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箱根登山鉄道 小田原〜強羅

【第10回】箱根登山鉄道 小田原〜強羅


箱根という日本有数の観光地に敷設された登山鉄道は、営業距離わずか15kmの路線を50分もの時間をかけて走る。始発駅と終着駅の標高差は実に527m。この急勾配路線を踏破するため、箱根登山鉄道にはさまざまな工夫が秘められていた。

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レールが1本多い不思議な光景 小田急乗入れに対応した3線軌条

デアゴスティーニ編集部

上大平台信号所〜小涌谷間は、勾配とともにカーブが連続する難所のひとつ。中には半径30mという急カーブもあり、曲がるというよりは編成が折れ曲がるイメージで通過していく。

新幹線に東海道本線、そして小田急電鉄が乗り入れる神奈川県の西のターミナルである小田原駅。朝のすがすがしい空気の中、小田急のホームに降り立つ。ホームの西に延長された部分へと歩いていくと、赤い塗色が目にも鮮やかな小さい電車が2両編成でちょこんと停まっている。箱根登山鉄道の電車だ。ここが、全長たった15kmだが内容の濃い、魅力溢れる旅のスタート地点である。
発車の合図とともに、運転士がマスコンハンドルを引く。列車はゆるゆると動き出し、前方に見える上り勾配へと向かう。電車は最初の駅、箱根板橋を過ぎ、次の風祭駅へ。線路に目をやると、本来2本のはずのレールが、なぜか3本……。これは3線軌条という方式で、箱根湯本まで乗り入れているロマンスカーをはじめとした小田急の電車に対応したもの。標準軌1435mmを採用している箱根登山鉄道に対し、小田急はJRと同じ軌間1067mmを採用しているため、線路幅の違う2社の電車を同時に走らせるための措置として3本のレールが敷設されているのだ。
ところで小田原〜箱根湯本間を箱根登山鉄道の電車が走るのは、朝・夕・夜だけ。昼間は小田急の電車のみが走り、自社の線路なのに、自社の車両が来ないという状態になる。

珍しい手動で開閉する小田急電車

デアゴスティーニ編集部

毎年夏季には沿線に植えられたあじさいが満開となり、夜間にはライトアップも行なわれる。あじさい観賞用に運転される臨時の「あじさい電車」は大変な人気となっており、自然との調和を図りつつ観光客の誘引に成功している。

風祭駅では短い島式のホームが出迎えてくれた。2〜3両編成の箱根登山鉄道の電車なら別に問題ないが、編成の長い小田急の電車はどう見てもホームからはみ出してしまうに違いない。乗降はどうするのだろうかと思うのだが心配にはおよばない。小田急の電車がこの駅に停車する時には、もっとも箱根湯本寄りの1両だけ扉を駅員が手動で開閉させて、乗客は乗降するのだ。
風祭駅をあとにした電車は、車庫のある入生田を過ぎ、温泉場として名高い箱根湯本に到着すると、ここで大半の乗客が降りていった。どうやら、この一大温泉場の旅館などで働く人たちだったようだ。

馬車鉄道から電気鉄道へ 箱根を駆け抜けた120余年の歩み

デアゴスティーニ編集部

粘着方式では日本一の80‰勾配をはじめ、技術的なハードルが高かったにもかかわらず、スイスの登山鉄道に範を採り建設された箱根登山鉄道。その始まりは国府津〜小田原間の馬車鉄道であった。

明治21(1888)年10月1日、国府津から小田原を経由して湯本(現・箱根湯本)に至る馬車鉄道が開業した。これが箱根登山鉄道の前身、小田原馬車鉄道である。その後、明治29(1896)年10月31日に小田原電気鉄道に社名を変更。明治33(1900)年3月21日には電化営業を開始し、日本で4番目の電気鉄道となった。
昭和10(1935)年10月1日に小田原〜箱根湯本間が開業し、強羅までの直通運転がはじまっている。その後、昭和25年(1950)8月1日、小田原〜箱根湯本間に小田急の車両が乗入れを開始し、この時、現在の形態がほぼ整った。
そして昭和54(1979)年6月1日、同社発足60周年を記念して、「氷河急行」でおなじみのスイス最大の私鉄、レーティッシュ鉄道と姉妹鉄道提携を結ぶ。これはもともと箱根登山鉄道がレーティッシュ鉄道ベルニナ線(当時・ベルニナ鉄道)をモデルに作られたことによるものである。この提携を記念して、レーティッシュ鉄道からカウベルが寄贈された。このカウベルは強羅駅2番ホームに設置されている。箱根登山鉄道からはヒノキやケヤキの白板に「サン・モリッツ」「アルプグリュム」「ティラノ」とカタカナで書かれた3枚の駅名板が送られた。また同社1000型を「ベルニナ号」、2000型を「サン・モリッツ号」と命名、かたやベルニナ線には「箱根」と名付けられた電車が走っている。

