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「ひたち」

【第113回】「ひたち」


「ひたち」の名は茨城県の旧国名である「常陸」から取られたもので、38.10改正で電車準急として登場した。42.10改正ではその名が一度消滅したが、44.10改正では同時に登場した「いなほ」の間合い運用ながら80系気動車による特急として復活。485系に置き換えられた47.10改正以後は増発が重ねられ、60.3改正では残る急行「ときわ」を一気に吸収し20往復を超える成長を遂げた。

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全車座席指定制列車として「ときわ」と区別された準急時代

44.10改正で常磐線特急に命名された「ひたち」は、47.10改正で485系に置き換えられたのちは増発が重ねられ、60.3改正で急行「ときわ」をすべて吸収し20往復を超える大勢力に膨れ上がった。

昭和33(1958)年6月1日から常磐線で運転を開始した準急「ときわ」は、キハ55型気動車グループによる快速性を遺憾なく発揮して、たちまち首都圏と茨城、福島両県を結ぶ看板列車として成長した。この列車は昭和37(1962)年10月1日改正で下り1本が急行「みやぎ」の間合いにより451系で新設、昭和38(1963)年10月1日改正では上り8本・下り9本が設定され、気動車で残された2往復以外は451系に置き換えられた。このうち1往復は全車座席指定制の準急として運転されることになったことから、差別化の意味で「ひたち」と命名された。 その当時のダイヤは、403M/上野9時30分→平(現・いわき)12時42分、410M/平17時00分→上野20時11分だったが、現在の「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」のような速度や停車駅パターンで「ときわ」と差別化されていたわけではなかったことから利用率は低迷、昭和41(1966)年3月5日に急行に格上げされたものの、昭和42(1967)年10月1日改正で「ときわ」に編入された。

「いなほ」の間合いで特急デビュー 万が一の場合は451系が代走役に

「タキシードボディ」と呼ばれた流麗なスタイルの651系「スーパーひたち」は89.3改正で登場し、130km/hの高速運転を実現した

昭和43(1968)年10月1日改正では、これまで常磐線を経由していた特急「はつかり」が583系に置き換えられたうえ、東北本線経由に変更されることになり、常磐線から80系気動車による特急が姿を消した。しかし、昭和44(1969)年10月1日改正では、上野~秋田間を上越線、羽越本線経由で結ぶ「いなほ」が新設されたことから、その間合い運用で常磐線に80系気動車による昼行特急が復活することになり、「ひたち」と命名された。その当時のダイヤは6002D/平6時45分→上野9時45分、6001D/上野18時10分→平21時12分で、福島、茨城両県から東京へ指向するダイヤが組まれていた。列車番号は季節列車を示す6000番代となっていたが、実際は毎日運転されており、「いなほ」が冬期の雪害で運休もしくは遅れが発生した場合は、代走役として451系がいつでも出動できるようスタンバイしていた。 そんな「ひたち」も、昭和45(1970)年10月1日改正では晴れて定期列車扱いとなり、列車番号を1002D・1001Dに変更、翌年4月20日には上りが東京まで延長された。

47.10改正で電車化され運用独立 60.3改正で「ときわ」をすべて吸収

485系「ひたち」はJR移行後、651系やE653系の新勢力に押され、98.12改正で消滅した。

羽越本線全線と白新線の電化開業を迎えた昭和47(1972)年10月2日改正では、共通運用だった上野~秋田間の「いなほ」が485系電車に置き換えられたことから、「ひたち」も同系に置き換えられ運用が分離された(実際は9月27日に置換え)。 また運転本数は急行「ときわ」を格上げするなどして一挙に5往復が設定されるようになり、下り方は原ノ町や仙台まで足を伸ばすようになった。また、この改正から制定された「エル特急」の仲間入りも果たしており、「ひたち」が常磐線の主役に躍り出るきっかけとなった。なお、46.4から開始された東京乗入れは、東北新幹線工事に伴う上野~東京間回送線の閉鎖に伴い、昭和48(1973)年4月1日に廃止された。 昭和50年代に入ると、「ひたち」は破竹の勢いで増発され、昭和50(1975)年3月10日改正では8往復に、昭和53(1978)年10月2日改正では11往復となり、昭和57(1982)年11月15日改正では、上野~青森間の「みちのく」が仙台を境に系統分離されたことにより「ひたち」に編入され、12往復となった。この改正では東北新幹線が本格運転を開始したことから、東北本線の「ひばり」などが姿を消したが、「ひたち」は運転系統が異なることから、新幹線から直接の影響を受けることはなかった。 昭和50年代の「ひたち」と「ときわ」は本数の上では拮抗していたが、昭和60(1985)年3月14日改正ではその関係が一気に崩れ去る。残る「ときわ」が全列車「ひたち」に格上げされ、上野口から急行型電車による定期急行列車が消滅した。これにより、「ひたち」は上り23本・下り24本の大勢力に膨れ上がり、さらに昭和61(1986)年11月1日改正では上り26本・下り27本となり、常磐線の上野口で特急の30分ヘッド運転がほぼ確立した。

