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ボーイングB-29スーパーフォートレス

【第20回】ボーイングB-29スーパーフォートレス <戦略爆撃機>


アメリカ陸軍航空隊は「地球の半分を行動範囲とする国防兵器」としての爆撃機を要求し、これに応じてボーイング社は、後にB-29スーパーフォートレスとなる爆撃機の設計を1940年に開始した。後にこのプロジェクトに最高の優先度が与えられた。

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対日戦専用兵器

デアゴスティーニ編集部

▲B-29の設計・開発・生産はわずか4年で行われた。

アメリカ陸軍航空隊は「地球の半分を行動範囲とする国防兵器」として、9,072kgの爆弾を積み、644km/hの速度で8,582 kmの距離を飛行できる爆撃機を要求した。これに応じてボーイング社は、後にB-29スーパーフォートレスとなる爆撃機の設計を1940年に開始した。しかし、このプロジェクトに最高の優先度が与えられたのは、日本軍の真珠湾攻撃によってアメリカが孤立主義を放棄した後のことであった。
ボーイング社は超大型の中翼式4発重爆撃機を開発し、その最初の機体となるXB-29は1942年9月21日に初飛行した。初飛行の時点で、この爆撃機にはすでに大量の発注が出されていた。B-29を対日戦に限って使用することが1943年に決定されると、完成した新型爆撃機は、インドおよび中国を基地とする第20爆撃軍団に集中的に配備された。最初のYB-29実用試験機は1943年7月に第58爆撃航空団に引き渡され、その3か月後にはB-29-BW量産機が納入された。量産は、ボーイング社ウィチタ工場(型式名の製造者記号はBW)のほか、ベル社マリエッタ工場(BA)、マーチン社オマハ工場(MO)、そして新設のボーイング社レントン工場(BN)で行われた。1944年初めには4個爆撃航空群のB-29がインドに移動して、6月5日に日本軍占領下のバンコクに対して初めて爆撃を行い、10日後には日本本土を爆撃した。

本土夜間空襲

デアゴスティーニ編集部

▲1945年8月に原子爆弾を投下したのは第393爆撃飛行隊のB-29“エノラ・ゲイ”の乗員。(写真/DeA Picture Library)

B-29は、就役開始後の9か月間は専ら高高度からの昼間爆撃を行っていた。しかし、マリアナ群島の5か所の大規模基地が新たな主要拠点となったため、1945年3月9日からは低高度の夜間爆撃に切り替えられ、日本の都市に対して焼夷弾を投下するようになった。最初に夜間空襲を受けたのは東京で、このときの死者は約84,000人に達した。
B-29は標準型のほかにも2種類の主要型が第二次世界大戦中に登場した。一つは、胴体上部に機関銃4挺のターレットを取り付けて主翼幅を拡大したB-29A-BN、もう一つは、火器を減らして爆弾搭載量を増加させたB-29B-BNである。
1945年8月に原子爆弾を投下したのは第393爆撃飛行隊のB-29“エノラ・ゲイ”および“ボックス・カー”で、前者は6日に「リトル・ボーイ」を広島に、後者は9日に「ファット・マン」を長崎にそれぞれ投下した。
B-29スーパーフォートレスの合計製造機数は3,970機で、第二次世界大戦終了後もしばらくは現役機として活躍した。

諸 元

デアゴスティーニ編集部

▲B-29の防御火器の特徴は遠隔操作式ターレットを採用したことである。 (写真/DeA Picture Library)

ボーイングB-29Aスーパーフォートレス
タイプ:10人乗り戦略爆撃機
寸法:全幅43.36m、全長30.18 m、全高9.01m、主翼面積161.27m2
エンジン:出力2,200馬力のライト・サイクロンR-3350-57星形ピストン・エンジン4基
重量:自重32,369kg、最大離陸重量64,003kg
性能:最大速度576km/h(高度25,000ft)、高度6,095mへの上昇時間38分、実用上昇限度9,695m、航続距離6,598km
兵装:12.7mm機関銃を機首上部のターレットに4挺、機首下と後部胴体上下のターレットに各2挺、尾部に20mm機関砲1門と12.7mm機関銃2挺、加えて最大9,072kgの爆弾

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2014/08/28


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