


東京〜名古屋間は東海道本線の中でも「太平洋ベルト地帯」の中核をなす黄金区間だが、この区間にビジネス向けの便利な時間帯に設定されていた列車が「東海」だった。東海道新幹線が開業するまでは7往復の陣容となり全盛を誇ったが、39.10改正以降は衰退の道を歩み始め、新幹線を補完するローカル輸送に徹する傾向が強くなった。JR移行後も東海道本線に唯一残る電車急行として気を吐いた。

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名古屋〜東京間の客車準急でスタート32.10改正から電車化の道を歩む

91系の称号で33.11にデビューした153系は、準急「東海」に真っ先に投入され、「東海」増発の立役者となった。57.11改正では165系に置き替えられて「東海」から撤退したが、その東海道本線で果たした役割は大きい。

東海道本線の優等列車は、昭和20年代まで昼・夜行ともに東京〜大阪間や東京〜九州間の増発が主で、東京〜名古屋間のような300km台の中距離利用は、これらの長距離列車に負うところが大きかった。昭和29(1954)年10月1日改正における東海道本線の下り東京発のラインアップを見ると、「つばめ」「はと」といった特急や九州方面の長距離急行が13時までに発車した後は、19時30分に急行「明星」が発車するまで優等列車は週末を除いて1本もなく、午後の時間帯に首都圏から中京圏へ行くには実質的に普通列車に頼るしかなかった。東海道新幹線の計画もまだ具体化していなかったこの当時、名古屋から上京して1泊し、翌日ひと仕事終えて夕方の時間帯に乗車できる便利なビジネス列車は皆無だったわけだ。
このため、東海道本線の電化が米原まで延伸した昭和30(1955)年7月20日には、中京圏をターゲットにした準急列車が名古屋〜東京間に初めて設定されることになった。当時の国鉄監修時刻表には列車名の表記はなかったが、これこそのちに「東海」と命名される前身の列車で、その名は文字通り、通過する静岡、愛知両県が「東海地方」といわれることによるものだった。
「東海」は電車列車の時代が圧倒的に長いが、当初は客車で運転され、306列車/名古屋8時30分→東京15時20分、305列車/東京15時05分→名古屋21時45分のダイヤで運転された。
この「東海」は昭和32(1957)年10月1日改正で早くも電車化される。この当時、大垣電車区には真新しい80系の全金属車である300番代が84両配置され、客車「東海」を置き換えるとともに、2往復を増発し3往復の陣容となった。その当時のダイヤは305T/東京7時50分→大垣14時15分(1号)、307T/東京15時05分→大垣21時38分(2号)、309T/東京16時35分→名古屋22時25分(3号)、310T/名古屋6時50分→東京12時35分(1号)、308T/名古屋8時30分→東京14時20分(2号)、306T/大垣16時07分→東京22時35分(3号)で、上り1本、下り2本の運転区間は80系の入出庫の関係から大垣まで延長された。また、運用の関係から下りは東京23時25分→名古屋6時16分の343T、上りは大垣21時05分→東京5時15分の344Tという1往復の夜行普通列車にも「東海」と同じ80系が充当された。

153系電車の大量増備で昭和30年代後半は全盛を迎える

準急~特急時代の電車「東海」の歴史は38年あまりにおよぶが、全車が185系で運転されていた時代は、そのうちの13年とあまりに短い。

昭和33(1958)年に入ると、「東海」はさらに近代化されるようになり、当時新鋭の91系(のちの153系)電車が投入されることになった。91系は準急以上の優等列車を念頭に置いた前面貫通型の本格的な電車で、153系と改称されてからは、東京〜大阪間の電車急行「なにわ」「せっつ」などにも進出するようになる。登場当初は「東海」を受け持つ大垣電車区には55両が配置され、同年11月から昭和34(1959)年4月にかけて順次、「東海」の80系を置き換えた。なお、この年の10月1日に実施されたダイヤ改正では「東海」の間合いで運転されていた夜行普通列車343T、344Tが準急に格上げされ、「東海」に夜行列車が登場している。ダイヤは、311T/東京23時15分→名古屋6時15分、312T/名古屋22時15分→東京5時15分だった。
昭和34(1959)年9月22日改正では、91系改め153系が98両増備されたことから、東京〜名古屋間には全車指定席の準急「新東海」、東京〜浜松間には準急「はまな」といった僚友が新設され、東海道における電車準急黄金時代の足がかりをつくった。さらに昭和35(1960)年6月1日改正では、沼津〜名古屋間に準急「するが」、東京〜大垣間に不定期準急「長良」も登場している。
昭和36(1961)年10月1日改正では、東京〜名古屋間にも電車特急が新設され「おおとり」と命名される一方、153系が271両新製されたのを機に、「東海」は夜行を含めて7往復の陣容となった(1往復は37.3から運転)。この改正では僚友の「するが」「はまな」と「長良」を改称した「ながら」は存置されたが、「新東海」は全車指定の使命を「おおとり」に譲った関係で、「東海」に吸収されている。

