DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン

名列車図鑑~車両編成からディテールまで!

名列車図鑑~車両編成からディテールまで!

歴史に残る特急列車や急行列車の栄枯盛衰を、運転区間や編成の編成などを含め、多角的に紹介していきます。

「あさかぜ」

第1回 「あさかぜ」

「走るホテル」の異名をとった20系客車を用い、東京─九州間寝台特急のトップスターとなった「あさかぜ」。寝台特急列車の元祖的な存在として、半世紀にわたり活躍したその名は、今でも人々の心に鮮烈な記憶を刻んでいる。

「つばめ」

第2回 「つばめ」

特急「つばめ」——それは長く国鉄のシンボルとして君臨し、東海道新幹線が開業する以前はスピードアップの象徴でもあった。かつては最後尾に豪華な展望車が連結され、「つばめ」に乗ることが一種のステイタスといわれる時代もあった。

「出雲」

第3回 「出雲」

山陰本線では戦前から、大阪と神話の国・出雲を結ぶ優等列車が運転されていた。この「いずも」はのちに「出雲」と改称され、東京と島根県内を結ぶ代表的な優等列車として、準急から急行、そして特急へ昇進。「出雲」は2006年3月をもって廃止されたが、現在は後継の電車特急「サンライズ出雲」が伯備線経由で運転されている。

「はつかり」

第4回 「はつかり」

「はつかり」は、東北地方初の特急列車だ。運転開始当初の「はつかり」は蒸気機関車牽引の古めかしい客車特急だったが、昭和30年代中盤〜40年代にかけて気動車化、電車化が進み、昭和50年代は東北特急のエースとして君臨。平成14(2002)年の東北新幹線八戸開業により、惜しくもその名は消えている。

「はやぶさ」

第5回 「はやぶさ」

かつて東京〜西鹿児島間、約1500kmをロングランしていた特急「はやぶさ」は、鹿児島県へ乗り入れる初の特急としてスタートし、一時は日本一長い距離を走る寝台特急として全国に名を馳せた。

「とき」

第6回 「とき」

「とき」の愛称名は、かつて新潟県佐渡島に棲息していた国際保護鳥のトキ(朱鷺)が由来で、昭和37(1962)年6月10日から上野〜新潟間で運転を開始した上越線初の特急に付けられた。残念ながらトキそのものは国産種が絶滅してしまったが、列車の「とき」は在来線特急としての使命を終えた後も、上越新幹線にその名を残している。

「由布」

第7回 「由布」

久留米と大分を結ぶ久大本線は、雄大な由布岳や全国的にも名高い温泉リゾート地・湯布院を控えた観光路線だ。「由布」は、行楽列車として、昭和20年代からこの路線を走ってきた。

「北斗星」

第8回 「北斗星」

世紀の大事業であった青函トンネルの開通と同時に、「夢」といわれ続けた上野〜札幌間のブルートレインが実現した。一般公募で「北斗星」と名付けられたこの列車用のデラックス車両は、24系25型を改造してJR北海道とJR東日本が「競作」。寝台券が「プラチナチケット」と化すほどのブームを巻き起こしたのである。

「踊り子」

第9回 「踊り子」

首都圏と伊豆地方を結ぶ代表的な列車として長らく定着している特急「踊り子」。この列車は文字通り、伊豆を舞台にした川端康成の小説『伊豆の踊子』がその名の由来で、56.10改正でそれまでの特急「あまぎ」と急行「伊豆」を抱合する形で誕生した。そして「スーパービュー踊り子」が、伊豆特急の体質改善を図るため90.4に登場。以来、185系「踊り子」に代わる伊豆の看板スターとして君臨している。

「有明」

第10回 「有明」

昭和20年代後半、数少ない九州島内発着の優等列車として誕生したのが「有明」だ。昭和30年代までは準急として運転され、昭和40年代に入ると電車急行として一時的に本州まで顔を見せるようになったが、昭和42(1967)年には初の九州島内発着特急に昇格、昭和50年代は九州内の基幹列車として不動の地位を築いた。

