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「山陽」

【第75回】 「山陽」


山陽本線岡山以西は、大都市・広島を筆頭に倉敷、福山、尾道、岩国、徳山、下関といった中規模都市が点在し、相互の乗客の流れは大きい。また、山口県下と北九州地区の結びつきも昔から強く、これら山陽本線内の各都市間を有効時間帯に入れた、本格的な都市間優等列車が昭和30年代半ばに誕生した。それが急行「山陽」だった。

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東京・大阪発着の優等列車の間隙を縫って好評を得た「山陽」

「山陽」はその名の通り、山陽新幹線全通まで山陽路の都市間急行として活躍した。

山陽本線の優等列車は、戦前から東京や関西との結びつきを最重点に置いたダイヤが組まれていた。山陽本線内のローカル輸送はもっぱら普通列車が中心で、東京〜九州間の優等列車のダイヤの間隙を縫って運転されていたから、ビジネスに有効な時間帯に設定された列車はほとんどなかった。しかし、昭和30(1955)年10月20日には、山陽本線初のローカル優等列車として広島〜門司間に臨時準急3207・3208列車が誕生した。この列車は、昭和31(1956)年11月19日改正で定期化の上、長崎まで延長され、昭和34(1959)年9月22日改正で「ふたば」と命名された。そして翌年5月1日には博多〜長崎間に気動車準急「ながさき」が運転を開始したことから博多止まりとなっている。 この「ふたば」は、広島・山口県下と北九州地区を、東京・大阪発着の優等列車が運転されない空白の時間帯を埋めるように運転されたことから重宝された。この人気に呼応するかのように、岡山県下からも「ふたば」を延長する形でローカル準急運転の要望が上がり、昭和35(1960)年6月1日、「ふたば」を吸収する形で岡山〜博多間に急行「山陽」が誕生した。 「山陽」は小郡機関区に配置されたキハ55グループ6両編成が充当され、401列車/岡山7時00分→博多14時18分、402列車/博多13時52分→岡山21時25分のダイヤで運転された。 特に岡山〜広島間はビジネスに便利なダイヤが組まれ、「山陽」登場前は岡山発7時台に優等列車が設定されていなかったことから、人気は上々だった。 昭和36(1961)年10月1日改正では、全国に新鋭のキハ58グループが登場、「山陽」は一部車両が置き換えられ、サービスアップが図られた。全車両がキハ58グループ化されたのは小郡機関区に同型が大量増備された昭和38(1963)年6月1日のことだった。

「ヨン・サン・トオ」改正以後は似た系統の列車を次々と吸収

博多を発つ475系12連の「山陽」。サロとサハシが2両ずつと、「山陽」を名乗った中ではもっとも豪華な編成だったが、昭和40年からの3年間のみの運用だった。

昭和40(1965)年10月1日、鹿児島本線が熊本まで電化され、山陽本線を走る特急「つばめ」「はと」が481系化された上、運転区間が熊本まで延長された。一方の「山陽」も、急行型交直両用電車の475系に置き換えられて熊本まで延長、列車名が「有明」と改称された。これにより浮いた「山陽」の名は、これまで気動車準急として運転されていた広島〜小倉間の「長門」を博多へ延長する形で誕生した電車急行に命名され、装いを新たにした。 しかし、この475系による2代目「山陽」は短命で、昭和43(1968)年10月1日(ヨン・サン・トオ)改正では「はやとも」に改称された。この「はやとも」は改正前は名古屋〜博多間の電車急行に命名されていたが、こちらは「玄海」に改称された。 この改正では全国的に優等列車の愛称名が整理され、似たような系統の列車はできる限り愛称名を統合する措置がとられた。山陽本線岡山以西の優等列車の場合、改正前は「みずしま」「とも」「やしろ」「周防」といった電車急行・準急が運転されていたが、この改正では岡山〜下関間の「みずしま」「とも」(初代)が統合されて「山陽」に改称された(「周防」は「しろやま」に吸収され廃止)。これらの列車は下関運転所の165系7両編成が充当されていたことから、「山陽」となった後も引き続き使用された。この結果「山陽」は九州から離れたものの、3年ぶりに古巣の岡山に返り咲いた。

山陽新幹線岡山開業により名実共に山陽本線の代表的急行に

昭和40年代中ごろ、「山陽」とともに山陽路の都市間輸送にあたった急行「宮島」。後に「宮島」を含む急行群は「山陽」と「安芸」に整理・統合された。

「ヨン・サン・トオ」改正以後の山陽本線ローカルでは、「山陽」のほかに広島〜下関間で電車急行「やしろ」が、岡山〜下関間で気動車急行「吉備」が運転されていた。「吉備」の方は、昭和45(1970)年10月1日改正で1往復が165系化され「山陽」に編入、「やしろ」の方は、山陽新幹線岡山開業を迎えた昭和47(1972)年3月15日改正で「山陽」に統合された。また、この改正では岡山以東の昼行在来線優等列車が廃止され、岡山以西は、「宮島」を吸収した「安芸」(3代目・呉線経由)が3往復、「山陽」が下り8本・上り9本の大所帯となり、新たに岡山で山陽新幹線に接続する連絡列車としての使命を担うようになった。同時に、急行「鷲羽」「とも」などに使用されていた宮原電車区と向日町運転所の153系120両が捻出され下関運転所へ転属、「山陽」は153系10両編成に改められた。 この時期が「山陽」にとっては絶頂期だったが、一方で、山陽新幹線岡山以西の建設は急ピッチに進み、部分開業を経ることなく、昭和50(1975)年3月10日に華々しく博多へ到達した。 これにより、山陽本線を走る昼行の在来線優等列車は原則として廃止されることになり、「つばめ」「はと」「しおじ」といった特急列車に混じって「山陽」も姿を消した。浮いた下関運転所の153系は165系とともに宮原電車区と幕張電車区へ転じ、幕張区では前年に電化された総武・成田・鹿島線を走る電車急行「犬吠」「鹿島」「水郷」などに充当された。 急行「山陽」の廃止により、山陽本線岡山以西における直流急行型電車の優等列車運用は消滅してしまったが、広島地区では下関運転所に残った76両の153系が快速・普通列車に、岡山地区では急行「鷲羽」に運用されている宮原電車区の153系、165系(サロを含む)が岡山〜広島間の快速・普通列車に充当されていた。 下関運転所の153系は、昭和57(1982)年秋に115系3000番代が増備されるまで生き延び、同年11月14日が最終運転となった。これは153系の終焉が近くなったことを意味し、翌年3月には急行「東海」を最後に全車運用を離脱、昭和33(1958)年にデビュー以来、25年におよぶ歴史にピリオドを打っている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/03/01


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