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東京都交通局荒川線

【第49回】東京都交通局荒川線


首都・東京に最後まで残った「都電荒川線」は三ノ輪橋から早稲田までの路線である。昭和47(1972)年のほかの都電全廃後も変わることのない懐かしさをたっぷり残し、人に優しい生活の足として元気一杯に走るチンチン電車の旅に出た。

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三ノ輪橋ではじまる昭和へのタイムスリップ

デアゴスティーニ編集部

思いっきりレトロな佇まいの三ノ輪橋電停には、関東の駅百選認定の碑がある。チンチン電車もどこか誇らし気?

大都会東京の片隅に唯一残った都電である荒川線。路線図には「○○何丁目」「○○前」といった、いかにも路面電車らしい電停名が並び、眺めているだけでも楽しくなってくる。そんな荒川線に乗るには、目的地も決めず思いつくままに出かけたい。ある暖かな日の昼下がり、荒川線の起点である三ノ輪橋電停を目指した。
東京地下鉄日比谷線を三ノ輪駅で下車し、地上に出て日光街道沿いに歩く。常磐線のガードをくぐり、さらに100mほど進んだ左手、レトロなビルの1階が通路となっていて、そこに「都電荒川線入口」という看板がある。意識していないと気付かずに通り過ぎてしまいそうなくらい控えめなところが、何ともいい。そんな通路は薄暗く、入った途端に風景が一変する。「昭和そのもの」の食堂などが並び、まるでタイムトンネルに迷い込んだようだ。そして、これを抜けたところに荒川線三ノ輪橋電停がある。早稲田まで12.2kmの小さな旅の起点となるここは「関東の駅百選」にも認定されている、レトロな面持ちの駅である。

「チン、チーン!」ベルを鳴らして電車は軽快に進む

デアゴスティーニ編集部

夕方の梶原電停近くの商店街には、買い物客が集まり始めていた。ここは自転車と電車で生活できる街。右に見える和菓子店の名物は「都電もなか」だ。

さて、起点らしい立派なプラットホームに電車が入線してきたようだ。みな地元の人と思われる乗客は、一列にキチンと並び、順番に乗り込んでいく。事前に購入しておいた、400円で都電荒川線が1日乗り放題の「都電一日乗車券」を運転士に見せると、笑顔で会釈してくれる。運転席と客室の間が素通しの路面電車だからこその「ふれあい」である。
座席がほぼ埋まったところでドアが閉まり、発車となった。車内放送は自動化されているのだが、運転士の肉声によるアナウンスも加わる。
「本日は荒川線をご利用いただき、ありがとうございます。早稲田行き発車します。次は荒川一中前です」
そして「チン、チーン!」というベルの音。これは、都電がワンマン化される以前、車掌が乗降の完了を確認してドアを閉め、運転士に「発車OK」の合図を送っていたのを受け継いだもので、ご存じの通り「チンチン電車」という呼び名の由来もここからきている。ワンマン化で必要なくなっても、懐かしいこの音が、今も沿線に響き渡っているのだ。
発車した電車は、専用軌道を快調に飛ばす。旧来の車両を更新した電車は吊掛式駆動で、独特の響きが床の下から聞こえてくる。荒川一中前、荒川区役所前、荒川二丁目、荒川七丁目と、地元の人でないと迷ってしまいそうな電停の名が続く。
沿線には意外と緑が多く、路面電車という雰囲気はあまり感じられない。それが、京成本線のガードをくぐって町屋駅前に着くと、人通りの多い賑やかな下町の風景に変わる。そんな街並みに誘われ、つい下車してしまう。車窓を見て思いついたところで下車……なんていうのも、地上を走る路面電車ならではなのだ。
そろそろ買い物の時間帯である駅周辺はなかなか活気づいている様子だ。買い物袋を両手に提げた若い主婦が通りを歩き、品物を店先に並べた昔ながらの果物屋さんでは、おばちゃんが品物を見定め、店主とやりとりを楽しむ光景も見られる。笑顔で会話が交わされる、そんな場所はいいものだ。その横を学校帰りの子供たちが通り過ぎ、さらには、リヤカーを引く豆腐屋さんまで現れた。街の中を電車が走ると、取り巻く景色まで活き活きとして見えてくるから不思議なものだ。線路と交差する道路をバスも通るが、ここでは電車のような存在感はない。