「つばさ」

第11回 「つばさ」

奥羽本線初の昼行特急として登場した「つばさ」。は奥羽本線を代表する優等列車として高い人気を維持したこの列車には、一時は盛岡編成も存在していた。しかし東北新幹線が上野開業を迎えた60.3改正以後は奥羽本線内のローカル特急の色彩が濃くなる。そして92.7改正ではその名が山形新幹線へ転じることになった。

「おおぞら」

第12回 「おおぞら」

「海線」と呼ばれる室蘭本線には急行「すずらん」などの優等列車が存在したものの、昭和30年代前半まで特急未開の地だった北海道。そこに満を持して登場したのが北海道初の特急「おおぞら」だ。この「おおぞら」の名は、後に、振り子機構を用い一世を風靡した283系気動車を採用した列車名として、今も名高い。

「にちりん」

第13回 「にちりん」

九州の東半分を結ぶ日豊本線は鹿児島本線と並ぶ九州の一大幹線で、別府や宮崎など著名な観光都市が控える一方、「宗太郎越え」と呼ばれた直川〜市棚間の急勾配区間で名を馳せた線区でもある。この日豊本線に特急として君臨したのが「にちりん」だ。43.10改正以前は急行として運転されていたが、その期間はごくわずかで、特急としての活躍期間の方が圧倒的に長かった。

「宗谷」

第14回 「宗谷」

日本最北の街・稚内。北海道に憧れる人なら、誰でも立ち寄りたくなるこの地へは戦前から優等列車が運転されていたが、戦後の本格的運転は昭和30年代まで待たなくてはならなかった。「宗谷」は戦後初の宗谷線昼行急行として登場。最盛期は函館〜稚内間約600kmを半日かけて駆け抜ける宗谷本線の看板列車として名を馳せたが、現在はその座を特急「スーパー宗谷」に譲っている。

「ムーンライトながら」

第15回 「ムーンライトながら」

毎年、春、夏、冬に発売されてきた「青春18きっぷ」になくてはならない列車がこの「ムーンライトながら」だろう。快速列車ながら特急型の373系が使用されており、一部にはグループ向けのコンパートメント座席が設置されているなど、衰退するほかの夜行列車を尻目に、「青春18」族の御用達列車として根強い支持を受け続けてきた。

「だいせん」

第16回 「だいせん」

出雲大社で名高い島根県出雲地方を指向する列車は東京発着の「出雲」が代表格といえるが、関西発着の代表格はこの「だいせん」だった。その名は43.10改正で大阪と島根県各地を福知山線、山陰本線経由で結ぶ急行の総列車名として付けられたが、それ以前は、京都から山陽本線、伯備線を経由して大社へ至る列車に命名されていた。

「あいづ」

第17回 「あいづ」

「あいづ」の名は34.9改正で登場した喜多方〜仙台間の気動車準急に初めてつけられ、43.10改正を機に「やまばと」から分離された上野〜会津若松間の電車特急に召し上げられた。特急「あいづ」はJR移行後も数少ない上野発着の電車特急として生き残った。

国鉄時代のジョイフルトレイン~その1

第18回 国鉄時代のジョイフルトレイン~その1

旅のニーズが多様化しつつあった昭和50年代後半、鉄道は移動する手段から乗って楽しむ手段へと注目されるようになり、各地の国鉄に和式や欧風の改造車が相次いで登場した。これらは、客室が畳敷き、あるいはコンパートメント風であり、カラオケなどのAV設備を備えるのが一般的だったことから、一般車とは区別するため、俗に「ジョイフルトレイン」という総称を頂くようになった。

国鉄時代のジョイフルトレイン~その2

第19回 国鉄時代のジョイフルトレイン~その2

国鉄末期に登場したジョイフルトレインは、12系を種車にした和式客車が圧倒的に多く、14系はおもに欧風客車へ改造されることが多かった。電車のジョイフルトレインは少数派で、北海道では前面展望タイプのリゾート気動車が主流となっていた。

