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マックスファクトリー 1/12 鎌倉時代の鎧武者の完成 予告

2022/10/07 22:55

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  ブラボーとは

商品説明には、平安から鎌倉時代の甲冑を正確に再現したとありますが、鎌倉時代は甲冑史等に於いてのターニングポイントの一つで、鎌倉前期と後期では種々の相違があり、実は結構厄介な時代なのです。
オークションでマックスファクトリーの鎌倉時代の武士を見かけ気になっていました処、最近「しまたろう」さんが完成された事もあり、何処まで再現されているか手にして見たくなり、本来在庫を減らす必要があるにび、逆に増やしてしまいました。
之もホビースキの性か?
キットはヨ○○シで購入しましたが、支払後翌日に届きましたので、多分大阪から発送された様です。
ただ、キットの完成見本写真を見たところ既に疑問が何点か見受けられましたので、これが前期鎧と後期鎧との混同によるものか、知識不足によるものか判断できませんが、突っ込み所はおもったよりあり、改修するか現状のままにするかはまだ決めていません。

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  ブラボーとは

写真は兜・袖の全部品

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写真は武将本体の全部品

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  ブラボーとは

写真は顔の全部品

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  ブラボーとは

写真は組立説明書

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  ブラボーとは

写真は組立説明書裏面

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  ブラボーとは

写真は弓の構成と名所。

※参考
 キット自体に突込み処があるにしても、相対的には夫らしく再現されているといえますが、組立説明書の解説は、甲冑・弓矢・馬具・馬などに関する知識の欠乏によるものとしか思えない非常に酷いものです。
 1.弓力について
  当時の弓の強さについて尤もらしく書かれていますが、弓自体の構造による弓の強さや、弦を張る方法が現在とは全く相違する事を理解していないのが解るあからさまな記述をしています。
 ◎弓の構成
  弓も時代により構造が変化して、より強力になって行きました。
  1.丸木弓(まるきゆみ)
   丸木弓は櫨(はぜ)や栴檀(せんだん)真弓(まゆみ)等の弾力のある木で弓状になった部分を切断した物で、古墳時代から平安初期まで用いられました。
  2.伏竹弓(ふすたけのゆみ)
   丸木弓は単なる一本の木の反発を利用したものであり、弓を手に持つ関係もあり余り太くは出来ない事から反発力を増すために弓の外側に竹を貼り付けた弓ですが、当時は良い接着剤がなく樺・桜・籐等の皮を上から巻いて補強していました。
  3.三枚打(さんまいうち)
   三枚打の弓は更に反発力を強化する為に弓本体の表裏を平に削って竹を貼り付けた弓で、伏竹弓よりは強い弓が出来ましたが、矢張り当時の接着剤は弱く伏竹弓と同様に樺・桜・籐等の皮を上から巻いて補強していました。
  4.四枚打(よんまいうち)
   平安末期に主流となった三枚打の弓ですが、更に強度を求めて弓本体の四方を竹で囲んだ弓が開発されました。
   四方を竹で囲んだ分反発力は上がりましたが、その分竹が剥れる危険性も上がってしまいました。
  5.籖弓(ひごゆみ)
  江戸時代に入ると弓は更に精巧複雑なものとなり、竹を削って細くした物と木を削って細くした物を交互に並べて接着する様になり、反発力は格段に上がりました。
  このようにして作成された弓は「籖弓」と呼ばれています。
  籤の数により籤が3枚の時は「三枚籤」四枚の時は「四枚籤」5枚の時は「五枚籤」と呼ばれ、「七枚籤」位まで有りました。
  現在では「籤弓」は、非常に高価となり、グラスファイバーの弓が主流になっていますので、実見するのは少ないかも知れません。
  弓の構成イラストは、柏書房刊「資料日本歴史図録(笹間良彦博士著)」から借用しました。

2.弦の張り方
 弓に弦を張る際に「二人張り」、「三人張り」、「四人張り」等の言葉だけを見て弓力は40~50キロと記してありますが、当時と現在では全く弦の張り方が相違していますので、現在の弓で17キロ位(昔は弓の厚みで強さを表現していました)の弓を当時の張り方で行なうと恐らく3人は必要かと思います。
 当方が学んだ弓の張り方は通称「弓師張」と言い一人でも強い弓を張ることが出来ます。
 当方が所有する弓も当時の張り方を使用すると一人では弦を張る事が出来ず最低一人か二人の応援が必要です。

3.矢の飛距離
 矢の飛距離の最大は遠射専用の矢を用いて射た場合、和弓(日本の弓)で333メートル、洋弓で約900メートルと云う記録はありますが、一般に使用される矢では有りませんので参考にしかなりません。
 当時の矢頃(有効射程)は約20メートル(約11間)でした。
 40数年前に「実験 歴史学(考古学?)」と云うTV番組があり、その一話に江戸時代のかなり強弓せ征矢(実戦用の矢)を射る実験がありましたが、その時の射距離は30メートルくらいでした。
 征矢と現在弓道で使用する矢(的矢)の重さは倍位の差があり、的矢は通常25g~30g位ですが、征矢は鏃だけで30~35g位有りますから矢全体かなり重くなりますから飛距離は当然短くなります。

4.軍馬
 馬の速度についてアラブ種並のスピードが記されていますが、これも「実験 歴史学」で日本産馬(木曽馬か道産子)に甲冑武者が乗馬したのとほぼ同量の錘をつけて疾走させた時のスピードは分速150メートル(時速九キロ)でした。
 但し、昭和の馬ですから当然蹄鉄は打っていますので、蹄鉄が無ければ更にスピードは遅くなりますし、道も整地されていませんから更に遅くなりますから、多分分速は100メートルに満たないと判断されます。

解説が余りにも酷いので訂正を連ねましたが、鎧武者としましては出来のよいほうだと思いますので、トロさんへの与力作業が一段落しましたら優先してみようかとも考えています。


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