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参宮線 多気~鳥羽

【第74回】参宮線 多気~鳥羽


風にそよぐ緑の絨毯越しにトコトコと駆けていく気動車の姿は平凡な鉄道情景。しかし、そこには幹線として重視された全盛期の欠片がさりげなく散りばめられている。お伊勢詣りの路、参宮線。かつて、多くの長距離優等列車が行き交った道を、現在は身軽な出立ちの快速が走り抜ける。

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軽快な出立ちでお伊勢詣り 夏草の間を駆け抜けた

盛夏を迎えた田園地帯は緑の絨毯で被われていた。列車の速度はいにしえの汽車と比べれば格段に向上したが、参宮線を取り巻く列車のいる情景は現在も極めて牧歌的である。青空の下に小気味よいジョイント音が響いた。

左手に大きく向きを変えて離れていく紀勢本線を見送り、大型トランスを搬出するための車が出入りする工場の傍らをすり抜けると、単行のローカル気動車はゆったりとした区画整理を施された、たんぼの広がる田園地帯へと飛び出した。自家用車をも彷彿とさせる加速感が心地よい。車窓直下の左手には、線路に沿うようにわずかな空き地が続いている。これは多気駅から伊勢市駅の間で、長大な宮川橋梁を有する宮川〜山田上口間を除く区間が複線であった時代の名残だ。 もともと、参宮線は地理的には地方の閑散路線という位置づけにある。しかし日本の有史以来、信仰そして庶民の観光の場として栄えてきた伊勢神宮を沿線に持つために、鉄道は創業時より幹線級の扱いを受けてきた。ところが参宮線の複線区間は、昭和19(1944)年8月にすべて単線化された。これは第2次世界大戦下での戦況悪化により、レールなどが資材供出のターゲットとなったためだった。 頭上からまっすぐに降り注ぐ強烈な陽射しを受けて、複線跡と思われる空間のほとんどは影のない夏草でびっしりと覆われていた。その、緑の絨毯が列車の起こす風に煽られて揺れる様が、冷房の効いた車内から傍観者的に外を眺めている者を誘っているように思えて、早くも参宮線で多気から1つ目の駅である外城田で列車を降りてみた。

鉄路の栄華を極めた複線時代 その面影を草生した空き地に拾う

参宮街道で最後の関所となっていた清流宮川。列車は長大な橋梁で水面を渡って行く。すらりと延びたワーレントラスは優美だ。2両編成の気動車が現れると、列車の短さゆえに橋の雄大さがさらに強調されたように映った。

ホームのすぐ下には、普通自動車がすれ違いできるくらいの幅がある農道が続いている。道路に沿って少し多気側へ戻ると、水田越しについ先ほど列車で通り過ぎてきた線路が見えた。近くの踏切に通じている小道へ入って線路際まで行く。すると、車窓から見下ろした時の印象よりもかなり広い幅の草むらがあった。線路と寄り添うように続く緑の帯は、軌道敷きと同じくらいの幅で、軌道跡であることを容易に予想させる雰囲気だ。よく見れば草いきれの中ほどには軽トラックがつけたと思しき細いタイヤの轍が埋まっている。現在は農道として使われているようである。 腰の高さまで生い茂った草を掻き分けながら線路際を歩くと、細い用水路を線路が越えている辺りでレンガ積みの橋脚を見つけた。低い築堤を少し下りて用水路の奥を覗き込んでみると、農道となっている部分にも、線路側と同様な造りの橋脚跡が見える。線路の撤去から60年以上の歳月を過ぎた今日、かつての栄華を偲ばせる遺構が、完全に忘れ去られてしまったような、ほの暗い空間にうずくまっているのだ。鮮やかな海老茶色を纏っていたレンガは、本当は見つけて欲しいくせに絶妙な場所へこっそりと身を隠すかくれんぼみたいな、いたずらっぽい表情に見えた。

