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「ちどり」

【第106回】「ちどり」


広島県と島根県の県境を跨ぐ木次線備後落合~宍道間は、険しい中国山地を縦断する陰陽連絡線のひとつとして開通し、かつては広島県と島根県を結ぶ陰陽連絡の最短コースとして活用され、気動車急行「ちどり」が同線を経由して広島と米子、鳥取の間を結んでいた。43.10改正では4往復となり、伯備線経由の列車も登場した。

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戦後になって初めて登場した木次線経由広島~米子間直通列車

急行「ちどり」は、険しい中国山地を縫うように延びる木次線を走るローカル急行で、その前身は蒸気機関車牽引の客車列車だった。末期は2両編成にまで縮小され、02.3改正で約半世紀の歴史に幕を閉じた。

木次線が全通した昭和12(1937)年12月12日当時、広島と島根県の県庁所在地・松江を鉄道で結ぶルートは、広島~備後落合~宍道~松江、広島~倉敷~新見~伯耆大山~松江、広島~備後落合~備中神代~伯耆大山~松江といった経路が存在したが、この中で最短だったのが広島~備後落合~宍道~松江の木次線ルートだった。しかし、昭和15(1940)年頃の時刻表を見ると、広島から木次線を経由して山陰本線内へ至る直通列車は1本もなく、木次線の列車は線内始終着となる蒸気機関車牽引の普通列車のみだった。このため、広島~松江間では備後落合と宍道での乗換えを含めて約9時間も要する長丁場の旅となっていた。 戦後に入ると、広島~松江間を木次線経由で直通する普通列車が登場。昭和28(1953)年11月11日からは広島~米子間で不定期直通快速「ちどり」が運転を開始した。国鉄監修時刻表の昭和29(1954)年10月号を見ると、この列車は広島発の上りが土曜運転、米子発の下りが日曜運転となっており、3830列車/広島10時10分→米子17時40分、3831列車/米子14時00分→広島21時05分のダイヤで運転された。広島~松江間の普通列車と比べると1時間30分以上もスピードアップされており、2等車も連結されるようになったが、蒸気機関車牽引の客車列車という旧態依然の姿に変わりはなかった。 それでも、沿線の道路状況が現在とは比べものにならないほど悪かった当時は、この「ちどり」こそ「県境越え」の頼りになる列車であったことから、昭和30(1955)年12月1日から「ちどり」の夜行列車である「夜行ちどり」が運転を開始した。こちらも「ちどり」同様に2等車が連結された客車列車で、昭和31(1956)年11月19日改正時には、3314列車/広島23時40分→米子7時05分、3313列車/米子21時45分→広島5時48分のダイヤで運転された。列車番号は不定期列車のものだが、実際には定期列車として設定されていた。ちなみに、この改正時点で昼行の「ちどり」は定期運転となっている。

34.4改正で気動車化された「ちどり」 37.6改正では「夜行ちどり」が消滅

「ちどり」には客車快速時代から伝統的にヘッドマークが取り付けられていた。特に気動車時代の初期は電光式の大型のものが取り付けられていた。

この2本の「ちどり」も昭和34(1959)年4月20日改正では量産が始まったキハ55型気動車グループに置き換えられイメージを一新、同時に準急に格上げされた。ダイヤは「ちどり」が606D/広島12時10分→米子17時56分、605D/米子10時38分→広島16時10分、「夜行ちどり」が608D/広島23時55分→米子6時30分、607D/米子22時05分→広島5時15分で、両列車とも気動車の威力で客車時代より1時間30分も所要時間が短縮された。 一方、昭和37(1962)年3月15日には岡山~広島間を伯備線、芸備線経由で結ぶ「たいしゃく」、広島~米子間を芸備線、伯備線経由で結ぶ「しらぎり」の両準急が新設され、既存の「ちどり」「夜行ちどり」と合わせて、芸備線広島~備後落合間は準急4往復に増強された。これを契機に「ちどり」が「ちどり1・1号」に、「夜行ちどり」が「ちどり2・2号」に改称され、全国的にも「夜行」の文字が冠されたユニークな「夜行ちどり」の名が消えた。 昭和39(1964)年10月1日改正では、「ちどり」の混雑緩和を図るために、姉妹列車として広島~鳥取間を木次線経由で結ぶ「いなば」が登場した。ダイヤは608D/広島22時50分→鳥取7時03分、607D/鳥取11時30分→広島19時02分で、広島発上りは夜行、鳥取発下りは昼行で運転されたが、1等車は連結されなかった。「ちどり」の方は「ちどり1・1号」が「第1・1ちどり」に、「ちどり2・2号」が「第2・2ちどり」に改称、下り「第1ちどり」の備後落合→広島間ではキハ20型単行の準急「たいしゃく」の併結を開始している。これらの準急も、運転距離が100km以上であることから、昭和41(1966)年3月5日にはすべて急行に格上げされた。

