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翼端が特徴的な三二型

【第5回】翼端が特徴的な三二型


零戦は、二一型の採用直後から性能向上が図られ、太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年7月には、三二型が登場した。同型は、エンジンの換装や主翼の改造などを行い、速度は向上したが、航続距離が低下した。この航続距離の低下は、翌年8月7日に始まったガダルカナル島の攻防戦で、大きな欠点となった。

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エンジンの換装

デアゴスティーニ編集部

ラバウル東飛行場に駐機する第二〇四航空隊所属の三二型。1943(昭和18)年5~6月頃の撮影。切り詰められた主翼翼端の形状がよく分かる。

零戦は、二一型が1940(昭和15)年12月に採用された直後から、新型の「栄」二一型エンジンを装備する改良型、零式二号艦上戦闘機(三二型)の開発が始められた。「栄」二一型は、一二型の950馬力を約20%向上させた1,130馬力で、換装によって速度性能の改善が図られたのである。さらに「栄」二一型は、効率よく空気を取り入れ、高高度でも出力を維持できる2速過給器を装備していたため、高高度性能の向上も期待された。
エンジン換装に伴って零戦三二型は、機首周りの形状が大幅に変更された。エンジンを覆うカウリングは再設計され、「栄」二一型の気化器が降流式に変わったのに伴って、その空気取入口もカウリング上部に開口した。そのため、カウリングは上方に膨らんで丸味を帯びた。機首の7.7mm機銃の銃口も、溝状にへこんでいたのを、カウリング前面上部に銃口が開く形に改めるなどした結果、三二型の機首は二一型と大きく異なる印象となった。エンジンの出力が増えたので、プロペラもそれに対応するため、零戦二一型の直径2.9mから15cm大きい直径3.05mへ変更された。
また、エンジン換装に伴って、機体内部の構造も改造された。「栄」二一型は一二型に比べて全長が15cmほど長く、重量も約90kg重いので、バランスを取るためにエンジン取付架を185mm後退させたのである。このため、エンジンと操縦席の間にあった胴体内燃料タンクの容量が、138リットルから60リットルへと半分以下に減り、航続距離の低下を招いた。

主翼の改良

デアゴスティーニ編集部

南方戦線基地から発進する三二型。11mに切り詰められた翼端が角形に整形されている。

三二型で、エンジンの換装と並んで大きく変わったのが主翼だった。二一型は、翼端に折り畳み装置があり、翼幅12mの主翼左右両端が、50cmずつ畳めるようになっていた。三二型ではその部分を廃止して、翼幅11mにし、さらに翼端を角形に整形したのである。これにより、空母艦上での運用が楽になると同時に、空気抵抗が減って速度性能も向上すると考えられた。ちなみに、零戦の開発において、1グラムの軽量化に苦心したにもかかわらず、何故、当初から主翼幅を11mにしなかったのかという疑問があるかもしれないが、これは、設計の基本は軍から要求された特性に沿って、重量や寸法のバランスが決まるからである。零戦に求められた性能要求は、九六式艦上戦闘機と同等の運動性能を求める厳しいものだった。それを実現するため、重量に見合う翼面荷重の数値が割り出され、翼の面積は22・となり、それに釣り合う翼幅として12mが必要だったのである。三二型ではこの“足かせ”がなくなったため、翼幅11mが可能となった。
また、三二型の主翼に装備された20mm機銃は、九九式一号固定機銃三型だった。二一型は当初一型を装備していたが、ドラム式の弾倉が60発入りだったため、すぐに弾が切れてしまう問題があった。そこで、100発入りドラム弾倉の三型を開発して採用し、二一型の後期生産機から更新したのである。弾倉が大型化したため、主翼下面には、弾倉のはみ出しを覆うための、水滴状のふくらみが設けられた。
構造面では、重量増加に対応して桁が強化された。その結果、急降下時の制限速度も若干向上した。さらに補助翼の長さを3.238mから2.9mに、約30cm短縮し、フラップを長くした。
主翼内の燃料タンクは、胴体内タンクの減少分を補うために大型化し、左右各30リットルずつ増やした。これらの改良点を総合すれば、零戦三二型は、二一型の性能を上回ると計算された。
短くなった航続距離
海軍は、テストの結果を見て量産の意義があると判断し、三菱に対してその準備を命令、1942(昭和17)年6月から量産機が完成し始めた。しかし実際には、速度は二一型よりもわずか11kmしか向上せず、航続距離はエンジンの燃料消費率のアップと重量増加のために、1,000kmも短くなってしまった。三二型は空母部隊とラバウルなどの基地航空隊に配備されていったが、後にこの航続距離の欠点を露呈したのである。
8月には、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸して攻防戦が始まり、日本海軍は連日のようにラバウルからガダルカナル島まで往復約2,000kmを飛行して空襲を行った。しかし三二型は、これに参加できなかった。なぜなら、3,000km以上という長大な航続距離を誇る二一型ですら、ラバウルから出撃した場合、ガダルカナル島上空で15分ほどの空中戦を行うのがやっとだったからである。三二型の多少向上した速度性能は、ガダルカナル島の攻防戦では意味を持たなかったのである。
このため、三二型は実施部隊から敬遠され、結果的に三菱で343機が生産されただけで、生産を打ち切られた。

