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M26パーシング

【第58回】M26パーシング  <戦車>


 M26パーシングは、アメリカが第二次世界大戦末期に開発した重戦車だ。「パーシング」の名称は第一次世界大戦時のアメリカの将軍の名からとったもので、それまでのアメリカ軍戦車の愛称は、供与されたイギリス軍によるものであったが、本車は初めてアメリカ軍自身によって命名された。

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新世代のアメリカ重戦車

デアゴスティーニ編集部

▲M26E1の主砲を換装したスーパーパーシング。砲塔及び車体には現地改造の増加装甲が施されている。

 第二次世界大戦中、少なくともアメリカ軍においては重戦車は不遇な立場にあった。アメリカは早くから重戦車の作戦上の必要性を認識していたものの、当初は中戦車、特にM3とM4に相当な生産力を集中させていた。1942年に制式化されたM6重戦車は、有望な設計であったにも関わらず、中戦車を優先するために計画は立ち消えとなった。その後、優先順位の低い開発施設が重戦車の開発を引き受けることになったが、ドイツのパンター中戦車およびティーガー重戦車の登場により重戦車を求める声が強まった結果、開発の優先順位は一気に上がることになった。
 新世代のアメリカ重戦車の最初の1両は、T20中戦車と呼ばれる試験モデルであった。この戦車は76mm砲を装備し、M4中戦車とよく似たサスペンションを採用していた。その後の開発により、サスペンションには新しいトーション・バー型が採用され、主砲も新開発の90mm砲に変更されて、改良した砲塔に収められた。さらに試験モデルのシリーズは、T22、T23、T25、T26中戦車と続き、T26E3重戦車で頂点を迎えて、これがM26重戦車として量産されることになった。M26はパーシング(またはゼネラル・パーシング)と呼ばれた。しかし、新戦車の試験完了までに、第二次世界大戦に実戦投入する準備が整っていたのは、ほんの数両にすぎなかった。

沖縄上陸戦への参加

デアゴスティーニ編集部

▲沖縄での降伏式典の様子。左下に並んでいるのがM26重戦車。

 M26は1945年初めにようやくヨーロッパに到着したが、実際の戦闘を経験したのは、そのうちのほんの一握りであった。一方、太平洋戦線へは、より多くの車両が送られて実戦に投入され、沖縄上陸戦にも参加している。しかし、M26が戦場に到着したときには、重戦車が必要とされるような場面はほとんどなくなっていた。
 M26は、第二次世界大戦にはほとんど貢献できなかったが、その設計には長年にわたる戦闘の経験が集約されていた。M26は、おそらくアメリカの戦車としては初めて、装甲防御(最も厚い部分が102mm、最も薄い部分が12mm)と火力に適切な配慮がなされていた。M26の兵装は、同時代のほとんどの戦車よりも勝っており、主砲に90mm砲(当初は対空砲としての使用が意図されていた)を備え、補助兵装は標準的な3挺の機関銃(12.7mm機関銃1挺、7.62mm機関銃2挺)で構成されていた。
 しかし、M26にもいつくかの設計上の欠点があった。砲塔の形状は、射撃を歪めるどころか阻害する可能性すらあると批判され、車体前部の固定機関銃は、当時でさえ時代錯誤と考えられた(これは後の改良で廃止された)。実際のところ、M26は新世代のアメリカ戦車設計の始まりとなったに過ぎず、1945年以降、この戦車に発展的に改良が加えられた結果、M47などさまざまなモデルを経由して、M48パットンで高い成功を収めるに至った。
 大戦後もM26の開発は続き、数多くの派生型やハイブリッド型が生み出され、M26は1950〜53年の朝鮮戦争で広く実戦に参加した。

諸 元

デアゴスティーニ編集部

▲朝鮮戦争で海兵隊員を満載したM26。1946年5月に中戦車に分類変更され、中戦車に分類された。

M26
タイプ:重戦車
乗員:5名
寸法:全長(主砲含む)8.79m、車体長6.51m、全幅3.51m、全高2.77m
エンジン:出力500馬力のフォードGAF V型8気筒ガソリン・エンジン1基
重量:41.73t(戦闘時)
性能:最大路上速度48km/h、最大路上航続距離148km、渡渉水深1.22m、登坂能力60%、越堤能力1.17m、越壕能力2.59m

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2017/10/26


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