模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

「利尻」

【第67回】 「利尻」


日本最北の鉄路・宗谷本線を飾る昼の顔が「宗谷」なら、夜の顔が「利尻」だった。急行時代の最盛期は、A・B寝台車、グリーン車、普通車(指定席・自由席)の「幕の内」編成で運転され、夏場は最北の地を目指す旅行者で賑わった。気動車時代には珍しく寝台車を連結しており、日本最北の駅・稚内を目指す夜行列車の雰囲気を残していた。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


併結に甘んじた前身の普通列車33.10で「利尻」と命名され準急に

「利尻」の電化区間となる札幌〜旭川間はED76 500が牽引した。

旭川と稚内を結ぶ宗谷本線は戦前、樺太連絡の重要路と位置づけられており、函館〜稚内港(現・稚内)間には特別室付きの2等寝台車を連結した急行1・2列車が運転されていた。この列車は青函航路を介して本州の幹線列車と連絡しており、国鉄の基幹列車として機能していたが、3・4列車と改められたあとの昭和20(1945)年3月20日に空襲激化のため、やむなく廃止されてしまった。
戦後になると昭和20(1945)年11月20日改正で函館〜稚内間に普通13・14列車が登場したが、戦前のような優等列車の復活はまだまだ先のことで、昭和25(1950)年10月1日改正では、函館〜網走間に設定された準急505・506列車にわずか3両の客車が旭川まで併結され、宗谷本線内は快速で運転されるという有様だった。
そんな「宗谷線夜行」がようやく独立した地位を築いたのは昭和31(1956)年11月19日改正でのことだった。小樽〜稚内間に317・318〜412列車が設定され、317列車/小樽18時58分→稚内6時52分、318〜412列車/稚内19時30分→小樽7時15分のダイヤで運転された(上りの滝川→小樽間は釧路発の412列車に併結)。改正前と異なり全区間が普通列車となったが、宗谷本線内は快速運転を行なっており、2等寝台・座席合造車のマロネロ38を連結していたから、実質的には亜幹線の優等列車に匹敵する列車だった。
この列車が準急に格上げされたのは昭和33(1958)年10月1日改正でのことで、同時に道北の日本海に浮かぶ利尻島にちなんで「利尻」と命名された。その当時のダイヤは307列車/札幌21時05分→稚内6時16分、308列車/稚内21時00分→札幌6時00分で、以後の「利尻」はこのダイヤが基本となった。

43.10で「礼文」を吸収し2往復に45.10では再び夜行1往復に戻る

非電化の宗谷本線内はDD51が牽引したが、これは45.12から開始された。

準急格上げ以来、「利尻」は地道に宗谷本線の夜を走り続け、昭和41(1966)年3月5日に実施された運賃改訂により、運転距離が100kmを超える準急をすべて急行に格上げすることになったことから、急行に昇格した。そして迎えた昭和43(1968)年10月1日改正では、これまで夜行単独で運転していた「利尻」に昼行1往復が加わった。これは、36.10改正以来、旭川〜稚内間を結んでいた急行「礼文」を列車名整理により「利尻」に編入したもので、旧「礼文」は「利尻1・1号」、従来の夜行「利尻」は「利尻2・2号」とされた。「利尻1・1号」のダイヤは、313D/旭川6時10分→稚内10時41分、314D/稚内18時06分→旭川22時56分だったが、この両列車は札幌発着と旭川発着、優等車連結の夜行と全車自由席のローカル急行と、いずれをとっても性格がかなり異なり、沿線からも改称の要請があったことから、「利尻1・1号」は昭和45(1970)年10月1日改正で「礼文」に戻され、「利尻」は再び夜行1往復となった。

57.11で14系置換えが始まる91.3では気動車化され体質改善

客車によるスピードダウンのネックを解消すべく、63.11改正から「宗谷」「天北」に投入されたキハ400・480は、91.3改正で「利尻」にも投入され、9年間活躍した

昭和50年代に入り、北海道内の各幹線では特急化が推進されたものの、宗谷本線だけは輸送密度の低さから急行がまだまだ主役の座にいた。このため「利尻」もさほど大きな変化がなく推移したが、昭和57(1982)年11月15日改正では、本州で余剰となった14系客車が北海道の急行に充当されるようになり、「まりも」「大雪」とともに座席車が14系に置き換えられた(寝台車の14系化は翌年4月25日)。これらの14系は昭和60(1985)年3月14日改正でさらに昼行の「宗谷」「天北」にも充当され、「利尻」と共通で運用されたが、「天北」に至っては天北線(現・廃止)の線路規格の低さから、名寄以北はDE10の牽引となり、気動車時代より10〜20分のスピードダウンを余儀なくされた。
そこでJR移行後の昭和63(1988)年11月3日改正では、キハ40・48を改造し機関出力を330psにアップ、183系気動車500番代と同様のアコモデーションを備えたキハ400・480が登場し、まず昼行の「宗谷」「天北」から充当した。「利尻」への充当は、寝台車のスハネフ14の気動車併結改造を待って平成3(1991)年3月16日改正で実施された。

宗谷本線優等列車の特急化推進により00.3改正で気動車特急に格上げ

夏場の増結車として、国鉄色のキハ56が連結されることもあった。

1990年代に入ると、札幌〜函館間には281系気動車を使用した「スーパー北斗」、札幌〜釧路間には283系気動車を使用した「スーパーおおぞら」が運転を開始し、並行する航空機や高速バスとの熾烈な競争が繰り広げられていた。稚内は都市の規模こそ小さいものの、利尻島や礼文島、宗谷岬、サロベツ原野など観光資源が豊富で、夏場はそれなりの集客を見込める路線でもあったことから、1990年代後半になると宗谷本線でも特急列車の運転を睨んだ高速化事業が展開されるようになり、平成9(1997)年10月22日には宗谷本線高速化工事が起工され、旭川〜名寄間が130km/h運転可能な線路規格に改良された。その結果、平成12(2000)年3月11日改正では、車体傾斜装置を備えた新系列の261系気動車がデビュー。特急「スーパー宗谷」2往復で運転を開始し、昼行急行「宗谷」「礼文」は廃止された。また、僚友の「サロベツ」は特急に格上げされることになり、「利尻」もこれに倣った。これにより、永年、宗谷線急行を支えたキハ400・480は定期運用から離脱し、以来、「利尻」は183系気動車により運転されるようになったが、気動車+寝台車のスタイルは気動車急行時代と変わらず、寝台車は急行時代のものが流用された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/08/01


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。