「あずさ」

第20回 「あずさ」

昭和41(1966)年以来、中央東線の看板列車として君臨してきたのが特急「あずさ」だ。現在、「あずさ」は山岳線区というハンディを抱えつつも、新線への切替えや振り子式のE351系、E257系の投入により80〜90km/h台にアップし、甲府系統の「かいじ」とともに、中央東線の特急ネットワークを支えている。

「雷鳥」

第21回 「雷鳥」

「雷鳥」の名は、富山県の立山周辺に棲息する特別天然記念物「ニホンライチョウ」がその由来で、まさしく北陸特急に相応しい愛称名だ。その「雷鳥」は、国鉄初の特急型交直両用電車により昭和39(1964)年から運転を開始した記念すべき列車で、昭和50年代は北陸本線で最大勢力を誇る電車特急に成長した。

「さくら」

第22回 「さくら」

戦前は「富士」と並ぶ看板特急として君臨し、九州入り後は東京〜博多間の「あさかぜ」と人気を二分する東海道・山陽本線のスターとなったのが特急「さくら」だ。

「ニセコ」

第23回 「ニセコ」

函館本線倶知安付近は、羊蹄山やニセコアンヌプリといった名峰に囲まれた「ニセコ積丹小海岸国定公園」の一地域として知られている。それにちなんで命名された列車が「ニセコ」だ。「ニセコ」の客車列車は、C62が最後まで重連牽引した列車としてSLファンの間で伝説を作った。

「房総急行」

第24回 「房総急行」

歴史に残る特急列車や急行列車の栄枯盛衰を、運転区間や編成の編成などを含め、多角的に紹介していきます。

「ひかり」

第25回 「ひかり」

昭和39(1964)年10月改正で華々しく登場した東海道新幹線「ひかり」。永年、東海道・山陽新幹線の代名詞として君臨していたが、品川駅が開業した03.10改正では本数の上で完全に「のぞみ」に凌駕され、「こだま」と並ぶバイプレイヤーとして運転され続けている。

「月光」

第26回 「月光」

昭和20年代後半から30年代後半にかけて、東京〜大阪間の夜を飾った夜行客車急行4人衆といえば、「銀河」「明星」「彗星」「月光」だった。そのなかで「月光」はもっとも遅く登場した列車で、昭和40(1965)年に一度はその名が消えるが、2年後には世界初の寝台電車581系を使った最初の特急として復活を果たし、寝台電車の歴史を語るうえで欠かせない存在となった。

「トワイライトエクスプレス」

第27回 「トワイライトエクスプレス」

「トワイライトエクスプレス」は青函トンネルブームに沸く北海道へ向けて、JR西日本が満を持して送り出した「乗ることを楽しむための列車」だ。24系25型からの改造を中心とする専用車両は、従来の寝台特急のイメージを覆す豪華列車としてセンセーションを巻き起こしたが、平成27年(2015)年3月12日、ついに引退の日を迎えることとなった。

24系「夢空間」

第28回 24系「夢空間」

「夢空間」とは、近い将来の新しい寝台特急像を確立すべく、平成元(1989)年3月に登場した豪華車両に与えられた愛称である。「横浜博覧会」に関連して展示されるという変わったデビューを果たしたのち、JR東日本の「スペシャルカー」として、未来の寝台特急を夢見て創造されたラグジュアリーな空間を演出した。

「ひばり」

第29回 「ひばり」

特急「ひばり」は、上野〜仙台間で最大15往復を数えた東北本線の顔であり、昭和50年代の電車特急をリードするエース的存在だった。豪華車両の連結といった派手な動きはなかったが、数とスピードで他を凌駕したその存在は、主役が東北新幹線に移った現在でもレールファンの脳裏から離れない。

「なは」

第30回 「なは」

戦後の沖縄県は、平成15(2003)年8月10日に沖縄都市モノレールが開業するまで、47都道府県の中で唯一鉄道のない状態が続いていた。そんな最中、沖縄の本土復帰への願いから、国鉄の特急に沖縄にちなんだ愛称名が付けられることになり、43.10改正を機に最も沖縄本島の近くを走る西鹿児島(現・鹿児島中央)発着の特急に、沖縄県の県庁所在地である那覇市にちなみ「なは」の名が付けられた。

