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北陸本線 木ノ本〜今庄(前編)

【第105回】北陸本線 木ノ本〜今庄(前編)


全路線のほとんどが新たに整備された新線といえる北陸本線内にあって、廃止された旧線跡が道路として活用されているこの区間は、まさに過去と現在が同居する「ドリーム路線」である。

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湖北から北陸へのアプローチ 柳ケ瀬越えの基点だった木ノ本

道路と本線が大きく左右に分かれた新旧線の分岐点には、それを示す遺構や表示などはなにもない。ただ、いつもの通り、新型特急が誇らしげに通り過ぎ、その傍には、線路などなかったように道路が延びているだけである。

北陸本線の起点である米原駅から、東海道本線の主要駅だった長浜を通り、湖北から北陸へと至る基点である木ノ本駅までの区間。ここには季節運転の臨時列車、C56が牽くSL「北びわこ号」が走っている。せっかくなので、今回の旅のイメージを膨らませるべく、木ノ本駅まで乗ってみた。 蒸気機関車特有の牽引による客車の揺れや、蒸気、煙の匂い、力強い汽笛の音など、ここを走っていた列車をそのまま体感してみる。それは今の快適な特急車両とはまた違った旅情に溢れたもの。このままSL列車に浸り、いつまでも乗っていたいとも思うのだが、「あゝ無情」にも列車は木ノ本駅に着く。乗り込んでいた乗客は、みんな先頭のC56の周囲に集まり、記念写真を撮ったり、間近で眺めたりしている。みんなもきっとこの汽車旅との別れを惜しんでいるだろう、と車中で勝手に思い込んでいたのだったが、案の定思いは同じだったようだ。 北陸へのアプローチ駅として、かつて、この木ノ本から峠を目指し、補機を従えて力強く発車して行った列車たち。峠越えを終え、やれやれと、この駅に着いた列車の乗客がホームに降り、顔を洗ったり、飲み物を求めたり……。そんな光景が日常だった駅の姿が、長いホームの中ほどに停まり、煙を休めるC56にオーバーラップして見えた。

神秘の湖からトンネルを越え 立体交差のループ線を走る

近江塩津駅はここまでが駅構内という全国でも特異な駅。湖西線との分岐もあるが、今昔を問わず難所の連続区間を実感。

木ノ本からはSL列車を電車に乗り換え、とりあえず、敦賀へと向かう。 昭和50年代後半の夜行列車減少に伴い、余剰となった581、583系を改造、パンの切り口のように、妻面に運転台を設けた姿から「食パン」の愛称で親しまれている419系電車にどっかりと腰を下ろす。と、その名残りだろう、やけに座席の間隔が開けている。その分、窓は大きく、車窓がバーッと開けて見えるのは普通列車にしては上々というものだ。 木ノ本駅を出ると、すぐさま北陸自動車道をくぐり、右手に併走する道路が現れる。これが、旧・北陸本線の跡。この旅の「帰り」に辿る道だ。
やがて、列車は左に大きくカーブし、旧線跡の道路と別れる。左手に古戦場、賤ケ岳が聳え、その手前に静かに広がる湖北の観光地、神秘の湖・余呉湖が見えてくると湖畔の小さな駅、余呉駅に着く。この辺りは真冬には2m近い雪が積もることも多い豪雪地帯である。そのためか、ホームにはわずかなスペースにしか屋根がついていない。旧線からこの新線に切り替えられたのは昭和32(1957)年10月1日のことで、余呉駅も同時に開業している。 駅を出ると、すぐに全長1760mの新余呉トンネルに入り、一気に湖西線との分岐駅である近江塩津駅に進入する。手前では、昭和49(1974)年7月20日に開業した湖西線の高い高架橋が見え、周囲の山々と谷間との比較が圧巻だ。 近江塩津駅は、北陸本線と湖西線の複線状態がそれぞれ並んでホームがあり、駅としての構内延長は3.8kmという「珍駅」。列車が発車すると複々線が続き、湖西線の上り線が 3本の線路をオーバークロスして北陸本線と合流、雪よけのシェルター内で下り線も合流し、やっと2本の併走、複線となる。駅ホームからここまでの間には短いトンネルが7本あり、とても駅の構内とは思えない。小さな集落の間をかすめるように近代的な高架や橋梁、トンネル、雪よけなどが連続する様は、むしろ「山間の秘密シェルター基地」という方が似合っている。 構内を抜けると、すぐにまた沓掛トンネルから5173mもの新深坂トンネルに入り、これを抜けると新疋田駅に進入する。緩やかにカーブした長いホームの新疋田駅を出るとトンネルに入る。このトンネルの中で上下の線路が交差しており、それまですぐ右手にあった上り線が、今度は左側の、しかもかなり高い位置にみえてくる。なんだか、ミステリー小説にでもなりそうな、不思議な光景である。 下り線はそのままなだらかに走り抜けるが、しばらく行くと先ほどは左手の高い位置に消えていった上り線が、今度は左上から現れる。オーバークロスと大カーブで右手に入りこみ、やがて、元の複線状態になり、敦賀駅へと入り込んでいく。  昭和32(1957)年の新線切替え時、同時に行なわれた交流電化やループ線による大きな迂回ルートの開通といった、近代路線を築いた証が車窓からも見て取れた。そんな中、この区間の片隅に残り、置き忘れたかのように草に覆われた旧・北陸本線時代の鳩原信号所。その、小さなホーム跡が印象的だった。

