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アリゾナ

【第61回】アリゾナ  <戦艦>


 アメリカ海軍の「アリゾナ」(BB-39)は、戦艦「ペンシルヴェニア」級の2番艦として、1914年3月に起工され、翌年6月に進水し、1916年10月に就役した。艦名はアメリカ合衆国48番目の州にちなむ。アリゾナは1941年12月7日の真珠湾攻撃沈没し、現在も湾の底に沈没状態で静態保存され、船体上にアリゾナ・メモリアルがある。

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船艦「アリゾナ」の誕生

デアゴスティーニ編集部

▲1916年にニューヨークのイーストリバーを航行する「アリゾナ」。

 1913年3月4日にアメリカ議会は「超弩級戦艦」である「ペンシルベニア」級戦艦2番艦の建造を認可した。「アリゾナ」は1914年3月16日にブルックリン海軍工廠で起工し、1915年6月19日にアリゾナ州プレスコットの名誉市民であるW・W・ロスの娘のエスター・ロスによって命名、進水した。
 「アリゾナ」は第一次世界大戦の末期に、イギリス大艦隊の一部である第6戦艦戦隊に加わるため大西洋を渡り、その後アメリカの兵士をフランスから本国に帰還させる際に支援を行った。1929年から1931年にかけて近代化改装を行い、1941年12月7日には、太平洋艦隊に所属して真珠湾の戦艦泊地についていた。
 「アリゾナ」の平時の活動は単調なものだった。1919年の4月から7月にかけて地中海へ短期間の航海をした後、アメリカ東海岸に戻り、1921年から8年間は太平洋艦隊に所属した。1929年に近代化改装を開始するためノーフォークに戻り、再就役に際しては西インド諸島への航海にフーバー大統領を乗せ、その後パナマ運河を通って太平洋艦隊に戻った。「アリゾナ」はその後、最後の時を迎えるまで太平洋艦隊で現役生活を送ることになる。

真珠湾

デアゴスティーニ編集部

▲真珠湾で大破炎上するアリゾナ。

 1941年12月7日に真珠湾に現れた日本軍機の第一波は、戦艦泊地の外側に「オクラホマ」、「ヴァージニア」および工作艦「ベスタル」、そして内側に「メリーランド」、「テネシー」「アリゾナ」および「ネヴァダ」の7隻の艦が停泊していたのを認め、苦もなく目標を識別することができた。1発の魚雷と、推定8発の爆弾が「アリゾナ」に命中し、火災と大量の浸水が発生した。最大の被害をもたらした爆弾は、午前8時10分に命中した725kg爆弾で、装甲甲板を貫通し、前部弾薬庫の中で爆発した。艦は係留された状態で爆発して沈没し、キッド少将およびヴァルケンバーグ大佐を含む1,104名の乗組員が死亡した。
サルベージ・チームが船体の引き揚げを試みたが、損傷が激しく修理は不可能であった。その後、2基の356mm 3連装砲塔が引き揚げられ、砲は沿岸防備用として陸上に据え付けられた。「アリゾナ」の船体は後に、真珠湾攻撃によって死亡した人々と失われた艦を追悼する国立記念施設とされることになった。現在はコンクリートの記念建造物が「アリゾナ」の残骸の上に建てられているが、付近の海面には、今でも燃料タンクから少しずつ油が漏れ出ていることを示す油膜が張っている。
 「アリゾナ」の姉妹艦「ペンシルヴェニア」(BB-38)は、真珠湾攻撃の際には乾ドックに入っており、1発の爆弾による軽微な損傷を被っただけで済んだ。修理と近代化改装の後、太平洋艦隊に戻り、1945年8月の日本降伏まで太平洋戦域で活動した。
 戦争終結の間際に、航空機が発射した魚雷によって損傷したが生き残り、1946年のビキニ環礁での原爆実験の標的として使用された。

諸 元

デアゴスティーニ編集部

▲真珠湾のアリゾナ・メモリアル。

アリゾナ(BB-39)
排水量:基準32,600t、満載36,500t
寸法:全長185.32m、全幅29.56m、吃水8.76m
推進器:ギアード蒸気タービンで出力33,500馬力を供給し、4軸を駆動
速力:21kt(39km/h)
装甲:舷側356mm、甲板203
mm、砲塔229〜457mm
兵装:356mm 3連装砲4基(12門)、127mm砲12門、127
mm対空砲12門、12.7mm対空機関銃8挺
搭載機:水上機3機
乗員:2,290名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/01/29


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