模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

中島試作特殊攻撃機「橘花」

【第61回】中島試作特殊攻撃機「橘花」 <攻撃機>


 「橘花」は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発した日本初の純国産双発ジェット戦闘攻撃機である。エンジン開発は主に空技廠が担当し、機体を中島飛行機が開発製造した。ネ12B装備型を「橘花」、ネ20装備型を「橘花改」と正式には呼称する。試作機はそれぞれ、「試製橘花」、「試製橘花改」と呼ばれた。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


初の国産ジェット機

デアゴスティーニ編集部

▲日本初の純国産ジェット機「橘花」。

 ドイツのMe262ジェット戦闘機に関する報告に刺激を受けた日本の海軍航空本部は、これを原型として、690km/hの速度を持ち、小型の爆弾を携行する単座攻撃機の開発を中島飛行機に指示した。同社は、大野和男技師と松村健一技師の指示の下、1944年9月に設計作業を開始した。日本は高高度を飛行するための過給機付き高性能レシプロエンジンの開発にも行き詰まり、原油生産地のマレー半島と日本本土間の制海権の喪失から燃料事情も悪化していた。海軍は低質燃料、低質潤滑油でも稼動し、レシプロエンジンに比較し構成部品が少なく簡易で高性能なジェットエンジン(噴進機関、タービンロケット)を装備した陸上攻撃機を「皇国二号兵器」と仮称して企図し、同25日、中島飛行機に開発指示を出した。
 でき上がった機体はドイツ機に非常によく似ていたが、初期の日本製ジェット・エンジンの推力が極めて小さかったため、やや小型に設計されていた。試作1号機には、当初、推力1.96kNのツ-11ダクト式エンジン2基が取り付けられていたが、すぐに3.33kNのネ-12ターボジェットに交換された。しかし、推力はまだ不十分であったため、初飛行時には4.67kNのネ-20軸流ターボジェット2基が取り付けられた。それでもなお、離陸の際には2基の離陸補助(ATO)ロケットを使用する必要があった。

特攻機として開発許可

デアゴスティーニ編集部

▲アメリカ軍に接収された「橘花」。

 「橘花」と命名されたこの機体は、1945年8月7日に木更津海軍基地で高岡迪海軍中佐の操縦により初飛行した。松根油を含有する低質油を16分間分だけ積んだ軽荷重状態で、12分間の飛行に成功。これが日本で初めてジェット機が空を飛んだ瞬間であった。この時「橘花」には離陸用補助ロケット、アンテナ、前脚のカバーが装備されず、脚を出したままの飛行であった。10日に陸海軍幹部が視察に来る中、燃料を満載しての第二回の飛行が予定されたが空襲で中止され、翌11日は悪天候で順延となり、実飛行は12日に行われた。
 しかし、ATOを使用した2度目の飛行では離陸に失敗し、海中の浅瀬に突入して機体が破損した。その頃には試作2号機が完成に近づいており、さらに18機の製造が開始されていたが、ジェット戦闘機としての本分を要求されながらも、名目上は特攻機としてでしか開発許可が下りなかった。それが特別攻撃機を表す「花」の名称が付いている理由となっている。
 第二次世界大戦終了時、複座練習機として製造中だった「橘花」の3号機はほぼ完成していた。日本海軍は橘花を量産配備する予定だったが、終戦によってプログラムはすべて中止された。練習機、偵察機、戦闘機型などの生産も計画されたが、すべて立ち消えとなった。

諸 元

中島試作特殊攻撃機「橘花」(試作1号機)
タイプ:単座攻撃機
寸法:全幅10.00m、全長9.13 m、全高2.95m、主翼面積13.21m2
エンジン:静止推力4.67kNのネ-20軸流ターボジェット・エンジン2基
性能:最大速度697km/h(高度10,000m)、高度10,000mまでの上昇時間26分、実用上昇限度12,000m、航続距離940km
重量:自重2,300kg、最大離陸重量4,080kg
兵装:500kgまたは800kg爆弾1発、提案された戦闘機型は30mmの五式機関砲2門を機首に搭載

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/01/29


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。