新鋭651系とE653系の投入により485系が98.12改正で淘汰される

この大勢力を維持したままJR時代を迎えた「ひたち」だが、並行する常磐自動車道との競争は避けられず、485系の老朽化も進展していたことから、平成元(1989)年3月11日改正では651系特急型電車が投入された。これにより「ひたち」は上り30本・下り31本となり、651系は7往復の列車に充当され、「スーパーひたち」と命名された。この列車は「スーパー」の名のとおり、上野~水戸間で最高130km/hによるノンストップ運転を実現、最速列車は同区間を1時間6分で結んだ。なお、「スーパーひたち」の運転開始に伴い、列車番号は0番代が「スーパーひたち」、100番代が「ひたち」として区分された。 「スーパーひたち」は、斬新なアコモデーションや高速性、「タキシードボディ」と呼ばれた独特の車体が人気を呼び、利用率は好調に推移したことから、平成2(1990)年3月10日改正では上り15本・下り16本に成長し、一部列車は仙台まで足を伸ばすようになった。一方で従来の「ひたち」は「スーパーひたち」のフォロー役として、かつての「ときわ」のような使命を担うようになり、上野~水戸、勝田間を中心に、7連のオールモノクラス編成で運転されるようになった。651系「スーパーひたち」の成長は、485系「ひたち」と速度、アコモ両面でますます差を広げる結果となり、両者の利用率に開きが出るようになった。 そこで、従来の「ひたち」上り7本・下り8本は平成9(1997)年10月1日改正から新鋭のE653系に置き換えられることになり、投入列車は「フレッシュひたち」(下り1本は「ホームタウンひたち」)と命名された。この時点で、常磐線の特急はレギュラーの「スーパーひたち」「ひたち」「フレッシュひたち」、そしてホームライナー系の「さわやかひたち」「ホームタウンひたち」と5種も存在していた。ちなみに「さわやかひたち」「ホームタウンひたち」は、昭和63(1988)年8月5日から臨時特急として運転を開始し、「ホームタウンひたち」は当初「ウィークエンドひたち」の名で運転されていた(89.3改正で改称)。平成5(1993)年4月1日には「ひたち」の下り2本が「ホームタウンひたち」に吸収され、「さわやかひたち」は平成4(1992)年3月14日改正で上り1本が増発されているが、平成5(1993)年12月1日改正では各7連だった2本の列車が統合されて14連となり、上り1本に戻っている。 このような経緯を持つ「さわやか」「ホームタウン」を冠した列車は「フレッシュひたち」が本格的に運転を開始した平成10(1998)年12月8日改正で「フレッシュひたち」に統一された。また、この改正ではついに常磐線の定期特急から485系が「ひたち」の名とともに姿を消し、昭和40(1965)年10月1日改正から続いた上野口の特急型交直両用電車の歴史にピリオドが打たれた。
平成17(2005)年3月1日改正では、E653系が4両増備されたことにより「フレッシュひたち」6本が11両編成に増強されたほか、下りは金曜夜間、上りは土曜早朝に651系を使用した特急「ウィークエンドフレッシュひたち」が上野~勝田間に、上り月曜を中心に勝田~上野間で「おはようフレッシュひたち」が登場しているが、この2列車は同年7月9日改正で毎日運転の「フレッシュひたち」に統合された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2022/05/01


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