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「鳥海」

【第68回】 「鳥海」


かつて上野と秋田を結ぶ客車急行には「津軽」のほかに「鳥海」があった。当初は奥羽本線の夜行客車急行だったが、昭和30年代に入って昼行急行に、昭和40年代には上越線・羽越本線経由の気動車急行となり、一時は3往復が運転された。昭和50年代に入ると急行としての役目を終えて電車特急へ、平成に入り寝台特急へと姿を変え、その目まぐるしい歴史にピリオドを打った。

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奥羽本線の出世列車「津軽」の前身は「鳥海」だった

平成2(1990)年9月1日から運転を開始した寝台特急「鳥海」は、40年以上におよぶ「鳥海」の歴史の幕引き役だった。

戦後、奥羽本線に急行列車が登場したのは昭和22(1947)年6月29日改正のときだった。上野〜秋田間に夜行急行405・406列車が設定され、同区間を約15時間で結んだ。この列車は昭和23(1948)年7月1日改正で401・402列車となり、さらにスピードダウン。急行であるにも関わらず、戦後の混乱期を象徴するような鈍速ぶりで不評を買ったが、昭和24(1949)年9月15日改正では、この年の4月24日に福島〜米沢間が電化され、同区間での電気機関車牽引が始まったことなどにより、約3時間のスピードアップを果たした。さらに翌年10月1日改正では約50分程度スピードアップし、11月には特別2等車の連結を開始、12月20日には晴れて「鳥海」の愛称名が付けられ、奥羽本線の昭和20年代を飾る看板列車として君臨した。
しかし、昭和31(1956)年11月19日改正では、「鳥海」を秋田〜青森間延長する形で「津軽」と改称、「鳥海」の名はこの改正で新設された奥羽本線の昼行急行にコンバートされた。
昼行急行となった「鳥海」は、101〜403/上野9時00分→秋田20時35分、404〜102列車/秋田8時15分→上野20時25分のダイヤで運転を開始した。この時代、長距離亜幹線の主力はまだまだ夜行列車であり、昼行の「鳥海」はそれほど需要が見込まれなかったのか、東北本線内は急行「青葉」と併結で運転され、奥羽本線内はわずか6両のミニ編成で運転された。それでも奥羽本線秋田以南唯一の昼行急行であることに変わりはなく、現在の特急に相当する活躍を見せていた。
昭和36(1961)10月1日改正では、上野〜秋田間に80系気動車による特急「つばさ」が誕生した。この時点で「鳥海」のスジは「つばさ」に移され、「鳥海」は「つばさ」の補完役に回った。また、東北本線内の併結列車は「青葉」から新設の「みやぎの」に変わったが、昭和37(1962)年10月1日に「みやぎの」が451系電車化されたことにより、併結列車が「第1・2ばんだい」に変わった。この列車は上野〜喜多方間の運転のため、併結区間は上野〜郡山間となり、「鳥海」の単独運転区間は郡山〜秋田間に伸びた。
昭和30年代後半になってから、東北本線の昼行優等列車は電車化、気動車化が進み、もはや速度向上が望めない客車列車は時代遅れになりつつあった。「鳥海」は昭和30年代は一貫して客車の姿を貫いてきたが、ついにその波には勝てず、昭和40(1965)年10月1日改正で「たざわ」と名を変え、気動車化された。

ヨン・サン・トオ改正で3往復に成長 うち1往復は再び夜行に

上野駅で発車を待つ電車特急時代の「鳥海」。食堂車も組み込まれた編成で注目を集めたが、わずか2年半で廃止されてしまった。

この改正では奥羽本線から「鳥海」の名は姿を消したが、今度は上越線・羽越本線経由の気動車急行としてその名が登場する。この気動車急行はそもそも昭和37(1962)年3月10日から新潟〜秋田間で運転を開始した準急「羽越」で、運転区間を上野〜秋田間としたことにより「鳥海」に改称されたのだった。ダイヤは801D/上野10時20分→秋田20時31分、802D/秋田6時55分→上野17時25分だったが、車両増備の都合で11月30日までは新潟〜秋田間のみの運転に留まった。
未曽有の大改正となった昭和43(1968)年10月1日には、「鳥海」は3往復に躍進する。このうち「1・1号」は既設の気動車急行だが、残りの「2・3号」と「3・2号」は客車列車で、このうち「2・3号」は昭和29(1954)年10月1日から上野〜青森間を上越線・羽越本線経由で運転開始した不定期急行「津軽」の流れを汲む夜行列車で、この「津軽」が昭和31(1956)年11月19日改正で奥羽本線の「鳥海」改め「津軽」になった関係で「羽黒」と改称されていた。「3・2号」は「第2羽黒」を改称季節列車で、運転区間は上野〜酒田間だった。
昭和44(1969)年10月1日改正では、上野〜秋田間に上越線・羽越本線経由の気動車特急「いなほ」が運転を開始したことにともない、気動車の「1・1号」が上野〜新潟間季節格下げとなったほか、季節列車の「3・2号」が上野〜秋田間の運転に変更された。
しかし、「鳥海」の3往復体制は長くはつづかなかった。昭和47(1972)年10月2日改正で「1・1号」は、特急「いなほ」が485系電車化の上、増発されたことにより、上野〜新潟間が廃止され、残る新潟〜秋田間は「羽越2・1号」に改称。季節列車の「3・2号」は、並行する急行「天の川」の運転区間が上野〜秋田間に変更されたため、臨時列車に格下げされてしまった。この結果「鳥海」は客車夜行1往復のみとなり、昭和57(1982)年まで運転された。

短命だった昭和57年以降の電車特急・寝台特急時代

錦秋の奥羽本線白沢〜陣場間を行く最末期の「鳥海」。このスジは新在直通運転の影響でかつてのルートを追われた「あけぼの」に引き継がれ、運転が続けられた。

昭和57(1982)年11月15日、急行「鳥海」は寝台特急「出羽」に格上げされることになり、その名は上野〜青森間を上越線・羽越本線経由で走破する昼行特急に譲られた。特急「鳥海」の誕生だ。編成は485系12連という平凡なものだったが、この改正では上越新幹線大宮暫定開業により、上越線から昼行の特急「とき」「はくたか」が姿を消しており、この「鳥海」は上野と新潟県内を直通する唯一の在来線昼行特急として注目された。しかしそれも束の間、上越新幹線が東京まで開業した昭和60(1985)年3月14日改正であえなく廃止されてしまう。
だが、「鳥海」の灯は消えなかった。JR移行後の平成2(1990)年9月1日改正で、奥羽本線で運転されていた上野〜青森間の寝台特急「あけぼの」2往復が、山形新幹線の改軌工事にともない迂回運転されることになり、このうちの1往復が上越線・羽越本線経由の寝台特急となり、その愛称として「鳥海」の名がカムバックしたのだ。
だが、時代はすでに「鳥海」を必要としていなかった。相次ぐ上越新幹線の増発や山形新幹線の開業により、東京と庄内地方を結ぶ旅客は必然的に昼行へ流れていったほか、網の目のような路線網を誇る夜行高速バスの台頭、航空路線の充実・低価格化などにより、JRの寝台特急そのものの競争力が低下していた。そして平成9(1997)年3月22日、待望の秋田新幹線が開業したことが引き金となって、陸羽東線を迂回していた特急「あけぼの」が廃止され、「鳥海」はその名を「あけぼの」に変えた。
これにより、愛称名が付いた昭和25年以来、使用車種や経由、列車種別を転々としてきたバイプレーヤー「鳥海」の名は封印されてしまったのである。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/09/01


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