短くなった航続距離

海軍は、テストの結果を見て量産の意義があると判断し、三菱に対してその準備を命令、1942(昭和17)年6月から量産機が完成し始めた。しかし実際には、速度は二一型よりもわずか11kmしか向上せず、航続距離はエンジンの燃料消費率のアップと重量増加のために、1,000kmも短くなってしまった。三二型は空母部隊とラバウルなどの基地航空隊に配備されていったが、後にこの航続距離の欠点を露呈したのである。
8月には、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸して攻防戦が始まり、日本海軍は連日のようにラバウルからガダルカナル島まで往復約2,000kmを飛行して空襲を行った。しかし三二型は、これに参加できなかった。なぜなら、3,000km以上という長大な航続距離を誇る二一型ですら、ラバウルから出撃した場合、ガダルカナル島上空で15分ほどの空中戦を行うのがやっとだったからである。三二型の多少向上した速度性能は、ガダルカナル島の攻防戦では意味を持たなかったのである。
このため、三二型は実施部隊から敬遠され、結果的に三菱で343機が生産されただけで、生産を打ち切られた。

ガダルカナル島への飛行時間

ガダルカナル島攻防戦での航空攻撃は、進攻する零戦の搭乗員にとっては過酷なものだった。
根拠基地であるラバウルとガダルカナル島の間を、巡航速度の時速330kmで飛行すると、片道3時間強もかかる。午前8時にラバウルを発進するとすれば、ガダルカナル島上空に着くのは11時を過ぎ、空戦を行った後、また3時間かけて15時過ぎに帰還するというものだった。これは精神的にも肉体的にも、搭乗員に過度の負担を強いることになった。
零戦の搭乗員は、7時間近くも飛行する事になるため、弁当持参で出撃した。弁当にも工夫が凝らされ、おにぎりだけでなく、時折、海苔巻寿司なども用意されたという。飲み物はたいていサイダーかラムネだった。基地での食事も、搭乗員には卵などの加給食が付くなど、充分とはいえないまでも厚遇されていたが、同じ搭乗員が連日出撃するのは困難だった。
対してアメリカ軍は、ガダルカナル島で待ち構えていればよいため、負担が少なかった。警報が出てから迎撃発進したアメリカ軍のパイロットと、3時間以上飛び続けてきた零戦の搭乗員とでは、疲労が少ない分、アメリカ軍パイロットの方に利があった。

スペック

デアゴスティーニ編集部

プロペラは二一型の直径2.9mから15cm大きい3.05 mに。カウリングの機銃口は溝状にへこんでいたものを、カウリング前面上部に開く形に改めた。

零式艦上戦闘機三二型(A6M3)
全長:9.06m
全幅:11m
全高:3.57m
自重:1,807kg
全備重量:2,535kg
最高速度:時速544km
上昇力:高度6,000mまで7分19秒
エンジン:中島「栄」二一型空冷複列星型、14気筒(1,130馬力)
実用上昇限度:11,050m
航続距離:2,380km
武装:20mm機銃2挺、7.7m機銃2挺、30km爆弾または60km爆弾2発

公開日 2014/04/30


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