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飛龍

【第20回】飛龍 <航空母艦>


飛龍は、日本海軍の航空母艦で、基準排水量は17,300t。太平洋戦争開戦以降、日本海軍の主力空母の1隻として活躍した。1942年6月、ミッドウェー海戦にて当初は被弾を免れ、山口多聞少将の指揮下、米空母「ヨークタウン」を撃破したが、日本時間6月5日、沈没した。

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飛龍の特徴と欠点

デアゴスティーニ編集部

▲飛龍」の艦橋は左舷にあり、これは既存の空母と並んで同時に航空作戦を行えるようにと考えられたものであったが、このアイデアはうまくいかなかった。 (写真/DeA Picture Library)

1939年に竣工した空母「飛龍」には、基準排水量10,600tの軽空母「龍驤」、同15,900tの空母「蒼龍」の建造で得られた教訓が取り入れられていた。推進器は以前の空母のものと同じだが、全幅が広くなっていた。これによって艦内の燃料庫を大きくすることができ、航続距離は約4,800km増大した。さらに1,400tのバラストが搭載できるようになった。「飛龍」には、いくつかの興味深い設計上の特徴があり、その一つは艦橋が左舷にあったことで、これは「飛龍」がより大型の基準排水量36,500t(改装時)の空母「赤城」と並んで作戦できるように意図されていたからだ。「飛龍」の航空機は反時計周りに飛び、一方、伝統的な右舷の艦橋を持つ「赤城」の航空機は時計回りで飛ぶので、艦隊に対する航空機のカバー範囲を広げることができたが、実際に使用されることはなかった。
「飛龍」にはいくつかの欠点が存在した。艦の右舷にある煙突の排気によって、飛行甲板上の気流が乱されるのが問題であった。艦の主機からの熱い排気が飛行甲板上の気流と混じり合って、発着艦する航空機にとって危険な乱気流を生じることがあったのだ。
また、「飛龍」の設計は独特であったが、その特徴の多くは後の空母設計に引き継がれた。ミッドウェー海戦の後に日本で建造が開始された6隻の空母は、いずれも徹底的に破壊されるかひどい損傷を受けている。これらの設計の最大の弱点は、爆弾が容易に飛行甲板を貫通してしまうことであり、その結果、下の格納庫で爆弾が爆発し、重大な損傷を引き起こすことが多かった。
「飛龍」は、就役以来第2航空戦隊に所属し、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」とともに、1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃に参加した。この攻撃で「飛龍」は、午前6時に開始された第1波攻撃に、中島九七式艦上攻撃機18機および三菱零式艦上戦闘機6機を発進させた。続く第2波攻撃においては、「飛龍」は愛知九九式艦上爆撃機17機と零戦8機を発艦させた。真珠湾攻撃全体を通じて、「飛龍」は49機の航空機を発進させたが、失ったのは3機だけであった。
真珠湾から中部太平洋のウェーク島に移動した「飛龍」は、12月後半にはアメリカ軍守備隊に対する攻撃を支援した。その後1942年1月にはパラオ侵攻に参加し、オランダ領東インドの占領に先立つモルッカ諸島への進攻に際しては上空援護を実施している。1942年3月、「飛龍」はジャワ周辺の連合軍の海上交通を阻止し、クリスマス島の攻撃では、オランダのフリゲート「ペラウ・ブラス」を撃沈した。

ミッドウェー海戦と飛龍の最期

デアゴスティーニ編集部

▲千葉県館山沖で公試運転中の「飛龍」。1939年4月28日。

「飛龍」は、1943年6月4日のミッドウェー海戦で最期を迎えることになる。「飛龍」は、「赤城」、「蒼龍」、「加賀」とともに、南雲中将率いる第1航空艦隊に所属し、同部隊にはさらに戦艦2隻と巡洋艦3隻が加わっていた。
部隊は6月4日にミッドウェー島沖に到着し、アメリカの航空基地に猛爆撃を開始する計画であった。これによってその後の陸上部隊の上陸を容易にし、6月6日までに航空輸送部隊および輸送グループが同島に到着する予定になっていた。
「飛龍」は、未明の攻撃のため九七艦攻18機と零戦9機を発進させた。しかし、アメリカによる反撃で、「赤城」、「蒼龍」、「加賀」の3隻の空母が爆弾を受け、10時30分までに大火災に包まれた。「飛龍」は幸運にも被害を免れたものの、九七艦攻6機と零戦2機を失った。しかし、「飛龍」の艦載機は正午頃にアメリカの空母「ヨークタウン」に3発の爆弾を命中させて行動不能に陥らせた。
「飛龍」は、14時45分にさらに攻撃を加え、2発の魚雷が「ヨークタウン」に致命傷を与えた。「飛龍」はこの第2次攻撃の最中に航空機の大部分を失ったが、それでも第3次攻撃の実施に備えられるだけの数の航空機が空母に帰還することができた。
だが、「飛龍」の幸運も長くは続かなかった。「ヨークタウン」に対する第2波攻撃を行っている間に、アメリカの空母は「飛龍」を撃沈するために、SBDドーントレス急降下爆撃機10機を発進させていたのである。
空母「エンタープライズ」から発進したサミュエル・アダムス大尉とハーラン・R・ ディクソン大尉の操縦する2機の航空機が、「飛龍」を発見した。アメリカ海兵隊の航空機が「飛龍」の飛行甲板の中心線に沿って爆弾を投下し、そのうちの4発が飛行甲板の前部に命中した。その後「飛龍」は、ミッドウェーおよびハワイの陸上基地から飛来したB-17による機銃掃射を受けた。
この攻撃で艦の前部に火災が発生したが、航行はまだ可能であり「飛龍」は西方へ避退したが、最後には手をつけられないほどに火災が広がり、艦は洋上で行動不能となった。
日本の駆逐艦が艦から生存者を救出し、その後「飛龍」には撃沈の命令に従って魚雷が発射された。だが空母は頑強に沈没を拒み、水上にとどまっていた。山本五十六提督の戦艦部隊に随伴していた空母「鳳翔」の艦載機が「飛龍」を撮影し、航空機の乗員は空母の艦上にまだ何人かの生存者がいることを認めた。このため、駆逐艦「谷風」が生存者を救助するために派遣されたが、現場に到着した「谷風」は、もはや「飛龍」の姿を発見することはできなかった。「飛龍」は6月5日9時頃に海に没していたのである。

諸 元

デアゴスティーニ編集部

▲1936年に横須賀海軍工廠にて起工。1939年7月5日、完成し、艦隊編入を待つ「飛龍」。

飛龍
排水量:基準排水量17,300t、満載排水量21,900t
寸法:全長227.4m、全幅22.3m、吃水7.8m
推進器:ギアード蒸気タービンで152,000馬力を供給し、4軸を駆動
速力:34.4kt(64km/h)
兵装: 連装127mm砲6基(12門)、3連装25mm対空機関銃7基(21挺)、連装25mm対空機関銃5基(10挺)
搭載機:64機
乗員:1,100名(航空機搭乗員含む)

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2014/08/28


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