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「はまかぜ」

【第74回】 「はまかぜ」


播但線は兵庫県南部と日本海側の北部を結ぶローカル線で、優等列車は35.10から気動車準急「たじま」(のちの「但馬」)が運転されていたが、47.3改正からは線内初の定期特急「はまかぜ」が運転を開始した。

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「はまかぜ」登場以前は唯一の定期優等列車だった「但馬」

47.3改正で播但線初の定期特急として誕生した「はまかぜ」は、57.7から現在の181系気動車に置き換えられているが、編成は最大でも8両と短く、現在はわずか4両の短編成で運転されている。

播但線は山陽鉄道時代の明治39(1906)年4月1日に全通したが、初めて優等列車が設定されたのは昭和35(1960)年10月1日改正でのことで、気動車準急「たじま」(36.10改正で漢字表記の「但馬」に改称)が運転を開始している。この列車は、改正前まで客車快速として運転されており、昭和31(1956)年11月19日改正の国鉄監修時刻表には、241〜621列車/大阪14時20分→城崎(現・城崎温泉)18時46分、616〜246列車/香住7時23分→大阪12時10分のダイヤが掲載されている。大阪〜姫路間は大阪〜宇野間241・246列車に併結されており、下り列車の場合、大阪〜城崎間192.6km(当時の営業キロ)の所要時間は4時間26分、表定速度約44km/hという鈍速だった。現在、この区間を特急「はまかぜ」は3時間弱で結んでいる。 準急「たじま」の36.10改正前のダイヤは、606D/鳥取6時10分→大阪10時56分、605D/大阪17時00分→鳥取21時57分で、下り列車の大阪〜城崎間は3時間35分と準急型気動車の威力をまざまざと発揮した。播但線ではこのほかに、土曜運転の客車準急として昭和33(1958)年10月1日改正から「ゆあみ」が運転されていたが(快速としてはその 5年前から運転)、この列車は昭和40(1965)年10月1日改正で「但馬」に吸収されており、以来「但馬」は「はまかぜ」登場以前の唯一の定期優等列車となった。 その「但馬」は、昭和37(1962)年3月に姫路発着の1往復を増発、昭和40(1965)年10月1日改正では「ゆあみ」からの編入分1往復とその間合いを利用した1往復を加えた4往復となり最盛期を迎え、昭和41(1966)年 3月5日には制度改正により急行に昇格した。以後、「はまかぜ」が運転を開始しても、不定期1往復を含む4往復態勢を維持したが、国鉄最後のダイヤ改正となる昭和61(1986)年11月1日改正では「はまかぜ」の増発により 2往復が削減され、平成元(1989)年3月11日改正では2往復とも姫路発着に改められた。姫路乗換えを余儀なくされた「但馬」は、利便性が低下したことから平成8(1996)年3月16日改正で廃止され、そのスジを「はまかぜ」へ譲った。

「はまかぜ」以前に運転されていた臨時特急「ゆあみ」と「はくぎん」

98.10〜12にかけて「はまかぜ」の181系気動車がアイボリーとグレーを基調にしたJR西日本色に塗り替えられた。

さて、播但線における定期特急の運転は山陽新幹線岡山開業を迎えた昭和47(1972)年3月15日改正で登場した「はまかぜ」に始まるが、臨時を含めると昭和46(1971)年10月9日〜11月23日の週末と12月28日〜昭和47(1972)年1月6日に設定された新大阪、大阪〜鳥取間の「ゆあみ」が最初だった。この名はかつて「但馬」に吸収された客車準急のもので、奇しくも特急としての復活となったが、昭和47(1972)年1月14日からスキー、スケート臨として運転を開始した列車には「はくぎん」の名が付けられたことから、復活「ゆあみ」は延べ2カ月弱の運転に終わった。 この「はくぎん」も47.3改正では「はまかぜ」に吸収され、「はまかぜ」は新大阪〜倉吉間と大阪〜鳥取間の2往復態勢でスタートした。この当時は大阪〜鳥取間の特急「まつかぜ2・1号」と共通の80系気動車により、次のダイヤで運転された。 ・「1・2号」=2021D/新大阪9時25分→倉吉14時17分、2022D/倉吉14時42分→新大阪19時40分 ・「2・1号」=2023D/大阪18時00分→鳥取22時17分、2024D/鳥取6時30分→大阪10時44分 播但線を走る初の定期特急となった「はまかぜ」だったが、播但線内はノンストップとなり、同線は単に兵庫県南北部をショートカットする役割を担っただけだった。昭和47(1972)年10月2日改正では「はまかぜ1・2号」に食堂車が連結されるようになったが、昭和50(1975)年3月10日改正では京都〜長崎、佐世保間の「かもめ」が廃止された関係で、その捻出車が小郡〜米子、鳥取間の
「おき」2往復と「はまかぜ1・2号」の共通運用となり、「はまかぜ1・2号」は米子まで延長された。これらの運用変更などにより、「はまかぜ」の食堂車連結は2年半で終わってしまった。昭和51(1976)年10月1日改正では、「おき」が181系気動車に置き換えられたことにより、「はまかぜ1・2号」が倉吉発着の単独運用に戻っている。

57.7で181系気動車に交替 智頭急行開業後は影の薄い存在に

昭和57(1982)年7月1日、伯備線と山陰本線伯耆大山〜知井宮(現・西出雲)間が電化開業したことにより、これまで181系気動車で運転されていた岡山〜出雲市間の「やくも」が381系電車に置き換えられた。これにより181系気動車の捻出車が「はまかぜ」に回ることになり、2往復とも同系に置き換えられた。また、昭和61(1986)年11月1日改正では、新大阪、大阪〜米子間を福知山線経由で運転していた「まつかぜ」が廃止され、その捻出車が「はまかぜ」に回って3往復となり、「まつかぜ」亡きあとの唯一の大阪発着陰陽連絡特急となった。 JR移行後もこの3往復状態が続いたが、播但線内の古い線路規格や旧型となった181系気動車では「はまかぜ」のスピードアップは望めなかった。平成6(1994)年12月3日には、山陽本線の上郡と因美線の智頭を結ぶ第三セクターの智頭急行が開業し、振り子式の新型気動車HOT7000系による「スーパーはくと」が運転を開始したが、この列車は新大阪〜鳥取間を2時間34〜49分で結ぶようになったことから、同区間を約4時間で結んでいた「はまかぜ」は大きく水を空けられる結果となった。しかし廃止には至らず、3往復中1往復が臨時列車に格下げされるにとどまり、残る定期2往復のうち1往復は兵庫県内の浜坂発着に改められている。 平成8(1996)年3月16日改正では急行「但馬」が全廃された関係で定期3往復に戻っているが、播但線内に停車していた「但馬」が消滅したことで、「はまかぜ」の同線内ノンストップ運転が中止された。 平成17(2005)年3月1日改正時点でも「はまかぜ」の3往復運転は続いているが、使用している181系は平成10(1998)年末までにアイボリーとグレーを基調にした、いわゆるJR西日本色に塗り替えられ、イメージを一新している。近年では毎冬シーズンにカニ漁解禁に合わせて設定される京阪神地区から兵庫県日本海側への旅行プラン向けに、臨時特急「かにカニはまかぜ」が1往復運転されている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/02/01


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