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江尻城作りの参考になりました

2013/10/06 08:16

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清水郷土史研究会・古城研究部会の現地視察会に10/5参加致しました。
「家康の築城と佐久城・野地城を訪ねる」というものであります。家康の築城術は石川伯耆の出奔により、それまでの流儀から武田流を取り入れた、いわば「新家康流築城術」となりました。今回訪問した城のなかで「佐久城」が、江尻城製作に大変参考になりましたので、このサイトの主旨とは違うかもしれませんが、皆さまに知ってもらいたい、と思い投稿しています。予めご了承ください。また、情報量が膨大ですので、今回はその一部といたします。

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「佐久城」、これは浜名湖の奥、「猪鼻湖に突き出た半島状の湖台丘に築かれ」(当日資料より引用、以下(当)と略します)ています。元々は浜名氏という今川氏に最期まで忠誠を貫いた国人の城でしたが、家康によって攻略され、本多平八忠勝が入城します。ここから、徳川氏の城となりました。石川伯耆の出奔で大改修が行われました。
写真左側は、武田流の丸馬出、中央は今は入城用の道になってますが堀です。写真右側は南曲輪です。人物との比較で高さを感じて頂けると幸いです。

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此方の写真は丸馬出しから本曲輪、つまり城の心臓部に行くため「土橋」です。
立っている人物を見れば分かるかも知れませんが、土橋の幅は狭いです。私見では本曲輪に入る重要かつ唯一の正規の道なので、この狭さになっていると思います。江尻城にも土橋はあると思いますので、大変参考になります。

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別角度からみた土橋です。本曲輪に入ると直ぐに枡形になります。講師の水野先生の解説では、新しい徳川流の築城術の特徴に「分厚い土掘+枡形」があります。この「佐久城」の本曲輪の虎口(城の入り口の意)は、正にその特徴を良く表している」

狭い土橋を渡ると直ぐに右に折れ、また左に折れてやっと内部に入れる訳です。
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簡単ですが、このような土塁等を体感することによって、江尻城のジオラマ復元に大いに役立つ勉強会でありました。

   以上 粗雑な駄文らんぶん失礼いたしました


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