43.10で「しらぎり」を吸収し1往復が伯備線経由となる

乗客が多い芸備線三次→広島間では、首都圏色のキハ40型気動車グループが増結されることもあった。

昭和43(1968)年10月1日改正では、全国的に同一系統の列車の愛称名統合が押し進められたことから、改正前の「ちどり」「いなば」「しらぎり」はすべて「ちどり」に統合された。これにより「ちどり」は4往復となったが、運転経路は伯備線経由の「しらぎり」を吸収したために「ちどり」としては初めて伯備線経由の列車が登場した。43.10改正時における「ちどり」のラインアップは次の通りだった。 「1・3号」(伯備線経由)=2814D~911D/広島8時28分→米子13時39分(新見→米子間は宇野発「しんじ1号」を併結)、912D2815D/米子15時27分→広島20時55分(米子→新見間は小郡発「しんじ2号」を併結) 「2・1号」=612D/広島12時45分→米子18時33分、611D/米子9時45分→広島15時55分(備後落合→広島間は岡山発「たいしゃく2号」を併結) 「3・2号」=614D/広島22時58分→鳥取6時35分、613D/鳥取11時25分→広島19時05分 「4・4号」=426D~616D/岩国22時55分→広島23時42分・23時55分→米子6時00分(岩国→広島間普通列車)、615D/米子22時40分→広島5時00分 このうち「1・3号」が旧「しらぎり」、「3・2号」が旧「いなば」で、「1・3号」の場合、新見で岡山発着の「しんじ」の併結列車が「たいしゃく」と「ちどり」で入れ替わるという、気動車列車ならではの複雑な解結作業が見られた。

末期は木次線内から姿を消し02.3改正で「みよし」へ吸収される

63.3改正ではわずか2両編成のミニ編成となった「ちどり」。JR移行後の末期は、広島色以外にも写真のような姫路色などさまざまなカラーのキハ58型気動車グループが充当された。

「ちどり」にとっての絶頂期は、山陽新幹線が岡山まで延伸した昭和47(1972)年3月15日改正までだった。この改正では伯備線に特急「やくも」が新設され、「ちどり」は「1・3号」の伯備線内が廃止され「たいしゃく」へ編入された。その結果、3往復となり、広島発の2本の夜行は1本が臨時に格下げられ実質1本となった。また「1・1号」では広島~備後落合間で広島~津山間の急行「やまのゆ」の併結を開始している。 この頃から険しい中国山地周辺でも沿線道路の整備が進み、「ちどり」は苦戦を強いられるようになる。国鉄初の減量ダイヤとなった昭和55(1980)年10月1日改正では「ちどり」の伝統だった夜行が廃止され、気動車化当初の2往復態勢に戻った。この頃はまだグリーン車が連結されており、都市間連絡の気動車急行らしさが残っていたが、昭和59(1984)年2月1日改正ではそれも廃止された。さらに翌年3月14日改正では2往復のうち、1往復が広島~三次間に縮小され「みよし」と改称したことから、「ちどり」はわずか1往復のみに後退した。
JR移行後は、中国自動車道経由で広島と島根、鳥取県内を3時間台で結ぶ高速バスが台頭し、木次線経由の「ちどり」はもはや勝負にならなくなった。平成2(1990)年3月10日改正では、広島~備後落合間の運転に縮小され、ついに木次線内で「ちどり」の姿を見ることはなくなった。こうなると、実質的には「みよし」といってもおかしくなく、平成14(2002)年3月23日改正でついに僚友の「たいしゃく」とともに「みよし」に吸収され、姿を消した。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2021/11/01


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