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戦闘爆撃機となった六二型

【最終回】戦闘爆撃機となった六二型


一一型として制式採用されて以来、海軍の主力戦闘機の座を守り続けてきた零戦も、アメリカが性能を向上させた新型戦闘機を投入してくる状況の中で、空中戦で互角に戦うのは難しくなった。そこで旧式化した艦上爆撃機の代替として爆弾投下装置を備えた六二型及び六三型が生産された。六二型は零戦が、もはや主力戦闘機ではなくなったことの証ともいえる型だった。

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爆装された零戦

デアゴスティーニ編集部

横から見た六二型。本型は零戦を艦爆の代替機、および特攻機として使うために生産した型だった。

1944(昭和19)年になると旧式化した九九式艦上爆撃機は、アメリカ戦闘機の迎撃と艦隊の対空射撃のため、敵艦に接近することすら困難になっていた。新型の彗星艦爆が登場していたが、同機は小型空母での運用が困難だったため、代役として、零戦に250kg爆弾を懸吊した戦闘爆撃機(爆戦)が登場したのである。これは、二一型に特設爆弾懸吊架を装備したものだった。日本海軍は、運動性能のよい零戦二一型なら、たとえ旧式化したとはいえ九九式艦爆より速度が速く、損害が少ないと考えたのである。
爆戦は1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦から本格的に投入されたが、この時はアメリカ軍のF6Fヘルキャットに阻まれ、ほとんど戦果を挙げることができなかった。しかし10月のフィリピン攻防戦で体当たりによる神風特別攻撃が初めて実施され、次第に特攻が頻繁に行われるようになると、爆装可能な零戦が注目されたのである。そこで海軍は、当初は艦爆の代用となる戦闘爆撃機として、試作途中からは特攻機として、爆装を前提とした零戦の開発を命じた。こうして、胴体下に増槽と爆弾兼用の懸吊架を常装備した六二型が開発され、1945(昭和20)年春から生産が始まったのである。

本格的な戦闘爆撃機型

デアゴスティーニ編集部

中島飛行機の小泉工場と思われる建物の前に駐機中の六二型。胴体下と主翼下面に、生産時から爆弾懸吊架を装備している。

主力戦闘機ではなく爆撃機の代わりを務めることになった六二型は、五三丙型を基にして戦闘爆撃機化したものである。このためエンジンも、五三丙型で装備予定だった水メタノール噴射装置付の「栄」三一型にするはずだったが、実際には「栄」三一型の出力向上がわずかだったため、五二丙型と同じ「栄」三一甲型を搭載することになった。しかし実際には、「栄」三一甲型と二一型のどちらのエンジンを装備してもよいことになっていた。六二型が時として六三型と呼ばれるのはこのためである。
六二型の最大の特徴は、生産時から250kg、または500kgの爆弾と増槽のどちらも懸吊できる懸吊架を装備していたことだった。胴体下に爆弾を懸吊する場合、従来小型爆弾を懸吊していた主翼下面に、統一型二型と呼ばれる200リットル入りの落下増槽を懸吊できるようにした。この増槽に、爆弾を懸吊することで懸吊できなくなった分の燃料を充分に補うことができた。また、胴体下に爆弾を懸吊しない場合は、従来通り統一型三型と呼ばれた300リットル入りの増槽を懸吊することが可能だった。
六二型は、基本的には爆弾懸吊架以外は五三丙型と同じだが、爆弾を懸吊して降下爆撃を行うことを前提としたため、いくつかの改良点があった。外見上ではほとんど分からないが、大きな改良点は水平尾翼の強化である。水平尾翼は降下からの引き起こしに耐えられるよう、水平安定板が補強され、胴体への取り付け部分も強化された。また胴体後部の強度も高められ、戦闘爆撃機としての使用に耐えられるようにされた。
五三丙型が基ではあったが、ポリ・ビニール・アルコール系樹脂を基に開発された合成繊維のカネビアンを使用した防弾タンクは採用されなかった。当初の計画では五三丙型と同じように防弾タンクを装備するはずだったが、カネビアンの生産が進捗しなかったこともあり、従来までと同じ燃料タンクを装備することになったのである。
もうひとつ、六二型が防弾タンクを装備しなかった理由には、当時アメリカ軍が上陸し、沖縄攻防戦が始まっていたことが関係したという話もある。九州南部から発進して沖縄のアメリカ軍を攻撃するには、容量が少なくなる防弾タンクでは航続距離が短くなるため、六二型はあえて防弾タンクなしで生産されたというのだ。

最後の量産型

デアゴスティーニ編集部

広島県呉市の大和ミュージアムに展示されている六二型の復元機。同型は、戦闘爆撃任務、および特攻用に生産された。

このようにして1945(昭和20)年春から量産が始まった六二型は、本来の計画通り艦爆を補う艦上戦闘爆撃機として使用されることはほとんどなかった。既に日本海軍の空母部隊は廃止され、航空攻撃のほとんどが特攻と化していたからである。もっとも、六二型の配備が進んだ頃には、沖縄攻防戦が終息しつつあったため、その多くは通常部隊に配備され、本土決戦に備えたまま終戦を迎えた。
六二型は1945(昭和20)年8月の終戦までに、三菱重工と中島飛行機で1,000機ほどが生産された。六二型は次に計画されていた六四型が量産されずに終わったため、零戦の最後の量産型となった。

【コラム】主流となった戦闘爆撃機

デアゴスティーニ編集部

六二型の胴体下面爆弾懸吊架。爆弾懸吊架は生産時から装備され、250kg、または500kg爆弾を懸吊することができた。 六二型の主翼下面。胴体下に爆弾を懸吊した場合は、主翼下面に200リットル入りの増槽を装備した。

零戦が爆弾を積むようになった頃には、アメリカ、イギリス、ドイツなどでも爆装した戦闘機が登場していた。その理由は日本と同様に、爆撃機が敵の戦闘機に撃墜されることが多くなり、爆撃任務を達成し難くなっていたことにある。また戦闘機のエンジン出力が増大した結果、戦闘機に軽爆撃機と同程度の250kgから500kg爆弾を搭載できるようになったという要因もあった。
戦闘爆撃機として使用された戦闘機には、零戦のようにやや旧式化した戦闘機が転用される場合と、主力戦闘機が使用される場合があった。旧式化した戦闘機を爆装させた例としてはアメリカのP-39エアラコブラやカーチスP-40、イギリスのハリケーンなどがある。これに対してドイツのフォッケウルフFw190やアメリカのF4Uコルセア、リパブリックP-47などは主力戦闘機を爆装させたケースである。どちらの場合も戦闘爆撃機として使用される条件は、機体の頑丈さと搭載量の大きさであった。中でもアメリカのP-47は、1トン以上の爆弾やロケット弾を装備してドイツ軍の地上部隊を攻撃するのに活躍した。
結局、第2次世界大戦後半からは、戦闘爆撃機が主流となった。この傾向はその後も続いており、現代の戦闘機はほとんどが戦闘爆撃に適した仕様になっている。

スペック

零式艦上戦闘機六二型(A6M7)
全幅:11m
全長:9.121m
全高:3.57m
自重:2,050kg
全備重量:3,000kg
最高速度:時速543km
上昇力:高度8,000mまで9分58秒
エンジン:中島「栄」三一甲型空冷複列星型14気筒(1,130馬力)
実用上昇限度:11,050m
航続距離:1,520km
武装:20mm機銃2挺、13mm機銃3挺、胴体下に250kg爆弾または500kg爆弾1発、主翼下に60kg爆弾2発または30kg三号爆弾4発

公開日 2014/11/28


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