伸びやかに続く繊細なアンダートラスの波踊る

五十鈴川の中州を行く二見浦界隈では、線路近くに森影が迫りトンネルもあって若干山間ルートの印象がある。

複線時代の遺構が散見される中、参宮鉄道時代からの現役施設として堂々とした姿をとどめているのが、宮川〜山田上口間に架かる宮川橋梁である。明治30(1897)年に竣工したこの橋は、中間部に31.8mのアンダートラス(上路平行弦プラットトラス)が11個連なる全長458.1mの個性的な出立ちである。一見、トラス部分がダブルワーレン状に見えるが、これはのちに補強された部分が重なっているためだ。橋脚部分も原形の石積み周りへ新たな石積みが足されたり、コンクリートで補強されたことがわかる。完成から110年の年月を経てなお現役であり続けるべく、参宮線の象徴も徐々にその仕様を強化されてきたのだ。列車の通過時となれば、広い川原に規則正しいジョイント音が、ゆったりとした4ビートの調べを奏でながら響いた。その調子が1〜2両の短編成が主体となった現在でも、走り行く列車に優雅さを与えているように感じられた。 橋を渡れば、そこは家並みひとつ隔てて旧参宮街道が見え隠れする伊勢市の街中となる。かつては隣接するゴム工場への側線が設けられ貨物扱いが行なわれていた山田上口を過ぎ、列車は駅間の中ほどから寄り添ってきた近畿日本鉄道山田線と併走しながら、2分ほどで主要駅である伊勢市へ到着した。 駅舎の正面には、フェンスで囲われた広大な空き地があった。その様子からは、外宮へと続く参道に人がひしめき合い、その間を縫うようにして路面電車が行き来していた駅前界隈の盛況を思い浮かべるすべはない。それどころか近年まで駅前に2店舗が置かれた百貨店が撤退して以来、近隣住民にとっては駅前に列車を利用して来ることの意味さえもが希薄になってしまっている。 市街地を避けたバイパス道路の建設で、従来からの繁華街へ外来者の流入が抑制されることはままあることだ。伊勢市にしても車社会の隆盛が、旧市街地を寂しくさせている一因ではある。しかし、それにしてもまるで列車の編成が需要規模を言い当てているかのように、日中のJR線を利用する乗降客はごくわずか。2面3線が設けられたJR線は、そのゆったりとした空間を持て余しているように目に映った。ホームからの見通しが良い運転所では昼間、庫で休んでいる車両の姿もまばらで、そんな幾条も並ぶレールの上を被う殺風景さがローカル線の寂しさをさらに助長しているようだ。昭和50年代まではごく当たり前の風景であった、昼寝中の車両が目立つ構内情景も、鉄道に処せられた改革の中で変貌を遂げている。

車窓に水面が広がる池の浦で気分はクルージングリゾート

池ノ浦の入り江を渡る海上築堤は、鉄路であるとともに防波堤であり小船の繋留場であり、釣り人の歩道でもある。

東海地方屈指の観光地である、志摩地方の玄関口、鳥羽へ向かうJR路線という言葉の響きから、車窓に水平線を望む海辺のローカル線を思い浮かべがちな参宮線。伊勢市駅を過ぎると線路はいよいよ、その、海辺のリゾート地として著名な鳥羽を目指し海岸部へと向かう。 列車は五十鈴ケ丘駅と二見浦駅のほぼ中間地点で五十鈴川、松下駅近くで五十鈴川派川と、いずれも岸辺に砂地が目立つ川を、車内からでも下方の見通しが良いプレートガーダー橋梁で渡った。二見浦周辺は河口に近いので、数時間も町内の堤防を散策していれば潮の干満が顕著にわかり、すぐそばにある「海の存在」を実感できる。しかし、線路が海岸線近くに敷設されているのは実際のところ、隣駅の池の浦シーサイドから鳥羽へと向かう2kmほどの区間に過ぎない。 夏季のみ営業の臨時駅である池の浦シーサイドを通過すると、列車はすぐに鳥羽湾の入り江となっている池の浦を渡る海中築堤へ出た。この300m弱の長さを持つ築堤は、入り江の入口付近に防波堤のような形状で設けられている。その上を行く列車前方からの眺めは、あたかも海上を滑って行く高速船のようだった。

鳥羽駅から一歩外に出ると明るい空気と陽光がお出迎え

鳥羽の駅舎は橋上駅の近鉄と独立している。舎内には螺旋階段があり、リゾート地らしい洒落っ気も感じられる。

この辺り、両側に柵などの視界を遮る施設がないので、周囲の足場から列車のある情景を堪能するにも、また列車から車窓を流れて行く波打ち際を楽しむにしても、海と鉄道の一体感は抜群だ。築堤の壁面が、歴史のある漁港に見られるような赤みを帯びた石で造られていて旅心をくすぐられる。もっとも、築堤の両側が海水で満たされているのは、潮が満ちている時間帯に限られるようだが、この界隈を彩る鉄道情景は、海へ向かう鉄路という参宮線に寄せる旅人の期待にしっかりと応えてくれるものである。 山側から参宮線をオーバーパスした近畿日本鉄道鳥羽線のどっしりとした標準軌複線軌道が再び並行し、左手に観光ホテル群が目に入ってくる。終着駅、鳥羽はすぐそこだ。長編成の列車もすっぽりと収まりそうな貫禄十分のホームを、構内の最も奥に当たる部分までグイグイと入り込んで気動車は停車した。 構内からは道路や建物越しに鳥羽湾の水面が垣間見られた。近鉄側となる海側の改札口から駅を出ると、周辺を彩る物産館や島巡りの船舶などの白を基調とした観光施設並んでいる。華やかな海岸通りは昼下がりの眩しい陽光で街中を輝かせている。その様は、観光とはあまり縁のなさそうなローカル列車から降り立った者にさえも満面の笑みを振りまいていた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/03/15


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