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T-28

【第70回】T-28 <戦車>


 T-28は、ソビエト連邦の中戦車である。1933年に制式化されたこの戦車はソ連初の多砲塔戦車で、レニングラードで量産に入った。当時ドイツやイギリスで流行っていた実験的設計から多大な影響を受け、3つの砲塔を有し、多砲塔戦車としては世界最多の503輌が生産された。

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貴重な経験

▲モスクワの中央軍事博物館でのT-28。

 T-28はA6中戦車とMK.II中戦車を参考にしながらT-35と併行して開発された。T-28シリーズの試作車両には45mm主砲が搭載されていたが、量産型のT-28およびT-28A(前面装甲強化型)では短砲身の76.2mm砲に換装され、1938年以降の量産型T-28Bでは、性能が向上した新しい長砲身の76.2mm砲が搭載された。副兵装には7.62mm機関銃3挺が装備されていた。全体的にT-28は大型で細長い戦車であったが、ソ連の戦車設計チームはまだ技術習得の段階にあり、国内生産のT-28から得られる経験は非常に重要であった。
 オリジナルのT-28 1934年型の製造は1938年まで続けられ、続いて改良型のT-28B 1938年型が登場した。このモデルは新型砲と初歩的な安定化装置を装備し、エンジンにもさまざまな改良が施されていた。T-28Bの製造は1940年まで続き、その後、後期型に製造が切り替えられた。装甲厚はモデルによって異なり、最低で20mm、最高で80mmであった。
 T-28には、自走砲や、架橋車両および突撃工兵車両といった特殊車両など、いくつかの試験型が存在した。どの試験車両も試作車の域を出ることはなかったが、こうした経験は、以後のさまざまな戦車の派生型を計画するうえで大いに役立った。

教育用戦車

▲フィンランド陸軍で運用されたT-28。

 実際のところ、T-28は教育用戦車としての価値のほうが大きく、実用戦車としての配備期間は1939年から1941年と非常に短かった。T-28は1939年の「冬戦争」で初めて実戦に使用されたが、この短期間の紛争で、乗員たちは、T-28の装甲が危険なまでに薄すぎることを、身をもって思い知らされた。このため、生き残った戦車には、最大80mmの追加装甲を付加する改良が至急施された。改良された車両には、T-28E(Eは装甲強化を意味するロシア語の頭文字)の名称が与えられた。しかし、1941年6月のドイツ軍侵略後の戦いで、T-28の性能はT-28Eになっても一向に改善されていないことが判明し、この応急の強化策の効果については疑問視する声もあった。なお、T-28EはT-28MまたはT-28 1940年型としても知られている。
 1941年の時点で残っていたT-28に、戦闘上の価値はほとんどなかった。車体側面が大きくて平たく、動きも鈍重なT-28は、ドイツ軍の対戦車兵器の格好の標的となった。この戦車は地雷にも極めて脆く、「冬戦争」時には、地雷の脅威を回避するために、一部のT-28の車体前面に対地雷ローラーが取り付けられた。このローラーはあまり効果がなかったが、こうした経験も後続の戦車に生かされることになった。こうしてT-28中戦車は、前時代の戦車設計として姿を消した。

諸 元

T-28
乗員:6名
寸法:全長7.44m、全幅2.81m、全高2.82m
エンジン:出力500馬力のM-17 V型12気筒ガソリン・エンジン1基
重量:28t
性能:最大路上速度37km/ h、最大路上航続距離220km、登坂能力43%、越堤能力1.04m、越壕能力2.9m
兵装:76.2mm砲1門、7.62 mm機関銃3挺

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)

[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/10/29


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