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鳳翔

【第25回】鳳翔 <軽空母>


鳳翔は、日本海軍初の航空母艦である。起工は1920年末。竣工は1922年末で、設計に際してはイギリスの技術を参考。1921年に来日したイギリス飛行団から多くの情報を得ており、同国の新しい航空母艦「ハーミーズ」と雷撃機カックーで採用されたものを細部にわたって広く用いている。

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日本海軍初の航空母艦

デアゴスティーニ編集部

▲日本最初の航空母艦である「鳳翔」は平甲板型であった。(写真/DeA Picture Library)

鳳翔は、設計と開発段階から純粋空母としての運行を目的として建造された正規空母として世界で最初に完成した。第二次世界大戦に実戦投入された艦である。建造当初は起倒式の3本煙突と、安定性強化のため当時の新技術であった須式船体動揺安定儀を採用した。全通形式の飛行甲板のために8cm高角砲2門は甲板内に引き込み式としたほか、アイランド構造の艦橋を持っており、右舷に艦橋と煙突を集中させたことから、新造時から近代空母の雛形としての形状を成していた。
だが、航空機の大型化に伴って飛行甲板幅が狭く、艦橋とクレーンが運用上の障害となったため、1924年、飛行甲板前部の水平化を行った際に甲板上の艦橋とクレーンを撤去。新しい艦橋を前部格納庫の前端部両舷に設置した。そのほか船体各部の補強を行い、航空機着艦時に使用する制動装置も、イギリスに倣って採用した縦索式は制動力が低く不自由であったため、1931年に国産の萱場式横索制動装置に換装した。
日本海軍は独自に艦載機用カタパルトを開発できなかったため、太平洋戦争開戦後の最新機を搭載することができなかった。これは航空技術が大きく進歩を遂げ、複葉布張りの軽量な航空機から、大型で重量のある航空機へと進化したためだ。重量のある航空機を運用するには、より大きく長い飛行甲板が必要だった。「鳳翔」は航空機を10機程度しか搭載できなかったのだ。

戦中・戦後の鳳翔

デアゴスティーニ編集部

▲「鳳翔」の最初の3段膨張式蒸気機関は25kt(46km/h)の速力を得るために駆逐艦型タービンに変更され、3本の煙突を通って排出された。

欠陥を抱えながらも「鳳翔」は古参の練習航空母艦として1941年12月から「瑞鳳」とともに第3航空戦隊に所属していた。パラウ島に4カ月展開した後に日本に帰り、再び発着艦訓練の任務に就いた。その後、「鳳翔」はミッドウェー海戦時に再び現役に復帰し、中島九七式艦上攻撃機(B5N)11機を搭載して、山本五十六大将の主力部隊の直衛として働いた。
多くの初期の航空母艦と同様、「鳳翔」は非常に小さく、すべての武器と航空機を搭載するのに必要な安定性が不足していた。第二次世界大戦が始まると、搭載する航空機は21機から12機に減らされ、砲は軽量の対空火器に換装された。
しかし「鳳翔」は、「赤城」と「加賀」の改造や、最初から航空母艦として起工された「龍驤」の設計に必要な多くの経験をもたらした。「鳳翔」は1930年代に中国沿岸で重要な活動を行い、日中戦争時には航空機を運んだが、1930年代の末期までには現役を退き、空母搭乗員の発着艦訓練に使用された。
1942年6月に最終的に第一線から退いた「鳳翔」は、1944年に座礁して損傷し、呉でアメリカ軍機の爆撃を2回被ったが、それでも沈没は免れた。搭載航空機の搭乗員不足のために1945年4月以降は係留され、かくして「鳳翔」は終戦の日まで生き延びた数少ない航空母艦のひとつとなった。
戦後、「鳳翔」は第2の人生を送ることになり、極東の各地に残された日本将兵の復員輸送を行うために再就役した。「鳳翔」は1946年8月までこの仕事に従事した後、1947年にスクラップにされて約25年の生涯を閉じた。

諸 元

鳳翔
タイプ:軽空母
排水量:基準7,470t、満載10,000t
寸法:全長168.1m、全幅18.0m、吃水6.2m
推進器:30,000馬力の蒸気タービンで2軸を駆動
速力:25kt(46km/h)
兵装:(建造時)14cm砲4門、8cm対空砲2門(1941年)、25mm連装対空機関銃4基(8挺)
搭載機:中島九七式艦上攻撃機11機(1942年)
乗員:550名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2015/01/29


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