生活空間の中を走る電車は人に優しい真のバリアフリー

デアゴスティーニ編集部

宮ノ前付近の併用軌道区間は、道路中央に軌道を区分したセンターリザベーション方式を採用している。

再び電車に乗り込み、住宅地が広がる区間を進む。沿線には、戦後間もない頃からあったと思われるような家から、仕事場兼住宅の小さな町工場、真新しいマンションなどのさまざまな建造物が雑然と並んでいる。お世辞にも「洗練された」とはいい難い街並みだが、小さな路地には絶えず人通りがあり、親しみを感じる。
各々の電停からは、それぞれ住宅地に続く道路にアクセスでき、スロープも用意されている。エスカレーターや階段で延々と潜らなければならない地下鉄とは雲泥の差だ。電車はデータイムも5分30秒間隔で運転され、いつでも気楽に乗ることができる、サンダル代わりの電車なのだ。これほど便利で人に優しい乗り物はないと思う。
運転士の車内アナウンスに続いて、発車の際には「チン、チーン!」。いつもは電車に乗ると雑誌や本を読んでばかりだが、都電は車内にいるだけで楽しく退屈することはない。「なんだか、いいなぁ……」と、ぼんやり車窓を眺めていると、住宅地の中に突然大きな立体交差が見え、熊野町に到着した。電停の上を通るのは尾久橋通り、さらにその上を先ごろ開通した日暮里・舎人ライナーが走っている。立体交差の脇に駅も設けられ、なかなか都会的な雰囲気の中をチンチン電車が走っているのが面白い。
熊野前から宮ノ前を経て、次の小台までの区間は路面を走行する。ここは、センターライン部にある軌道を車道と完全に分離したセンターリザベーションという方式だ。そのため自動車に邪魔されることなく、電車は渋滞知らず。スイスイと進む。

下町の平地から山の手の台地へ 同じ東京でもまるで違う風景

デアゴスティーニ編集部

飛鳥山電停近くの飛鳥山公園は、東京屈指の桜の名所で、満開の頃は花見客で大変な賑わいとなる。ここでは電車と歩行者、そして自転車などが仲良く共存している。

再び専用軌道になり、荒川遊園地前に到着。「こんな所に遊園地?」というわけで、またまた、そそくさと下車してみた。この電停から300mほどのところに、かわいらしい遊園地があり、中には観覧車、コーヒーカップなど、昭和の頃からの定番の乗り物がある。多くの遊園地が大人の人気スポットとなって久しいが、ここは今でも子供たちの遊び場だ。敷地の一角には都電が1両保存展示されている。この地域で、都電は大切にされるべき存在なのだろう。
都電の基地がある荒川車庫を過ぎ、住宅地の中の専用軌道を進むと、正面に東北新幹線の高架が見えてきた。右にカーブして高架の足元に寄り添うように王子駅前に到着、乗客の半分以上が入れ替わる。
王子駅前を出ると、今度は明治通り上の併用軌道区間となる。ここは軌道内に自動車が乗り入れるので、さすがの都電も渋滞にもまれながらの前進となる。三ノ輪橋を出てからずっと平坦だった線路も、ここから雰囲気は一変、大きなアップダウンが始まった。この先の飛鳥山にかけての勾配は、あの碓氷峠と同じ66‰。荒川線の最急勾配だ。電動機が唸り声を上げるが自動車に行く手を阻まれ、なかなか思うようには進まない。後方には自動車が数珠つなぎとなっていて、少し肩身が狭そうな電車に、思わず声援を送りたくなるのであった。
飛鳥山からは、再び専用軌道となり、台地を進む。この辺りの線路と家の間には道路がなく、それこそ軒先ギリギリに電車が走って行く。新庚申塚を過ぎ、次の庚申塚は、「おばあちゃんの原宿」として有名な「とげぬき地蔵」の最寄り電停だ。車内ではおばあちゃんたちが、孫の話などで盛り上がっているようだ。周辺には大学や高校も多く、いつの間にやら学生の姿も目立つようになってきた。JRや民鉄では携帯メールに忙しい女子高生も、ここではみんなおしゃべりに夢中だ。小さい車体の電車は、人と人のコミュニケーションの場も与えてくれているということなのかも知れない。
線路が高度を下げ、右に回り込むと大塚駅前だ。電停はJR山手線大塚駅ホームの真下にあり、「駅前」というよりも「駅下」という感じで面白い。ここでの乗降客は多く、学生たちもみんな下車していった。電車は大塚駅前のタクシー乗り場の外側を右に直角に曲がり、その先でアップダウンを繰り返す。踏切も短い間隔で連続し、「路面電車」という雰囲気にはほど遠いが、線路脇には生活感のある住宅地が広がり、電車がよく似合っている。きっと住民にとっても、通り過ぎる電車の音は騒音ではなく、心が和む響きであるのだろう。

高層ビルに見下ろされながら電動機を唸らせる小さな電車

デアゴスティーニ編集部

都電雑司ケ谷から鬼子母神前にかけ、大きくアップダウンした地形をそんままなぞった線路を進みながら、正面に新宿副都心の高層ビル群を臨む。年月とともに電車は近代化され、ビルの数も増えた。

