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ニュー・メキシコ

【第62回】ニュー・メキシコ  <戦艦>


「ニュー・メキシコ」は、アメリカ海軍の「ニュー・メキシコ」級戦艦のネームシップ。第一次世界大戦型旧式戦艦群の最終版で、艦名はアメリカ合衆国47番目の州にちなむ。速力は他の戦艦に比べ若干速く、対空兵装でも勝っていたが太平洋戦争での攻撃力は十分ではなかったため、近代化改修を受けた。

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デアゴスティーニ編集部

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「ニュー・メキシコ」級の1番艦

▲1921、アメリカ太平洋艦隊の旗艦となった「ニュー・メキシコ」。

 アメリカ海軍の「ニュー・メキシコ」(BB-40)は1915年10月14日、ニューヨーク州のニューヨーク海軍造船所で起工した。1917年4月13日に進水し、「ニュー・メキシコ」級3隻の1番艦となった。1918年5月20日に初代艦長アシュレイ・H・ロバートソン大佐の指揮下就役した。2番艦「ミシシッピ」(BB-41) は1917年1月に進水し、3番艦「アイダホ」(BB-42)が1917年6月に進水した。
 「ニュー・メキシコ」級は、「ペンシルヴェニア」級の356mm主砲12門など、それ以前の艦に見られる多くの特徴を取り入れて建造されている。また、クリッパー型の艦首を採用しており、これによって凌波性が著しく改善されていた。副砲は127mm砲14門で、これらは前甲板上や後甲板上ではなく、上部構造物に装備された。
 「ニュー・メキシコ」にとって最初の主要な航海となったのは、1919年のヴェルサイユ講和会議終了の後、フランスから帰国するアメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンを乗せた「ジョージ・ワシントン」の護衛であった。その年の7月、「ニュー・メキシコ」はアメリカ太平洋艦隊の旗艦となった。そしてその後の12年間に、太平洋、カリブ海および南アメリカを巡る数多くの航海を行い、1925年には、オーストラリアとニュージーランドへの航海を行っている。
 「ニュー・メキシコ」は、1931年3月から1933年1月にかけてフィラデルフィアで大規模な換装と近代化改装を行い、その後太平洋艦隊に戻った。この近代化改装によって艦の外観は大きく変わった。船体中部の前後にあった籠型マストは撤去され、より近代的なタワー型上部構造物に代えられた。さらに、船体には強力な魚雷防御が施され、船体中部のバルジは32.3mに広げられた。これらによって排水量は1,000t増加した。

戦時の活動

▲1935年、 ハワイの真珠湾に停泊する「ニュー・メキシコ」。

 1940年にアメリカと日本の政治情勢が悪化したことを受けて、「ニュー・メキシコ」は真珠湾へ急遽派遣された。1940年12月6日から1941年5月20日まで母港は真珠湾であった。しかし、ドイツがヨーロッパ全域に占領地域を拡大し、ヨーロッパ大西洋岸のいくつかの重要な港を占領したため、「ニュー・メキシコ」は大西洋艦隊に配属換えとなり、ヴァージニア州ノーフォークを基地とする中立的な哨戒に従事した。
 1941年12月の日本による真珠湾攻撃の後、「ニュー・メキシコ」は太平洋艦隊配属になり、太平洋戦域での哨戒を開始するため、1942年8月1日にサンフランシスコを出港してハワイへ向かった。1942年には、北太平洋のアッツ島封鎖とキスカ島砲撃に参加し、その後改装のためワシントン州ピューゼット・サウンド海軍造船所に戻った。
 1943年10月からは真珠湾に帰り、太平洋の哨戒を再び開始した。輸送船団および空母戦闘群を護衛し、日本の攻撃に対する有効な防空力を提供した。1944年6月19日〜20日にはマリアナ沖海戦に参加し、7月12日には、7月21日のグアム島侵攻のための準備として、日本軍陣地に対する艦砲射撃を行った。同島の敵陣地に対する砲撃は7月30日まで続いた。
 1944年の8月から10月までの間に、「ニュー・メキシコ」はワシントン州ブレマートンにおいて大規模なオーバーホールを行った。フィリピンのルソン島侵攻に際しては、1945年1月6日に特別攻撃機の体当たり攻撃を受けたが、損傷を修理して砲射撃を続けた。1945年5月12日、沖縄本島南西部の錨地において、2機の特別攻撃機の攻撃を受けた。艦は炎上し、54名の乗組員が死亡し、119名が負傷した。「ニュー・メキシコ」は、1945年9月2日の日本の降伏調印に立ち合うため、フィリピン海にあるサイパン島を8月28日に出港して東京湾まで航海した。退役したのは、1946年7月19日で、ボストン到着の2年と4日後に、ニューヨーク市のリプセット社にスクラップとして売却された。「ニュー・メキシコ」は、第二次世界大戦中の活躍に対して6個の従軍星章を受章した。「ニュー・メキシコ」は、第二次世界大戦中の活躍に対して6個の従軍星章を受章した。

諸 元

▲日本の降伏調印に立ち合うため東京湾に停泊する「ニュー・メキシコ」。

ニュー・メキシコ (BB-40)
排水量:32,000t
寸法:全長190m、全幅32.3m、吃水9.1m
推進器:ターボエレクトリック2基で出力27,500馬力を供給し、4軸を駆動
速力:21kt(39km/h)
兵装:356mm 3連装砲4基(12門)、127mm砲14門、76.2 mm砲4門、533mm魚雷発射管2基
乗員:1,084名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/02/27


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