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「栄」一二型エンジン

【第2回】零戦を名機にした「栄」一二型エンジン


十二試艦上戦闘機(後の零戦)は当初、三菱の「瑞星」一三型エンジンを装備していたが、海軍の命令によって試作途中から中島飛行機製の「栄」一二型エンジンを装備することになった。このエンジンとの出会いによって、零戦の優れた性能が引き出されたのである。小型軽量で良好な燃費と優れた耐久性。零戦のエンジンに求められた厳しい要求性能をクリアする開発力は、そのまま戦後日本の産業にも受け継がれるのである。

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中島飛行機エンジン史

デアゴスティーニ編集部

編隊を組んで飛行する一一型。零戦は、「栄」一二型エンジンとの出会いによって優れた性能を発揮し、日中戦争でデビューすると、圧倒的な強さを見せつけた。

中島飛行機のエンジン開発は、三菱重工業と同様に、外国製エンジンの模倣と技術導入からはじまった。中島は1924(大正13)年にフランスのロレーヌ社から液冷W型12気筒エンジンのライセンスを購入し、これを初期のエンジン生産の主力としたのである。しかし、三菱のイスパノ・スイザ社のライセンス生産エンジンと同様、信頼性は低かった。そこで中島は、1925(大正14)年にイギリスのブリストル社からジュピター6エンジンのライセンスを購入し、これを契機として三菱より先に空冷エンジンへの転換を図ったのである。
ジュピター6エンジンは、当時最先端といわれた単列星型9気筒エンジンで、高い信頼性と実用性を誇っていた。中島はジュピターエンジンの生産経験と、アメリカのプラット&ホイットニー社との技術提携により、1930(昭和5)年、日本初の国産設計エンジンNAH(中島の社内略号)を開発したのである。このエンジンは、海軍では「寿」という名称で制式採用されて九六式艦上戦闘機に、陸軍では「ハ1(ハは発動機を示す陸軍の略記号)」という名称で九七式戦闘機に搭載された。NAHの開発で高い信頼を得た中島は、その後国産エンジンの開発・製造に注力していったのである。
次いで中島は、アメリカのライト社の技術を導入し、後に九七式艦上攻撃機に採用される星型9気筒エンジン「光(中島の社内略号ではNAP)」を開発した。これによって中島は、「寿」と「光」を柱とする国産エンジンの生産体勢を築き、当時新型エンジンがことごとく不調だった三菱を凌いで、エンジン生産の最大手メーカーとなったのである。

「栄」エンジンの開発

「寿」の完成後中島は、出力増大と空気抵抗の減少による高速化を狙った小型次世代エンジンとして、複列多気筒エンジンの開発に取り組んだ。当時、航空業界では空冷星型エンジンは単列から複列に移行しつつあり、中島でも「光」の開発と前後して、「寿」を複列14気筒化したNALの製作を進めたのである。1933(昭和8)年に完成した試作エンジンは、陸軍に「ハ5」として採用され、九七式重爆撃機に搭載された。しかし、艦上戦闘機用としては大型であったため海軍には採用されず、海軍式の漢字の通称を得ることはできなかった。そこで中島は同年、より小型のエンジンNAMの開発をはじめた。
中島が小型化に苦悩していた頃、三菱は1935(昭和10)年に中島の単列星型9気筒エンジンよりも小型の、複列星型14気筒エンジン「金星」の開発に成功した。続いて翌年、この開発で得た技術を取り込み、より小型の「瑞星」の開発に着手し、同年7月には第一号基を完成させたのである。
新エンジンの開発で三菱に遅れをとっていた中島だが、1936(昭和11)年ついにNAMを完成させた。「瑞星」よりもボア10㎜、重量12㎏を減らし小型・軽量化に成功したことに加え、「瑞星」が875馬力だったのに対し、NAMは小型でありながら 950馬力のパワーを発揮したのである。そして1939(昭和14)年、海軍が「栄」として、さらに陸軍が「ハ25」として制式採用した。その後、「栄」は海軍の零戦をはじめ、陸軍の一式戦闘機「隼」などにも搭載され、3万台を超える日本最多の生産量を誇る航空機用エンジンになるのである。