かつての一大基地である敦賀から一気に峠越えの要「今庄」へ

ゴーという音から押し出される風が吹きヘッドライトが見えるまでの十数秒間がこのトンネルの長さを象徴している。

敦賀では、乗換えに少し時間があったので、ホームからかつて機関区があった跡や、草に覆われた長大なヤードのレールなどをじっくりと眺めることができた。おそらく、冬場にはラッセル車の回転を行なったのであろうターンテーブルが、比較的きれいな状態で残されているのには少しほっとした。しかし、数年前まで現存していた扇形庫がなくなっている……。やはり、少し寂しくなる。 敦賀は、海運全盛時代からの北陸の要所。鉄道が長浜から現在の敦賀港まで開業した明治17(1884)年には、大陸への航路接続用国際列車が運転されるなど、鉄道開業後も変わらず主要な場所である。現在でも数年後の直流化を睨み、京阪神からの直通列車の誘致など話題にもこと欠かない。そんな歴史的な事項や背景を、人気のないホームで考え、機関区跡をぼんやり眺めていると、今度はすっきりとしたルックスの475系電車がやってきた。さっきまで乗っていた大窓の419系に比べれば少々窮屈だが、真昼の時間帯でもよく空いているので贅沢はいえない。 敦賀駅を出ると、すぐにかつての幹線・敦賀港線が左手に別れ、右にカーブしながら道路と併走する。やがてこの道路は左に分かれていくが、この道路も旧線跡。今庄からは、これで帰ってこられるはずだ。 旧線跡と分かれたところですぐに全長1万3870mの北陸トンネルに入る。入り口には勾配表があり、11.5‰を示している。トンネルのほとんどの距離に当たる、下り列車に対して連続12kmに渡り勾配を登り続けるのだが、近代車両の475系にはなんの苦労もない様子。特に大きなモーター音も感じない。ただ、トンネルに入ってからすでに5分を経過しているのだが、一向にトンネルから出る気配がないのだ。車窓からはトンネル内の蛍光灯が規則正しく通り過ぎるのが見えるだけ。このトンネルは本当に長い、ということが改めて感じられた。 約10分後、ようやくトンネルから抜け出し、旧線との分岐点にある南今庄駅に着く。
湖北から敦賀を挟み、かつては峠越えを繰り返した機関車たちがひと息ついた今庄駅には、当時の名残りを残す給水塔と投炭のための施設が、広い構内の片隅にひっそりと佇んでいた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2021/09/15


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コメント1件

ぼこほまく 

ぼこほまく 
通学、琵琶湖への魚釣りでこの路線を利用していた日々を思い出しました

09月20日 19:03このコメントを違反報告する


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