次から次へと特殊性が飛び出す 箱根湯本から先の山岳区間

デアゴスティーニ編集部

小田原〜箱根湯本間は軌間の異なる小田急の電車が乗り入れるため3線軌条に。ポイント部分はとても複雑な構造だ。

小田原駅から乗ってきた電車は、箱根湯本駅で静かに発車の合図を待っている。まるでこれからはじまる困難に挑むために、精神統一しているかのようだ。
箱根登山鉄道は、箱根湯本駅を境にまったく別の路線へと様相を変える。まず架線の電圧が1500Vから750Vへと降圧する。さらに「日本唯一の登山鉄道」を自称するだけあって、起点の小田原駅と終点の強羅駅の標高差は527mもあるのだが、これをたった全長15kmの路線で登りつめる。それも箱根湯本駅から先の9km足らずでそのほとんどを稼いでしまうのだから、いかに特殊な路線であるかが分かるというものだ。いよいよここからの区間が、登山鉄道の本領発揮。この区間を踏破するために、箱根登山鉄道の車両や施設には、さまざまな工夫が施されている。

80‰標識が示す日本最急勾配区間

デアゴスティーニ編集部

箱根湯本を出てすぐに、粘着方式では日本最高値を示す勾配標が目に入る。80‰もの急坂が電車の進行を困難にする。

箱根湯本を出た電車をすぐに待ち受けているのは、急激な上り坂だ。線路の左脇に設置された勾配標の数字はなんと「80.00」! アプト式鉄道ならともかく、通常の粘着方式で80‰とは正気の沙汰ではない。かつて国鉄最急勾配区間として名を馳せた信越本線横川〜軽井沢間の「碓氷峠」でさえ、最大67.7‰だったのだ。現在、アプト式を除けば日本最急勾配であることはいうまでもない。
電車はそろりそろりと上っていき、トンネルとトンネルに挟まれた駅、塔ノ沢に着く。箱根湯本〜強羅間は全区間単線だが、この駅を含め、どの駅も交換設備を持っている。

3つのスイッチバックで高度を稼ぐ

デアゴスティーニ編集部

スイッチバックの駅、大平台に強羅からの上り電車が進入してくる。駅構内で下り電車と交換したあと左の線路へと転線し、箱根湯本に向けて勾配を下ってゆく。

塔ノ沢駅を出て巨大なトラス橋、「出山の鉄橋」の名で知られる早川橋梁を渡った電車は、大きく左へカーブを切りながらどんどん勾配を上っていく。不意に駅でもないのに電車が停まった。眼下には先ほど渡った出山の鉄橋が見える。すると車窓を乗務員が横切った。運転士と車掌が乗る位置を交代しているようだ。しばらくすると電車は逆向きに走り出し、再び勾配を上り始めた。そう、スイッチバック区間を走っているのだった。箱根登山鉄道では、この出山信号所、次の大平台駅、そしてその先の上大平台信号所と3つのスイッチバックで高度を稼ぐ。

半径30mの超急カーブ区間を過ぎ 電車は終着駅・強羅へ

デアゴスティーニ編集部

終着駅で水タンクに給水。数ある極小半径カーブをスムーズに通過するため車両は線路に散水しながら走る。

スイッチバック区間を終えた電車は、今度は右に左にせわしなく身をくねらせる。これが交換設備のみを持つ仙人台信号所を越え、宮ノ下、小涌谷に至るまで続く。この間、半径30mという超急カーブさえ存在する。カーブに差し掛かると、窓を通して隣の車両が見えるほどである。これを乗り切るために同鉄道の車両は、車体長が15m足らずしかなく、貫通幌がないため乗客は車両間を移動することができない。また、カーブでの車輪とレールの摩擦抵抗を減らすため、散水をしながら走るのだが、そのための水タンクを車端下部に取り付けられたスカートが兼ねている。
こうしてようやく小涌谷駅に到着、難所は過ぎた。山あいの木々に囲まれた風景から、家や店が立ち並んだ開けた風景へと車窓が変わる。あとはクールダウンをしながら彫刻の森駅を越え、終着駅の強羅まで5〜6分だ。13カ所のトンネルと26カ所の鉄橋、そして3カ所のスイッチバックを堪能した旅は、まもなく終わる。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/10/09


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