アーモンド 90㎜ ドイツ皇太子の完成(正装姿)
2020/04/30 21:48
歳と共に指先の微調整が怪しくなり本家還りと称して本来のメタルフィギュアをメインにすると表明しましたので、表明に基づきメタルフィギュアの中でもハイクラスなメーカーであったアーモンドの「ドイツ皇太子(正装姿)」手がけたいと思います。
1980年代には数多くあったメタルフィギュアメーカーの一つであるアーモンド社は、オーナーでもあり原型師でもあったリチャード・アーモンドが若く(38歳)してなくなり後を継ぐには子息は幼く廃業となったため、今では入手する事は無理かと思います。
ただ、10代の頃から原型師として各メーカーで原型を作成していますので、原型師としては有名でした。
このドイツ皇太子は、最晩年の頃の作品の一つとなります。
写真はドイツ皇太子の全パーツ。
※参考:
16世紀初期の甲冑
武器の発達等により甲冑も鉄鈑で全身を覆う形式が完成した時には、甲冑の重量により行動が侭ならないものになっていました。
殊に夏場の戦場では戦う前に日射病や熱射病更には疲労により倒れる騎士も数多くいて戦いになら無い事が結構ありました。
之では何ともならず、甲冑の重さを軽減する方法の確立が急務の課題となっていました。
1504年にマクシミリアン一世は、甲冑師のコンラート・ゾイゼンホーフェンを雇い入れ、甲冑重量軽減の解決策を探り、その結果思いついたのが甲冑全面に畝を打ち出して強化される分鉄鈑を薄くする方法でした。
この畝を全面に打ち出した甲冑を「マクシミリアン式」と称し、キットのドイツ皇太子が着る甲冑もマクシミリアン式ですが、兜に羽飾りをつけた正装用の甲冑です。
※参考:
オーストリア大公マクシミリアン一世(1459~1519)
大公は18歳の時ブルグント(ブルゴーニュ)公嬢と成婚となり、彼女の祖父フィリップ善公の創設によるオルドル・ド・ラ・トワゾン・ドール(金羊皮騎士団)の団長に就任した。
1486年、遅々フィードリヒ三世よりドイツ王の地位を引き継ぎ、1493年に神聖ローマ帝国に選出されました。
1504年、大公は鉄と水力に恵まれていたインスブルックに軍需工場を建、イタリアに遅れていた大砲の生産に本腰を入れたが、大公自身は甲冑に拘っていました。
マクシミリアン式は畝が綺麗な甲冑でしたが、実際は非常に手間のかかる甲冑であり、世は鉄砲や大砲による戦争が主流となった事から実際に流行したのは20余年でした。
日本で唯一の静養甲冑師である「三浦権利」氏が、マクシミリアン式甲冑を製作したときは「一人作業」で一年かかったそうですが、之は鋲以外は全て自作した事によるとの事でした。
実際は助手がいての分担作業であれ当然貴官は短くなるが、それでも手間のかかる甲冑である事は変りません。
次回は何時になるかは現状未定です。
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