自動混合気調整装置の採用

デアゴスティーニ編集部

シリンダーを全て外した状態の「栄」一二型エンジン。零戦は信頼性の高い「栄」エンジンとの出会いにより、優れた性能を発揮した。

「栄」を制式採用した海軍は、十二試艦上戦闘機に搭載されていたエンジンを試作途中で「瑞星」から「栄」に変更するよう命じた。「栄」は小型、軽量であることに加え、高い信頼性と燃費の良さを誇っていたからである。
しかしそんな「栄」も、開発初期にはシリンダーの異常燃焼という問題に悩まされた。地上ではエンジンの回転は快調だが、高度を上げると異常燃焼を起こし、最悪の場合にはエンジンのピストンが焼き付いたのである。これは、空気が薄い高度へ上昇すると、シリンダー内部の燃料が空気に対して濃くなり過ぎる「混合気燃料過濃」が原因だった。そのため、混合気である空気と燃料の比率を適正に保つ必要があったが、飛行機を操縦しながら手動で操作することは不可能と考えられた。そこで中島は、混合気の濃度を高度に合わせて適正に保つ自動混合気調整装置(A.M.C)を開発し、「栄」に装着した。これによって問題が解決した「栄」は、十二試艦戦搭載の命を授かったのである。
採用された「栄」一二型エンジンは、気化器空気取り入れ法が昇流式だったため、その取り入れ筒などを配置するため、機首の形状を大きく変える必要があった。取り入れ筒はカウリング下部に移り、潤滑油冷却器用のそれと一体化したような形になったのである。
零戦の空力的に優れた軽量な機体に、「栄」一二エンジンはベストマッチした。同エンジンは、一一型、二一型に搭載され、デビューした日中戦争から太平洋戦争の初戦にかけて無敵ともいえる活躍を見せたのである。また、故障が少なく燃費の良い「栄」は、最前線での簡単な整備でも快調に回転し、零戦の稼働率を高めた上、驚異的な長距離進攻に貢献したのであった。

テクノロジー ─ 日米のエンジン格差

デアゴスティーニ編集部

「栄」一二型は本体が黒く塗装されていたが、同二一型の途中から工程簡略化のため、塗装は行われなくなった。

太平洋戦争中の日本の航空エンジンは、1,000馬力級エンジンまで、アメリカと性能の差はなかったといわれている。しかし、実際には、歴然とした差があった。
まず設計面では、日本製エンジンは、「栄」をはじめとしてクランクシャフトを一体成形とするなど、アメリカ製より進んでいる部分があった。しかし設計が進んでいれば、性能が優れているとは限らない。その象徴といえるのが、エンジンの潤滑油漏れである。アメリカ製は高い工作精度により油漏れがほとんどなかったのに対し、日本製は潤滑油漏れが頻発したのである。そのため、整備員に負担を強いることとなり、整備面でアメリカ製に劣った。
つまり、日本製のエンジンは、設計面では優れていたが、製品レベルではアメリカ製に及ばなかった。エンジンには、優れた設計はもちろんのこと、基礎産業全体の広がりが必要なのである。
ちなみに、「栄」の基になった「寿」エンジンは、イギリスのブリストル社とアメリカのプラット・アンド・ホイットニー社のエンジンの影響を受けているといわれる。ブリストル社からライセンスを購入したジュピターエンジンは、第1次世界大戦末期に設計され、改修を重ねて性能を向上させて、完成度の高いエンジンとなった。そのため、日本以外のいくつかの国でもライセンス生産されている。また、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー社では、「栄」と同じ空冷星型複列エンジンとして、通称ツインワスプエンジン、R-1830が有名だ。
アメリカ側には、「栄」エンジンをプラット・アンド・ホイットニー社のエンジンのコピーだとする主張もあるようだが、直径が小さいことや空気抵抗を減らす工夫などが凝らされており、単純なコピーとは言えないのである。

スペック

中島飛行機「栄」一二型
冷却方式:空冷
形式:星型複列
シリンダー数:14
シリンダー内径:130㎜
シリンダー行程:150㎜
エンジン直径:1,150㎜
エンジン重量:530㎏
排気量:27.9リットル
離昇出力:940馬力
公称出力:950馬力(高度4,200mで)
回転数:離昇2,550回転/分、公称2,500回転/分
減速比:0.6875
過給方式:1速
燃料供給方式:気化器使用

公開日 2014/01/28


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