「アルプス」

第31回 「アルプス」

おもに新宿〜塩尻〜松本間を結び、日本でも有数の山岳地帯を走るため、首都圏のクライマーやハイカー御用達の列車として名を馳せたのが「アルプス」だ。電車化後は165系を使用した電車急行の代表格となったが、相次ぐ特急列車増発のため、惜しまれながも平成13(2001)年12月に姿を消した。

「あさま」

第32回 「あさま」

「あさま」の名は、昭和41(1966)年に信越本線に初めて登場した電車特急に付けられたが、それ以前は新潟〜小諸間の気動車準急や上野〜直江津間の夜行客車準急に命名され、いずれも短命だった。特急に昇格してようやく「あさま」はその歴史を本格的に刻み始めたといってよいだろう。

「フラノエクスプレス」

第33回 「フラノエクスプレス」

北海道のジョイフルトレインとして知られた「アルファコンチネンタルエクスプレス」の成功は、道内の各リゾート地を刺激するところとなった。そのうち、動きが早かった富良野地区へ向けて、国鉄は2本目のリゾート気動車を走らせた。それが「スキーのメッカ」富良野へと走ったリゾートトレイン、「フラノエクスプレス」である。

「はまなす」

第34回 「はまなす」

ハマナスは北海道の砂浜に自生する紫紅色の花で、耐寒性が高いことから、北海道を象徴する植物として知られている。この名を列車名に戴いたのが、函館〜網走間のロングラン準急として登場し、現在JRにおいて客車を使用する唯一の夜行急行列車として残っている「はまなす」だ。

「まつかぜ」

第35回 「まつかぜ」

昭和30年代以前の山陰本線は長大な非電化単線ローカル線といわれ、優等列車のほとんどは地域間で細々と運転されているにすぎなかった。そんな状況に風穴を空けたのが「サン・ロク・トオ」改正で登場した特急「まつかぜ」だった。以前から運転されていた客車列車や気動車準急に混じって現れたクリームと朱色の鮮やかな80系特急型気動車は、当時の山陰地方の人々に大きなインパクトを与えたという。

「ひだ」

第36回 「ひだ」

東海道本線の岐阜と北陸本線の富山を結ぶ高山本線は、古きよき日本の情緒が残る飛驒地方を走る険しい山岳路線だ。昭和30年代に入ると全国的に気動車準急網が築かれるようになったことから、昭和33(1958)年、線内初の定期優等列車として気動車準急「ひだ」が登場した。

「みずほ」

第37回 「みずほ」

39.10改正前に登場した東京発着の九州特急の中で、名バイプレーヤーとしてその名を知られたのが「みずほ」だ。僚友である「あさかぜ」や「富士」と比べ「みずほ」だけはいち早く廃止され、「さくら」に統合されてしまったものの、その名は九州新幹線の列車名として現在にまで引き継がれている。

「北斗」

第38回 「北斗」

北の空にきらめく「北斗七星」から名を取ったという「北斗」は、常磐線経由で上野〜青森間を結ぶ北海道連絡急行にその名が付けられた。北への旅路のイメージにピッタリで、「北斗」が「ゆうづる」に変わっても、北海道で重宝され、函館〜旭川間の特急に命名された。現在はニューウェーブの「スーパー北斗」とともに、函館〜札幌間のメインルートで燦然と輝いている。

「かもめ」

第39回 「かもめ」

博多〜長崎間を中心に運転している特急「かもめ」は、運転系統こそ異なるが、戦前は東京〜神戸間に登場した第4の特急に「鷗」としてその名が付けられていた。戦後に入ると「かもめ」の名で京都〜博多間の客車特急として復活し、36.10改正で気動車化されたが、山陽新幹線博多開業を迎えた50.3改正で一度消滅した。現在の「かもめ」は51.7改正で小倉、博多〜長崎間の電車特急で復活を果たした3代目だ。

