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「高千穂」

【第98回】「高千穂」


宮崎県の霧島連峰にそびえる高千穂峰は、天孫降臨の伝説を今に伝える秀峰だ。昭和26(1951)年から日豊本線初の東京直通列車として登場した「たかちほ」の名はそれにちなんだもので、昭和31(1956)年には「高千穂」と改称。特急化の波に揉まれながら、昭和50(1975)年の廃止まで寡黙に24時間を超える長旅を支え、鹿児島本線経由の「桜島」とともに、最後まで東京〜九州間の急行として生き延びた。

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当初は「阿蘇」「げんかい」と併結 31.11改正で単独運転となる

末期の「高千穂」は「桜島」と併結で運転されていたが、廃止直前の昭和50(1975)年に入ると「高千穂」からグリーン車が外されるようになり、東京発3月8日の下り運転最終日は両列車ともモノクラス編成で運転された。

現在の日豊本線小倉〜鹿児島間は、大隅大川原〜霧島神宮間が開通し、当時の国都東(こくととう)線と国都西(こくとさい)線がつながった昭和7(1932)年12月6日に全通した。この当時、門司〜大分間に2往復の準急が設定されたものの、本州直通の優等列車は登場しなかった。 戦後に入ると、昭和24(1949)年9月15日改正で門司港〜都城間急行501・502列車を京都〜都城間の211〜501・502〜212列車(京都〜門司間は博多行きを併結)とし、日豊本線の列車として初めて本州直通が実現した。この列車は昭和26(1951)年11月25日に急行に格上げされ、門司までは熊本行きの「阿蘇」に併結される形で東京直通が実現、「たかちほ」と命名された。昭和27(1952)年頃のダイヤは、31〜501列車/東京8時00分→都城翌16時15分、502〜32列車/都城13時20分→東京翌20時08分で、片道約31〜32時間を要する長丁場だった。 昭和29(1954)年10月1日改正では併結相手が博多行きの「げんかい」に変更されたものの、昭和31(1956)年11月19日改正では東京〜博多間に特急「あさかぜ」が新設されたことから「げんかい」が廃止され、浮いた「たかちほ」が「げんかい」のスジを受け継ぎ独立する形となり、愛称名も漢字の「高千穂」に改称された。その当時のダイヤは、35列車/東京11時00分→西鹿児島(現・鹿児島中央)翌18時28分、36列車/西鹿児島10時50分→東京翌17時53分で、この改正から西鹿児島まで運転区間が延長されたことから、走行距離1593.2kmを誇る日本一長い距離を走る列車となった。

昭和30年代は特急化の流れの中で 寡黙に東京と鹿児島を結ぶ

日豊本線内における「高千穂」のDF50牽引は、昭和35(1960)年3月から開始された。

特急「あさかぜ」が運転を開始して以来、東京〜九州間の優等列車は昭和32(1957)年10月1日改正で東京〜長崎間に「さちかぜ」が、昭和33(1958)10月1日改正で東京〜鹿児島間に「はやぶさ」が誕生。「さちかぜ」はこの改正で「平和」と改められ、「あさかぜ」が新鋭の20系に置き換えられた。また、「平和」は昭和34(1959)年7月20日に20系に置き換えられ「さくら」と改称するなど、特急の躍進が目覚ましかった。 その一方で、急行の方は昭和30年代後半から縮小傾向へ向かい、昭和36(1961)年10月1日改正では東京〜長崎間の「雲仙」と東京〜佐世保間の「西海」が併結となり、かつて「高千穂」の併結相手だった「阿蘇」は名古屋打切りとなった。 昭和38(1963)年6月1日改正では東京〜熊本間の特急「みずほ」の付属編成が大分まで乗り入れるようになり、日豊本線に初めて特急が運転されるようになった。この列車は昭和39(1964)年10月1日改正で単独運転となり「富士」と命名、以後、東京と日豊本線を結ぶ代表的な寝台特急として君臨した。 このような流れの中で、「高千穂」は日本一長い距離を走る急行として黙々と東京〜西鹿児島間を結んでいた。昭和39(1964)年10月1日改正時点で、東京〜九州間を結ぶ定期急行は「高千穂」のほかに「霧島」「雲仙/西海」のみとなり、斜陽化は否めなかった。東海道新幹線の開業により新幹線と関西発着の優等列車の乗継ぎパターンが確立した影響が大きかった。

43.10改正で「霧島」と併結に オール座席車となり50.3改正で廃止

朝10時に東京を出た「高千穂」は、鶴見付近で上ってきた西鹿児島発の「はやぶさ」とすれ違う。28時間もの長旅となるため、上り「高千穂」とは2度顔を合わせる。

昭和43(1968)年10月1日改正を迎えると、「雲仙/西海」がついに廃止され(愛称名は関西発着の急行へ)、東京〜九州間の急行は「高千穂」と「霧島」の2本のみとなったが、この2列車は「霧島/高千穂」として東京〜門司間併結となり、東京発着の九州急行は実質1往復のみとなった。「高千穂」としては12年ぶりに併結運転に戻ったが、編成は1等車こそ連結されていたものの、オール座席車の輸送力列車に変貌した。その当時のダイヤは、31〜2031列車/東京11時10分→西鹿児島翌15時25分、2032〜32列車/西鹿児島11時54分→東京翌15時56分で、下り列車の所要時間は28時間15分だった。ちなみに、同区間の下り特急「富士」は東京〜西鹿児島間を24時間27分で結んだ。 昭和45(1970)年10月1日改正では、京都〜西鹿児島間に寝台特急「きりしま」が新設されたことから、愛称名が重複する「霧島」は「桜島」と改称されたが、「高千穂」のパートナーとしてその実態は変わらなかった。昭和47(1972)年3月15日改正では「桜島」側に連結されていた食堂車が廃止され、さらに編成がスケールダウン。斜陽化の流れは止まらず、山陽新幹線が博多まで開業した昭和50(1975)年3月10日改正では、旅客の昼行移転が大幅に進むことから廃止となり、伝統の東京〜九州間急行の灯は費えた。また、本州〜日豊本線間の急行としても、大阪〜大分間の「くにさき」1往復が残るのみとなり、14系座席車により運転されていたが、これも昭和53(1978)年10月2日改正で「阿蘇」と併結になり、昭和55(1980)年10月1日改正で「阿蘇」もろとも廃止された。この時点で「雲仙/西海」も廃止されたことから、山陽本線筋の九州直通定期夜行急行はすべて消滅してしまった。 ちなみに「桜島/高千穂」は、昭和50(1975)年3月8日の東京発が下りの最終運転となったが、別府止まりに変更され、グリーン車オロ11は非連結というさびしい最期となった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2021/04/01


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