DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン

零戦の原型、十二試艦戦

【第3回】零戦の原型、十二試艦戦


1937(昭和12)年に十二試艦上戦闘機として開発が始まった新戦闘機(後の零戦)は、1939(昭和14)年に試験飛行にこぎつけた。しかしそこに至るまでには、海軍の厳しい性能要求に応えるべく研究を重ねた、三菱技術陣の並々ならぬ努力があった。

ブラボー1 お気に入り登録0   ブラボーとは


新戦闘機への苛酷な要求

日中戦争勃発直前の1937(昭和12)年5月19日、「十二試艦上戦闘機計画要求書案」として三菱(三菱重工業株式会社)と中島(中島飛行機株式会社)に示された新戦闘機計画は、10月5日に正式な計画要求書として、日本海軍航空本部から交付された。その前年に、全金属製で低翼単葉翼、しかも世界に先駆けて沈頭鋲を採用した九六式艦上戦闘機が制式採用されて、技術評価が高まっていた日本の航空業界であったが、この新戦闘機に対する要求は厳しいものであった。
九六式艦戦の優れた旋回性能を落とすことなく、速度は毎時70km以上速い時速500kmを発揮し、さらに航続時間を倍以上の巡航速にて6時間以上にした上で、20mm機銃2挺を増備せよというものだったのだ。速度を増すためには小さな主翼と大出力のエンジンを組み合わせなければならないが、それでは旋回性能が低下する。さらに、大出力のエンジンは燃費が悪化するため必然的に航続距離は短くなり、それを補う燃料タンクを大きくすれば、重量が増大して旋回性能がさらに低下する。このように、海軍の要求は矛盾に満ちたものであった。
特に速度と旋回性能は、物理的に決して相容れない要素だった。旋回性能を増すために翼面荷重を下げようとして大きな主翼を付ければ、抵抗と重量が増して速度が低下するからである。

極限にまで軽量化された機体

計画要求書が交付されると、三菱では、九六式艦戦と同じく堀越二郎技師を設計主務者として29名の技術者とその他の補助要員が開発に当たった。速度と旋回性能、ふたつの相反する性能を両立させることは、容易ではなかった。その難しさは、中島飛行機がこれらの要求は実現不可能として、開発を辞退するほどだったのである。この困難を乗り越えるため、堀越技師は機体の形によって空気抵抗を減らす他、機体を極限まで軽量化することを目指した。
通常でも航空機は機体を軽量化し、無駄な重量を減らして設計されるが、十二試艦戦では、強度の限界ギリギリまで軽量化が図られた。機体の骨組みは、「肉抜き穴」と呼ばれる穴を各所にあけ、外板は九六式艦戦よりも薄くした。さらに、開発されたばかりの「超々ジュラルミン(ESD)」を主翼の主桁材として採用したのである。超々ジュラルミンは、超ジュラルミンに亜鉛を加え、銅の含有率を減らしてマグネシウムを増やしたもので、より軽く強度のあるものだった。
1グラムの無駄も見落とさないという考えのもとで、徹底的な軽量化が図られたが、これは結果的に零戦の弱点を作った。要求された性能を満たすためには仕方のないことであったが、外板の薄さや骨組みの軽量化は、急降下時の制限速度を低下させ、太平洋戦争を通じて、急降下で逃げる敵戦闘機を追うことができなかった。また機体を軽量小型にするため、エンジンに大型の「金星」ではなく小型の「瑞星」が選ばれたが、その後の改良と発展性の面ではマイナスとなった。アメリカ軍が2,000馬力級の新型戦闘機を開発したのに対し、後れをとったのである。
しかし、後々のことはともかく、速度と旋回性能、航続距離についての要求をバランス良く満たした、優れた戦闘機が誕生したのである。

1号機の試験飛行

デアゴスティーニ編集部

順調に進められていた開発だったが、試作2号機が空中分解して墜落した。事故機の破片は徹底して拾い集められ、原因が追究された。

さまざまな努力の結果、試作1号機は、1939(昭和14)年3月16日に完成した。4月1日に岐阜県の各務原飛行場で試験飛行した1号機は、旋回性能に問題はなかったものの、ガソリンを満タンにし、実弾を装填する実戦では、速度が要求の時速500kmに届かない可能性があることが分かった。また機体に振動が発生したため、技術陣は当初の2枚プロペラを3枚プロペラに変更することにした。これによって振動は収まったものの、依然として速度性能にはやや不満が残った。このため海軍は、3号機は、三菱の「瑞星」よりもやや強力な中島の「栄」エンジンを装備するように命じ、「瑞星」装備型をA6M1、「栄」装備型をA6M2とすることにした。
試作1、2号機は後の零戦と比べると、胴体がやや短く、水平尾翼の位置が低いのが特徴である。また垂直尾翼もやや小型なため、二一型や五二型とは若干異なるスタイルをしていた。
エンジンの変更以外は順調に試験飛行を続けていた十二試艦戦だったが、1940(昭和15)年3月11日、急降下試験中の2号機が空中分解を起こして墜落し、操縦していた海軍の奥山工手が死亡するという事故が起きた。この事故は、昇降舵の操作時にバランスを取るためのマスバランス(当時は平衡重錘と呼ばれた)という部品が脱落し、昇降舵がフラッターという、はためくような振動を起こしたことで発生したものだった。事故後、マスバランスの取り付け強度を増す改良が施され、十二試艦戦は安定した機体となったのである。

スペック

デアゴスティーニ編集部

試作1、2号機は、水平尾翼の位置が低かった。垂直尾翼の方向舵取り付けラインは、上端まで一直線となっていた。 また、主翼の主桁には、より軽くて強度のある超々ジュラルミン(ESD)が使われた。後部の胴体は、後の零戦と比べると短く、尾翼付近が細かった。

十二試艦上戦闘機(A6M1)
全幅:12m
全長:8.79m
全高:3.49m
自重:1,652kg
全備重量:2,343kg
最高速度:時速491km
上昇力:6,000mまで7分17秒
航続距離:約3,000km
実用上昇限度:10,080m
発動機:三菱「瑞星」一三型(離昇出力780馬力)
兵装:20mm機銃2挺(翼内)、7.7mm機銃2挺(胴体)、30kgまたは60kg爆弾2発

公開日 2014/02/25


ブラボー1 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。