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カプロニ・カンピーニN.1

【第60回】カプロニ・カンピーニN.1 <ジェット推進機>


 カプロニ・カンピーニN.1は、1940年に初飛行したモータージェット推進のイタリア製航空機である。設計はイタリアの技術者カプロニ・カンピーニで、1940年8月27日に初飛行に成功したが、結局、有用な結果を残すことはできなかった。CC.2と呼ばれることもあるが、正式名称ではない。

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世界で2番目のジェット推進機

デアゴスティーニ編集部

▲飛行中のカプロニ・カンピーニN.1。 コックピットを冷やすために天蓋は開いたままになっている。

 1931年、イタリアの技術者カプロニ・カンピーニはジェット推進機の有効性についてイタリア航空省に独自のレポートを提出した。翌1932年、カンピーニはジェット推進で動くボートを製作し、ヴェネツィアでデモンストレーションを行った。これらの末、1934年に航空省は理論を実現するためのジェット航空機の開発をカンピーニに許可したのであった。
 カンピーニが設計したジェットエンジンは現在広く見られるものとは異なり、今でいうモータージェットであった。カンピーニはN.1のために、以前に世界初のモータージェット機であるコアンダ=1910(ルーマニアの発明家アンリ・コアンダが製作したサーモ・ジェット・エンジンにより飛行する航空機)を開発した航空機メーカーのカプロニ社と協力して2機の試作機と1機の地上テスト機を製作した。N.1の初飛行は1940年8月27日にテストパイロットのマリオ・デ・ベルナルディによって行われ、無事に終了した。
 イタリアは、空気を燃焼に使用したジェット推進機を世界で2番目に飛行させた国でありながら、この分野で世界をリードする国とはならなかった。これは不思議な気もするが、実際のところカプロニ・カンピーニN.1は天才が作り上げた「一点もの」にすぎなかった。その動力機構は、ピストン・エンジンで駆動する可変ピッチのダクト・ファン式圧縮器によって、原始的とも言えるアフターバーナーを燃焼させるものであった。したがって、ガス・タービンの研究につながることもなく、技術的にすぐに行き詰まってしまったのである。

天才の記念碑

デアゴスティーニ編集部

▲地上試験中のカプロニ・カンピーニN.1。尾部を取り除いたもの。

 イタリア人技術者のセコンド・カンピーニは、1931年に反動推進の研究を進めるための会社を設立し、1939年には、カプロニ社に作らせた航空機にその研究成果を搭載した。彼の研究成果とは、イソッタ・フラッシーニ星形エンジンがダクト・ファン式圧縮器を駆動する推進装置であった。圧縮された空気は機体最後部の可変面積ノズルから排出され、排気管内で追加の燃料に点火することによって、さらに推力を増加する仕組みになっていた。
 複座で低翼配置のN.1(CC.2とも呼ばれる)は、1940年8月28日にマリオ・デ・ベルナディの操縦によりタリエドで初飛行した。その後、各地で大々的な展示飛行が行われ、その中でN.1は、タリエドからグイドニアまでの270kmを平均速度209km/hで飛行した。
 しかし、ピストン・エンジン駆動による3段ファン圧縮器方式にそれ以上の発展が望めないことは、最初から明らかであった。さらに、戦時下のイタリアが即戦力を優先するようになったことから、この実験は1942年初めに放棄された。N.1は現在、「洗練されたテクノロジー」というよりも「天才の記念碑」として、ミラノの科学技術博物館に残されている。

諸 元

カプロニ・カンピーニN.1
タイプ:複座研究機
寸法:全幅15.85m、全長13.10m、主翼面積36.00m2
エンジン:出力900馬力のイソッタ・フラッシーニ星形ピストン・エンジン1基により、3段ダクト・ファン圧縮器を駆動
重量:自重3,640kg、最大離陸重量4,195kg
性能:最大速度375km/ h

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2017/12/21


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