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赤城

【第6回】赤城 <艦隊空母>


ワシントン海軍軍縮条約の締結に伴い、巡洋戦艦から航空母艦へ生まれ変わった「赤城」は、第1航空戦隊の旗艦として真珠湾攻撃に参加。しかし、その後に行われたミッドウェー海戦において、2発の命中弾を受け沈没した。

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事故が多発した左舷アイランド

▲呉海軍工廠の造船船渠で撮影された「赤城」。同艦は当初、巡洋戦艦として建造された。(資料提供:大和ミュージアム)

第一次世界大戦後のワシントン海軍軍縮条約によって、日本海軍は数隻の未完成の主力艦をスクラップにすることとされた。しかし、アメリカとイギリスが同様の主力艦を航空母艦に変更する意図を表明したことと、「鳳翔」が成功を収めたことから、海軍は2隻の主力艦を航空母艦に変換することを決定。これには、排水量40,000tで速力30kt(56km/h)の巡洋戦艦として計画されていた「赤城」と「天城」の2隻が選ばれた。
作業は1923年にスタートし、「天城」の船体は9月の関東大震災による損傷のためスクラップにされたが、一方の「赤城」は1927年3月に完成した。同艦は平甲板型で、飛行甲板の右舷の端に2本の煙突があり、前部に3層の飛行甲板がある。兵装としては20cm砲10門を有し、うち6門は後部にある旧式の砲塔に収められていた。その10年後には、左舷に小さなアイランド型の上部構造物が設けられ、飛行甲板は艦の全長にわたる形に大幅改造された。左舷のアイランドは、他の空母と共同で作戦を行う場合に、航空機を別々に収容する作業を容易に行えると期待されたが、結果的には着艦時の事故が右舷のアイランドよりもはるかに多くなった。

ミッドウェーでの最期

▲航海用のアイランドが左舷にある数少ない航空母艦の「赤城」は、標準のアイランドを有する「加賀」と縦列を形成して作戦を行うことができた。(資料提供:大和ミュージアム)

「赤城」は半姉妹艦の「加賀」とともに第1航空戦隊を編成し、南雲忠一中将の旗艦として真珠湾攻撃に参加した。さらに、他の空母を率いて東インドとインド洋における一連の航空作戦を遂行し、イギリスの空母「ハーミーズ」を撃沈。連合軍をジャワとスマトラから追放して、北部オーストラリアのダーウィンに迫ったのだった。
その後、1942年6月4日のミッドウェー海戦において、「赤城」の航空隊はミッドウェー島を攻撃。しかし、早朝に陸上基地雷撃機が甲板に飛び込んで軽い損傷を被ると、同日の10時22分には、さらに悪い事態に至った。アメリカ空母「エンタープライズ」の航空機の攻撃を受けて、2発の命中弾を受けたのである。まず、1,000lb(454kg)爆弾が格納庫に飛び込んで魚雷の弾頭を発火させ、それが破裂した給油管から噴出する航空燃料に引火。さらに、2発目の500lb(227kg)爆弾は、飛行甲板に駐機していた航空機を発火させ、30分もたたないうちに、火は手のつけられない状態にまで燃え広がった。南雲中将は指揮官旗を軽巡洋艦に移し、「赤城」は放棄されたが、さらに数時間あまり燃え続け、結局、駆逐艦に雷撃の命令が下されて「赤城」は沈んだのだった。

諸 元

▲第1航空戦隊の旗艦であった「赤城」は、ミッドウェー海戦でその波乱の生涯を終えたのだった。(資料提供:大和ミュージアム)

赤城
タイプ:艦隊空母
排水量:(1941年)基準26,900 t、満載42,000t
寸法:全長261.2m、全幅29.0m、吃水8.1m
推進器:131,200馬力の蒸気タービンで4軸を駆動
速力:31kt(57km/h)
装甲:舷側127mm、装甲甲板(主甲板、下の2層の格納庫甲板)79mm
兵装:20cm砲10門、12cm連装対空砲6基(12門)。1935年から1938年の間に25mm連装対空機関銃7基(14挺)を追加
搭載機:(1942年6月)三菱零式艦上戦闘機21機、愛知九九式艦上爆撃機21機、中島九七式艦上攻撃機21機
乗員:1,297名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真] U.S. Navy

公開日 2013/06/26


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