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「銀河」

【第118回】「銀河」


急行「銀河」は、東海道新幹線なら2時間台で行ける東京―大阪間に、最後まで生き残った夜行急行だった。これは新幹線の最終列車が出た後に発車して、翌朝の始発列車よりも早く到着できる点がビジネス層などに受けていたためで、全国的な急行衰退の時代にあって極めて希有な存在だった。

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短命だった1・2等だけのエリート編成

EF58に牽引されて東海道本線平塚付近を走る昭和54(1979)年ころの20系「銀河」。特急用として一世を風靡した20系客車の急行運用第1号だった。

昭和24(1949)年9月15日、東海道本線では戦後初の特急「へいわ」の運転開始に沸いた一方で、夜行では急行「銀河」が次のダイヤで誕生した。  15列車/東京20時30分→大阪7時54分  16列車/大阪21時00分→東京7時30分 この「銀河」は国鉄初の愛称名付き急行で、最後部には文字どおり「銀河」をモチーフにしたテールマークを付けて、新しい急行をアピールしていた。また「銀河」は急行であるにも関わらず3等座席車を連結せず、1等寝台と2等座席車のみの編成で登場した。特急「へいわ」でさえ3等座席車が連結されていたのに、格下の急行に連結されないというのは、「銀河」が戦前の「名士列車」の流れを汲むエリート列車であることを示している。種別は急行だが、実質的には「夜の特別急行」といってもよかった。 そんな「銀河」の豪華編成も、まだまだ輸送力が逼迫していたこの時代ではいつまでもその存在を許されるはずはなく、デビューから9日後の9月24日には早くも一部の2等座席車の3等座席車への置き換えが実施された。それでも1・2・3等の各等急行という体裁は維持され、夜の東海道の顔であることに変わりはなかった。 昭和25(1950)1月1日、「へいわ」から改称された特急「つばめ」と「はと」が東京〜大阪間8時間運転と戦前並の水準に復帰、これとともに、同年10月1日から「銀河」の運転区間が東京〜神戸間に拡大された。さらに同年11月25日からは、10月1日に急行「霧島」から連結を開始したリクライニングシート付きの特別2等車が「銀河」にも連結された。この特別2等車の連結にともない、11月2日に全国の主要な急行列車には愛称名が付けられるようになり、「銀河」以外に全国で13もの愛称名付き急行が登場した。 昭和30年代に入ると「銀河」を取り巻く環境にさまざまな変化が訪れる。まず昭和30(1955)年7月1日には1等寝台車が廃止され、これまで連結されていたマイネ40・41型といった寝台車はすべて2等寝台車に格下げされ、マロネ40・41型となった。また翌年3月20日からは昭和16(1941)年に廃止された3等寝台車が復活し、「銀河」にもナハネ10型が連結された。 昭和31(1956)年11月19日改正では、東海道本線が全線電化されたことから、東海道本線の夜行急行は全区間が電気機関車牽引となり、「銀河」を含めて平均38分のスピードアップが図られた。この頃から、東海道本線では急行・準急列車の新設ラッシュが続き、「彗星」と「銀河」のスジを入れ替えたりするなど、ダイヤ設定上でさまざまな変更が加えられた。それとともに、東海道夜行の寝台列車化も進められ、昭和32(1957)年10月1日改正では、「彗星」が寝台列車化された。「銀河」の方はそれから遅れること4年後の昭和36(1961)年10月1日に寝台列車化され、オハネ17型やナハネ10型などの2等寝台車がフル投入された。 昭和38(1963)年10月1日改正では東京〜大阪間に急行「すばる」が増発されたが、この頃が東海道夜行の最盛期で、翌年10月1日改正で東海道新幹線が開業すると、東海道の寝台急行群は大幅に縮小、「銀河」のほかは「明星」「金星」「月光」が残るのみとなった。なおこの改正で廃止となった「彗星」に代わって「銀河」に食堂車が連結されている。

相次ぐ東海道の急行廃止のなかで唯一残った「銀河」

東京で出発を待つ昭和20年代の「銀河」。当時のエリート編成による国鉄初の愛称付き急行のひとつとして誕生した。

昭和40(1965)年10月1日改正では、東海道新幹線がさらに増発される一方で、東海道本線の寝台急行は再度整理され、残るは「明星」「銀河」のみとなった。「明星」の方は全車寝台という体裁が守られたが、「銀河」の方は輸送力を重視する列車という位置づけに変わり、2等寝台車を大幅に2等座席車に置き換えた。またこのとき、姫路まで運転区間が延長された。 運転開始以来、「銀河」は1往復のみの運転だったが、昭和43(1968)年10月1日改正では、「銀河」は関西発着の寝台特急に愛称名が召しあげられた「明星」のスジを引き継ぎ2往復となった。 このうち「1号」は全車指定席、「2号」は自由席も連結されたが、編成は2往復とも寝台車+座席車という内容だった。運転区間は、「1号」が東京〜大阪間、「2号」が東京〜姫路間となっていた。 ちなみに、昭和45(1970)年10月1日改正では、戦後まもない頃に登場した旧1等寝台車のマロネ40・41型が「銀河」を最後に引退している。 山陽新幹線岡山開業を迎えた昭和47(1972)年3月15日改正では「1号」が編成縮小され、東京〜紀伊勝浦間の急行「紀伊」と東京〜名古屋間で併結となった。また「2号」は大阪〜姫路間が廃止され、2両残った座席車は指定席となった。 昭和50(1975)年3月10日改正では、「1号」が併結相手の「紀伊」とともに特急「いなば」のスジに召し上げられ、「銀河」は再び1往復となった。 運転開始から27年、「銀河」は一般型客車を使って運転されてきたが、昭和51(1976)年2月20日には、特急「つるぎ」の24系25型化により余剰となった20系に置き換えられた。これが20系の急行転用第1号となり、昭和55(1980)年には最後部のナハネフ22型に懐かしい「銀河」のテールマークが復活した。 「銀河」の20系時代は牽引機の変更以外はさしたる大きな変化はなかったが、国鉄末期になると20系の老朽化が顕著になり、昭和60(1985)年3月14日改正で14系に置き換えられた。さらに、翌年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で、現在のような24系25型に置き換えられ、食堂車がないことを除けば、寝台特急と見分けがつかない編成となった。
しかし、平成20(2008)年3月、ダイヤ改正により、ついに「銀河」は廃止され、その長い歴史に終止符を打った。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2022/11/01


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