「都電荒川線」のルーツは、明治44(1911)年に大塚〜飛鳥山間で開業した王子電気軌道(通称「王電」)だ。昭和5(1930)年には三ノ輪橋〜早稲田間の全区間が揃い、ほかに王子駅前〜赤羽(現在の東京地下鉄赤羽岩渕駅付近)間の路線もあった。
その後、王電は昭和17(1942)年に東京市電に吸収され、翌年には都制施行に伴い東京都電となり、三ノ輪橋〜赤羽間の27系統と、荒川車庫前〜早稲田間の32系統として運行を続けた(荒川車庫前〜王子駅前間は両系統が重複)。しかし昭和47(1972)年、専用軌道が大半である三ノ輪橋から早稲田までの区間を除き、都電は全廃。昭和49(1974)年には27系統と32系統を統合し「荒川線」となり、昭和53(1978)年にはワンマン化が完了した。全盛期には41もの系統があった都電の中で、残ったのは荒川線だけというのは大変寂しいが、今なお元気一杯に走り続けているのは、頼もしい限りである。
さて、電車は首都高速5号線の高架手前、東池袋四丁目に到着。隣接して牛丼チェーン店があるという「ユルさ」が楽しい電停で、ここには、かつて都電の車庫も置かれていた。また、東京地下鉄有楽町線の東池袋駅もすぐ近くにある。これだけのものが一カ所に集中すると、眺めも独特なものとなってくる。
次の都電雑司ケ谷から鬼子母神前にかけて、線路の勾配は大きくV字型を描く。正面のやや霞んだ春の空には、まるで蜃気楼のように新宿副都心の高層ビル群が見えてきた。右手方向には池袋の高層ビル、サンシャイン60がドドンと聳え立っている。住宅地と電車と高層ビルという組合わせも、首都を走る都電らしさのひとつ。そんな都会の真ん中を、電車はひとつひとつ電停に停車しながら、あくまでもマイ・ペースで進んで行く。車内はいつも「ほどほどの混雑」ぶり。なかなか着席できないのは少し残念だが、それだけ人々に愛用されているのだから、喜ばしいことではある。周囲を見回すと、ネクタイとスーツでビシッと決めたサラリーマン風の人の姿も見える。あまり速い交通手段ではないが、都電の温もりに触れることで気分をリフレッシュしてほしいものだ……などと考えているうちに、荒川線の旅もいよいよ終盤を迎えた。
鬼子母神前から次の学習院下に向けて一気に勾配を下る。右側に並ぶ道路は明治通りで、併用軌道との「再開」だ。この下り勾配の途中に架かるは千登世橋。昭和7(1932)年製の歴史的建造物である。東京には、いろいろな景色があり、さまざまな新旧建造物が存在する。荒川線の車窓は、実に表情豊かなのだ。学習院下を過ぎると神田川を渡り、明治通りに別れを告げて直角に左に曲がり、今度は新目白通りの上下線に挟まれるように敷かれた専用軌道を進む。到着する電停は面影橋。先ほどから、千登世橋、神田川、面影橋と、懐かしのフォークソングのタイトル(千登世橋の歌の題名の表記は「千登勢橋」)が続いているのだ。

都電一日乗車券で満喫したチンチン電車の小さな旅

デアゴスティーニ編集部

電停の名前は有名だが、すぐそばにある実際の面影橋のことを知る人は、意外にもあまり多くはない。

のんびりとした荒川線とは対照的に、新目白通りには切れ目なく自動車が通り過ぎていく。下町の方とは、まるで別世界。気分も慌しくなってしまいそうだ。三ノ輪橋から10km少々なのに、ずいぶんと遠くまで来たみたいだ……と思っていたら、電停脇にある横断歩道に黄色い旗を持ったおじさんが立ち、下校する小学生を誘導しているのが見えた。やはり、荒川線は人々の生活と密着したところにあるのだ。
線路をよく見ると、結構草が茂っている。アスファルトで固められた大都会で、わずかな場所を見つけては、必死で緑の葉を伸ばしているように見える。ここ数年、CO2の排出が問題となっているが、電車はまったく排出しないうえに、線路の雑草は光合成でCO2を吸収してくれているはずだ。これほどまで地球に優しい都電の大部分をバスに置き換えてしまったのは、実に嘆かわしいというほかない。
すっかり陽が傾いてきた。面影橋から早稲田まで、荒川線最後の区間に乗る。その間わずか500m。歩いても楽に行ける距離だが「都電一日乗車券」を持っているので、迷うことなく電車に乗れる。収益面では、まったくありがたくない客だが、きっぷを提示するとやはり運転士は笑顔で会釈してくれる。どこまでも優しい都電なのである。と、電車はアッという間に終点・早稲田に到着。こちらは三ノ輪橋とは対照的に、近代的な電停で、降車客は横断歩道を渡り、それぞれの行先へ足早に去って行った。
三ノ輪橋から早稲田まで、本来は53分の道のりだが、途中下車を繰り返し、4時間もかかってしまった。実は、実際に乗ってみるまで、路面電車とはいえ近代化が進んでしまって面白味はないのでは……とも考えていた。 しかし、それはまったくの勘違い。運転士と乗客が車内の同じ空間にいるように、電車と沿線の間にも距離感はない。しかも、場所によって周囲の雰囲気が大きく変わり、東京という街の大きさと「懐の深さ」を改めて実感、同時に再発見することもしばしばであった。400円のきっぷの旅、無事終了。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/01/29


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