「日本海」

第40回 「日本海」

大阪〜青森間の日本海沿いを北陸本線〜信越本線〜羽越本線〜奥羽本線経由で結ぶ、いわゆる「日本海縦貫線」は、関西と東北をショートカットする重要な路線で、1000km以上におよぶ長距離列車が大正時代から運転されていた。太平洋戦争末期は急行列車の運転が中止されたが、戦後はいち早く復活し、後に「日本海」と命名。日本海縦貫線の夜の顏として活躍した。

「やくも」

第41回 「やくも」

出雲大社がある島根県出雲市周辺は、古くから神話の国として名高い。この「出雲」にかかる枕詞「八雲立つ」を列車名の由来に持つのが「やくも」だ。34.9改正で山陰本線西部と九州を結ぶ気動車準急として登場した「やくも」は、40.10改正で一躍、新大阪〜浜田間の気動車特急に抜擢され、以後、特急としての道を歩み始めた。47.3改正では伯備線を経由する岡山発着の陰陽連絡特急として定着した。

「つるぎ」

第42回 「つるぎ」

「つるぎ」の名は、立山連峰北部に位置する標高2998mの剣岳にあやかったもので、36.10改正の際に新設された大阪〜富山間の夜行準急に初めて命名された。大阪〜富山間で有効時間帯にかかる夜行列車は、かつてはこの「つるぎ」と電車の「立山」もラインアップを飾っていた。

「出羽」

第43回 「出羽」

現在の山形県と秋田県の大部分は、江戸時代以前に出羽の国と呼ばれ、東北有数の「国」だった。また、この国にそびえる月山・羽黒山・湯殿山の三山は「出羽三山」といわれ、山岳信仰の霊峰として知られている。そのような由緒ある由来から名付けられた「出羽」は、奥羽本線の看板夜行列車「津軽」を補完するため、昭和35(1960)年に不定期準急でスタート、後に急行、特急とステップアップし、任務を全うした。

「立山」

第44回 「立山」

「立山」は31.11改正で「北陸」から「のれん分け」する形で登場したが、北陸急行の中では最も電車化が遅れた。昭和40年代に入ると、ようやく富山指向の電車急行として活躍を始め、一部の列車は富山地方鉄道へ乗り入れるようになった。57.11改正では583系化されたものの、一気に季節夜行1往復のみに転落し、60.3改正で姿を消している。

「白鳥」

第45回 「白鳥」

かつて大阪〜青森間約1040kmを日本海縦貫線経由で丸1日かけて走る電車特急としてその名を馳せた「白鳥」。その運転開始は昭和36(1961)年10月1日で、以来約40年もの間、「日本海縦貫線のクイーン」の名を欲しいままにしていた。

「さざなみ」

第46回 「さざなみ」

房総半島の西岸に延びる内房線は、古くから海水浴や潮干狩りのメッカを控え、かつては「内房」「房総」「京葉」といった愛称名を持つ列車が賑わせていたが、現在は特急「さざなみ」が外房線の「わかしお」と並んで房総の優等列車需要を一手に担っている。

「あけぼの」

第47回 「あけぼの」

「あけぼの」は、上野〜秋田、青森間を奥羽本線経由で結ぶ寝台特急として永く君臨していたが、秋田新幹線開業を機に、上野〜青森間を上越線、羽越本線経由で結ぶ寝台特急に命名された。また、奥羽本線の寝台特急に昇格する以前は、仙台〜青森間を現在の北上線経由で結ぶ気動車急行に命名されており、その40年以上にわたる変遷は実に目まぐるしいものだった。

「しらさぎ」

第48回 「しらさぎ」

昭和30年代まで、中京圏の中心である名古屋と北陸を結ぶ優等列車は、最短距離となる高山本線経由が優勢だった。しかし、北陸本線の電化が延伸すると米原経由の方が所要時間で有利となり、名古屋と北陸を最短時間で結ぶ列車として特急「しらさぎ」が誕生した。


▲ページTOPへ戻る