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MASボート

【第64回】MASボート  <魚雷艇>


 MASは、イタリア海軍の魚雷艇である。20–30トンの船体を10名前後の乗員で運用し、魚雷2発と機銃で武装していた。第一次世界大戦において、MAS-15がオーストリア・ハンガリー帝国海軍の戦艦「セント・イシュトヴァーン」を撃沈したことが、最大級の戦果として知られている。

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信頼性のある高速艇

▲第一次世界大戦期のMAS-96。ヴィットゥリアーレ蔵。

 第一次世界大戦中、イタリアは数多くの小型高速魚雷艇を運用した。これらは寸法が小さく航続距離も短かったが、イタリアにとっての主たる敵は隣国のオーストリア・ハンガリー帝国であったので、問題とはならなかった。イタリアは魚雷艇を大胆かつ独創的に運用し、戦艦「ウィーン」と「セント・イシュトヴァーン」を撃沈するという目覚ましい戦果を挙げることができた。第一次世界大戦後、他国が魚雷艇への関心を失ったのとは対照的に、イタリア海軍はMASボート(高速魚雷艇)の開発を続行したが、適切なエンジンが入手できず好結果を残すことはできなかった。これらのボートは、船体の寸法と重量を節約するため、通常の発射管ではなく450mm魚雷を直接落下する装置を搭載していた。
 1930年代中期、イタリアは、信頼性のある高速艇を建造することができるようになったが、これはひとえに優れたイソッタ・フラッシーニ・ガソリン・エンジンが大量生産されたおかげであった。これらはMAS-500シリーズで、初期型の全長は17m、後期型は18.7mのしっかりした構造で舷側が二段になった船体であった。第一次大戦終結後も開発は続けられた。第二次世界大戦当時には速力45ノットに達し、1937〜41年に75隻が完成し、1940年6月の時点でその3分の2が実用配備されていた。また、旧式のMASは、イタリア領東アフリカ等の脅威度の低い戦線へ配備された。

MASボートからMSボートへ

▲第二次世界大戦中、地中海を走るMAS。

 第二次世界大戦では、イギリス海軍の軽巡洋艦ケープタウンをマッサワ沖で雷撃し損傷させたことや、黒海で浮上中あるいは停泊中のソ連赤色海軍の潜水艦数隻を撃沈したことがあり、またイギリス海軍の輸送船の阻止にも活躍している。しかし、MASはアドリア海での活動には十分であったが、地中海で行動するには小さすぎると判断された。地中海における戦いに関する限り、MASボートは耐航性、防御武器、酷使に耐える能力などの面で多くの問題点があげられたのだ。
 1941年4月、イタリア海軍は、ユーゴスラビアの28m艇6隻を捕獲した。これらのガソリン・エンジン推進ボートは、ドイツの標準的なSボート設計に沿って1936〜37年に建造されながら、運用されていなかったものである。だが、イタリア海軍が独力で運用可能な状態に整備すると、ただちにその寸法と排水型船体の利点を発揮した。
その結果MASボートは放棄され、イタリア海軍は、魚雷艇として、代わりにモトシルランティまたはMSボートとして知られる、Sボート(高速艇)の完全コピー36隻を完成させた。
 防御をスピードに頼る傾向の強かったイタリア海軍は、MSボートに装甲を施さず過剰な武器を積んだ。搭載したガソリン・エンジンに問題があったため、ドイツがダイムラー・ベンツ・ディーゼルと後期S-38型の図面を提供することに同意したが、それらを活用するには時期があまりに遅かった。1943年9月の停戦時までに進水した船は1隻もなかった。

諸 元

MASボート(後期建造モデル)
排水量:24〜28t
寸法:全長18.7m、全幅4.7m、吃水1.4m
推進器:ガソリン・エンジン2基で出力2,200馬力を供給し、2軸を駆動
速力:42kt(78km/h)
航続距離:速力42ktで650km
兵装:450mm魚雷2発、機関銃1挺
乗員:10名

(この記事はワールド・ウェポン<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真]U. S. Army/U.S. Marine Corp

公開日 2018/04/24


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