43.4から「ごてんば」と併結に43.10では「大垣夜行」も傘下に

急行「東海」は96.3改正で特急に格上げされ、同年の7月には「(ワイドビュー)東海」の列車名となった。

昭和30年代後半にこのような隆盛を誇った東海道の電車準急群も、東海道新幹線が開業した昭和39(1964)年10月1日改正では「東海」1往復が削減、さらに昭和40(1965)年10月1日改正では「東海」の昼夜1往復ずつが廃止され4往復に後退、僚友の「するが」(41.3に「中伊豆」に改称)は1往復が残ったものの、「はまな」、「ながら」は廃止された。なお、昭和41(1966)年3月5日には、100km以上の距離を走る準急がすべて急行に格上げされることになり、「東海」と「するが」は晴れて急行に昇格している。
昭和43(1968)年10月1日改正では、「東海」と並行する東海道新幹線がさらに増発され、「東海」は4往復中2往復が東京〜静岡間に短縮された。また、この改正では、東京〜大阪間の客車夜行列車としては最後まで残っていた143・143列車が、廃止の方向へ向かいながらも強い存続要望から、東京〜美濃赤坂間で残ることになり、153系「東海」の間合いで運転されることになった。この列車は昭和44(1969)年10月1日改正で東京〜大垣間の運転に改められ、のちに「大垣夜行」と呼ばれ「青春18きっぷ」族から親しまれた。現在は「ムーンライトながら」としてその使命が受け継がれている。
なお、43.10改正に先がけて4月27日からは御殿場線の電化開業により、東京〜御殿場間に急行「ごてんば」の運転が開始され、東京〜国府津間で「東海」に併結された。この併結は「ごてんば」が廃止される昭和60(1985)年3月14日改正まで続けられた。
山陽新幹線が開業した昭和47(1972)年3月15日改正では、153系の運用範囲が西進するとともに、中京圏におけるローカル運用が大幅に増えた結果、「東海」の活躍範囲はさらに狭められ、4往復とも東京〜静岡間の運転となり、ついに名古屋へ顔を見せなくなった。ただし、153系自体は依然として大垣電車区の受持ちで、運用は「大垣夜行」と共通のため普通列車としては名古屋以遠へも顔を見せていた。
昭和55(1980)年10月1日改正で、2往復に後退した「東海」は、昭和57(1982)年11月15日改正では、中央西線の電車急行削減により165系が神領電車区から大垣電車区へ大量移動したことに伴い、全車165系に置き換えられることになった。これにより、永年「東海」を支えてきた153系は第一線を退くことになり、昭和59(1984)年には形式消滅している。
JR移行後の「東海」は、東海道本線に唯一残る昼行急行として孤軍奮闘したが、平成元(1989)年3月11日改正では、大垣電車区の165系が神領電車区と静岡運転所へ転属することになり、「東海」は電車化以来の基地だった大垣を離れ、静岡へ移管された。
この時期、165系電車も登場当初から30年近くが経過し、老朽化が目立ってきた。急行「東海」の寿命は、165系の寿命と表裏一体ともいえ、平成7(1995)年10月1日には同じ165系を使用していた身延線の「富士川」が新鋭の373系に置き換えられ、特急「ふじかわ」に改称された。こうなると「東海」の特急格上げも時間の問題となり、翌年3月16日改正では、間合い運用の「大垣夜行」とともに373系に置き換えられ、特急として第2の人生を歩み始めたが、2007年3月18日を最後に廃止された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/07/01


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