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ズベズダ 侍弓兵の作成(仕上塗装Ⅱ)

2014/05/09 09:43

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  ブラボーとは

油絵具による仕上塗装が一応完了しましたので、細部の調整塗装を行い塗料がはみ出した部分をなくしてゆきますが、先ず3体が一組になったランナーの武者から仕上て行きます。
今回矢羽は、中黒、本白、褄黒、黒羽、中白に塗わけを行い、弓は重籐、節巻、三所を再現して行きますが、茶具足の武者は中黒、黒具足の武者は本白、金具足の武者は妻黒にします。
弓は重籐、節巻、三所を適宜施します。
打刀と脇差は黒鞘とし、焦茶の具足の武者のみ朱鞘としました。
軍用の革足袋は直垂と同一色とし、統一性を取っています。
顔の塗装は騎馬弓兵では瞳を入れてみましたが、あまり良くありませんので今回は目の部分は暗部用の肌色で行いました。少し離れてみれば瞳があるように見えるかと思います。

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茶具足武者の仕上状況

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  ブラボーとは

黒具足武者の仕上状況

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  ブラボーとは

金具足武者の仕上状況
金札に紺糸威とし素懸威を再現してみましたが、素懸らしく見えればある程度成功かなと思います

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  ブラボーとは

参考:軍役(ぐんやく)
 軍役は出陣の際にどの様な軍備とどの程度の人数を率いて参加する負担を言い、身分と知行(禄高)によって、又戦国時代はその領国の軍制により基準の差があった。
 自弁の槍一本を用意する者は、最下級の武士待遇でそれ以下は、兵種別(鉄砲、弓、槍組等)により武器、武具一切を貸与された。
 概念的に通用する武士は、馬に乗る事が出来る身分の者であり一騎・二騎と呼んだ。
 天正十一年の後北条氏の臣小熊孫七郎(十八貫五百文取、江戸期の二百石前後に相当)宛の下知状には、指物持、槍持と馬上の本人の三名の軍役が課せられている。
 当時、後世の様な職業軍人は居らず、織田軍が夫に近い位で他は従来の軍役による軍団だった。
 特に武田軍は、更に古式(小領主が家人、農民の次男以下を引率した)であった事が判明されており、この一件でも所謂「武田騎馬軍団」が妄説である事が解る、更に当時宣教師が本部に送った書状にも「日本の侍は馬から降りて戦う」とある。
 武田軍を始め馬に乗ったのは所謂将校であるから、騎馬の将校を集めて一団を編制すると率いてきた残員を纏める者がいなくなってしまう事になる。
写真は江戸時代の八百石級の軍役で総員18名。

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 軍役は江戸期になると戦国期より負担が重くなり、三百石級では主人、侍一人、馬の口取り、草履取、挟箱持、槍持、具足持、小荷駄の七人となっているが、内実は本人と侍が戦闘員であり他は戦闘補助員に過ぎず、具足持は主人の具足を戦場まで運ぶ役目で、戦闘中は空の鎧櫃を背負っているだけである。
 同様に八百石級では主人、侍四人、具足持二人、槍持二人、馬の口取り二人、小荷駄二人、草履取一人、挟箱持一人、立弓一人、鉄砲持一人、沓箱一人の計十七名。
 千石級は薙刀持一人、武家奉公人頭一人、千五百石級は雨具持一人、三千石級は玉薬箱持一人、矢箱持一人、馬印持一人、手替り一人、四千石級は馬上侍の口取、若党、長持持、茶弁当持と計七十九名、九千石は百九十三人で現代の約一個中隊に相当する。
 一万石でもこの割合で増加するが、実際は軍勢が何千、何万と称しても戦闘専属員は多くて二分の一、悪くて三分の一程度しかいなかった。
 写真は江戸時代の百石級の軍役で総員2名

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写真は江戸時代の二百石級の軍役六人

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写真は江戸時代の三百石級の軍役八人
イラスト写真は「笹間義彦」博士の著書より博士が描いたイラストを使用しています。


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