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「新雪」

【第69回】 「新雪」


上越線沿線はスキー場が多数あり、苗場やガーラ湯沢は首都圏から手軽に行けるスキー場として根強い人気がある。そんな上越線で、国鉄時代の昭和44(1969)年から毎年1〜3月に必ず運転されていたスキー列車があった。それが「新雪」だ。上越新幹線や「シュプール号」がまだ存在しなかった当時、この列車は首都圏からのスキー列車のエースとして重宝され、昭和62(1987)年まで19シーズンにわたって運転されていたが、その間はすべて季節・臨時列車として運転された。

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181系を使用する冬のレギュラー臨時列車として設定された「新雪」

雪の上越路を行く「新雪」。昭和48(1973)年からは181系、485系のほかに183系も加わり、同系は昭和50年代に「新雪」の主力として活躍した。

昭和30年代まで国鉄の特急は長距離輸送が主体であり、200km以下の中・近距離輸送は準急以下の列車が担っていた。しかし、経済の高度成長が進んだ昭和40年代は、これまでにないスタイルの旅行需要が高まり、大都市圏からの手軽な行楽の足としても特急が進出するようになる。その典型ともいえるのが、昭和43(1968)年7月20日から運転を開始した東京〜中軽井沢間の臨時特急「そよかぜ」だった。
この「そよかぜ」は、運転距離が200km未満であったものの利用率は好調で、これを機に国鉄では、季節ごとに首都圏からの行楽の足として便利な近距離特急を定期的に運転する構想を打ち出した。当初は、1〜3月が上越方面、4〜6月が房総方面、7〜9月が軽井沢方面、10〜11月が黒磯方面という計画が検討されたが、房総方面への運転のみ見送られ、上越方面は「新雪」、軽井沢方面は「そよかぜ」、黒磯方面は「くろいそ」というラインナップが組まれた。
中でも「新雪」は、毎年1〜3月に運転するスキー列車として東京〜石打間に設定され、昭和44(1969)年1月11日から運転を開始した。その当時のダイヤは、8001M/東京7時20分→石打9時58分、8002M/石打18時03分→東京20時51分で、列車番号からもわかる通り予定臨時列車として設定されていたことから、シーズン中は土曜・休日を中心に運転されていた。使用された車両は、「そよかぜ」と同様、田町電車区の181系8両編成だった。
東京〜石打間の営業距離は205.6kmとわずかに200kmを上回ることから特急料金は本来800円になるはずだったが、「新雪」では特例として、200km以内の600円で乗車することができた。

運転本数は昭和47・48年がピーク 一時は長岡まで運転されたことも

新前橋区の185系200番代が「新雪」に加わったのは昭和58(1983)年のことだった。

運転開始当初はわずか1往復のみだった「新雪」は、昭和45(1970)年の運転では上り3本、下り4本と大幅に増発された。車両は引き続き181系が充当されたが、前年7月1日に「とき」「あずさ」用の181系94両が新潟運転所(現・新潟車両センター)へ、「あさま」「そよかぜ」用の181系32両が長野運転区(現・長野総合車両センター)へ転属していた関係で、上り1本・下り2本が新潟車、上り2本・下り2本が長野車で運転された。また、この運転から東京側の発着駅が上野に変更された。
昭和46(1971)年の運転では、前年と同じ運転本数が確保され、上り1本・下り2本が浦佐発着となった。昭和47(1972)年の運転では上り6本・下り7本が設定され、上り1本・下り2本が小千谷発着となった。翌年もほぼ同じ本数が確保され、1往復が長岡発着となり「新雪」としては最遠距離の運転となった。
しかし、ピークは昭和47、48年の2年だけで、昭和49(1974)年の運転ではバスツアーに押された影響で、上り1本・下り2本に激減している。ちなみにこの当時、上越線は昭和38(1963)年のいわゆる「サンパチ豪雪」以来の豪雪に見舞われ、「とき」をはじめとする優等列車の運休が相次いでいた。
結局、昭和49(1974)年から昭和50年代前半にかけて、「新雪」は1シーズンに上下1〜3本ずつの運転という状態が続いた。

「新雪」廃止後は「シュプール号」が使命を担うも現在は上越線から撤退

青森所からは遠路はるばる485系200番代が応援に駆けつけることもあった。

さて、この「新雪」以外にも、上越線ではかつて多彩なスキー列車が運転されていた。昭和50(1975)年2月頃の時刻表を見てみると、「石打スキー号」「小出スキー号」「小千谷スキー号」「石打銀嶺号」「小出銀嶺号」「草津スキー号」といった臨時急行があり、「銀嶺号」は全車指定席、「スキー号」は全車自由席で区別されていた。いずれも夜行で運転されることが多く、特に日付をまたいだ上野発24時台は、信越本線系統のスキー列車を加えると5〜10分ごとに発車するという盛況ぶりだった。
また、昭和57(1982)年12月21日からは、西武鉄道グループの国土計画(現・コクド)が、中里スキー場へのアクセス列車として上野〜越後中里間に「スキートレイン中里号」の運転を開始している。西武観光を通じて乗客を募るというユニークな企画列車で、現在はスキー・スノーボード専用列車「スノートレイン中里号」として運転されている。
一方、「新雪」は上越新幹線開業後も上下各2〜3本は運転されていたが、昭和61(1986)年の運転では昭和50(1975)年以来の1往復のみとなり、JR移行直前の昭和62(1987)年3月15日が最後の運転となった。この時は幕張電車区の183系9両編成で幕を下ろしている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/10/01


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