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MkAホイペット

【第52回】MkAホイペット  <戦車>


 マークA ホイペット中戦車は、猟犬の種名が名付けられた第一次世界大戦時のイギリス陸軍の戦車である。敵の前線の破綻した箇所を突破する際に、世界初の実用戦車であるマーク I 戦車よりも相対的に優位な機動性と速度を用いてイギリス軍重戦車を補うよう意図されていた。

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ホイペットの登場

デアゴスティーニ編集部

▲旧日本陸軍で初めて部隊運用されたホイペット。

 世界で最初に戦車が設計された当時、戦車には不整地踏破が可能な「機関銃駆逐車両」程度の意図しかなかった。このため、戦車は巨大で鈍重なものとなり、塹壕は踏破可能でも、整地ではあまり機敏に行動することができなかった。しかし1916年頃になると、戦車を一種の騎兵として使用するというアイデアが定着し始めた。すなわち、敵戦線を突破できる能力を戦車に持たせようという発想である。こうして、踏破能力をある程度犠牲にして整地でのスピードを重視した、新発想の軽量戦車が設計されることとなり、開発はウィリアム・トリットン卿の手に委ねられた。トリットンは、「ランドシップ(陸上艦)」と呼ばれた初期の戦車の開発に大きく貢献した人物である。
 この新型戦車のイギリス軍制式名称は「MkA中戦車」であったが、すぐに「ホイペット」というニックネームがつけられた。トリットンは、以前に設計した「リトル・ウィリー」の方式に立ち帰り、菱形ではなくフラットなキャタピラ配置を採用した。車両の前方に位置するエンジン室は、左右のキャタピラにはさまれた形で配置され、その中に収められた出力45馬力のタイラー・ロンドン・バス用エンジン2基は、それぞれが1つのキャタピラを駆動するようになっていた。ステアリング操作は、左右のキャタピラの増減速により行われた。車体後方には、左側に運転席、右側に攻撃区画が配置されていた。当初、戦闘区画は砲塔状のものになる予定だったが、結局、固定式の上部構造に変更され、各面にオチキス機関銃1挺が取り付けられた。装甲厚は5〜14mmであった。
 ホイペットの試作車両は1917年2月に完成し、その年の6月には量産が命じられた。しかし製造に時間がかかり、最初の車両が登場したのは同年末のことであった。フランスへの到着も遅れ、初めて西部戦線で戦闘に参加したのは1918年3月であった。

敵陣を攪乱

デアゴスティーニ編集部

▲戦闘に参加した初期のホイペットとニュージーランドの歩兵。

 ホイペットは操縦が大変難しく、操縦手は各エンジンの煩雑なクラッチ操作に悩まされた。このため、戦闘中に制御不能に陥って失われた車両も多かった。しかし、必要な改造が施されると、ホイペットはすぐに高い信頼性を発揮するようになり、整地であれば、馬に乗った騎兵にも勝るスピードを得られるようになった。
 当初ホイペットは、ドイツ軍の前進に対して、前線の戦力不足を補うために専ら使用された。しかし、イギリス軍が反攻に転じてからは本領を発揮し、一部は敵陣の後方深くに侵入して、敵陣をおおいに攪乱した。「ミュージカル・ボックス(オルゴール)」の名で有名になった1両は、最後には野砲によって破壊されたが、それまで9時間にわたりドイツ軍後方を荒らし回り、無警戒だった後方の部隊兵を撃ち倒した。
休戦の頃までに、MkAホイペットは確固たる地位を築いていたが、休戦後は長く第一線にとどまることはなかった。数両がアイルランド抗争で使用されたことが確認されており、1920年には何両かが日本に輸出されて、我が国で初めて部隊運用された戦車となった。また、ドイツ軍も休戦前にかなりの数のMkA中戦車を捕獲して、評価のため自軍に配備していた。
ホイペットはおそらく第一次世界大戦で最も成功したイギリスの戦車であり、戦時中の他のどのイギリスの戦車よりもドイツ側犠牲者を出した。

諸 元

デアゴスティーニ編集部

▲走行装置に板ばねを取り付け、改修されたホイペット。

MkA中戦車
乗員:3〜4名
寸法:全長6.10m、全幅2.62 m、全高2.74m
エンジン:出力45馬力のタイラー4気筒ガソリン・エンジン2基
重量:14t
性能:最大速度13.4km/h、航続距離64.3km

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2017/04/27


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