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「うずしお」

【第119回】「うずしお」


渦を巻きながら激しく流れる海流「渦潮」は、鳴門海峡のものが名高いが、これを愛称名の由来とした列車が「うずしお」だ。36.10改正で初めて登場したこの名は、大阪〜宇野間の四国連絡特急に名付けられたが、47.3改正で消滅。JR移行後には高徳線初の特急としてリバイバルし、岡山、高松〜徳島間で16往復の勢力を誇った。

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特急「富士」の間合いで誕生するも絶妙の四国連絡ダイヤを作り上げる

高徳線を中心に活躍した2代目「うずしお」。88.4改正で185系気動車2両編成のミニ特急としてデビューしたが、98.3改正では130km/h対応のN2000系気動車を投入。09.3改正で「うずしお22号」が徳島〜高松間を最短55分で結んだ。

全国的に特急が大増発された昭和36(1961)年10月1日改正では、東京〜大阪間を中心とした東海道本線の151系電車特急がこれまでの4往復から8往復と倍増し、「おおとり」「はと」「富士」といった列車が新たにラインアップを飾るようになった。 このうち2往復が設定された「富士」は、1往復が東京〜宇野間で四国連絡を担ったが、下り「第1富士」の宇野着が17時20分、上り「第2富士」の宇野発が12時40分というダイヤとなったため、宮原電車区(現・宮原総合運転所)への入出庫を兼ねた間合い列車が宇野〜大阪間に設定されることになり、「うずしお」と命名された。 その当時のダイヤは、2010M/宇野19時10分→大阪22時00分、2009M/大阪7時00分→宇野9時50分で、四国側では急行「道後」「浦戸」と接続し、下りの場合、松山に14時20分、高知に14時09分に到着する絶好の接続体系となった。 このようなことから、「うずしお」の人気はかなり高く、東海道本線から在来電車特急が撤退した39.10改正でも、運転開始当初のダイヤを維持していた。この改正では宇野発着の「富士」が廃止されたが、新大阪〜宇野間のみスジを残して姉妹列車の「ゆうなぎ」が設定されている。 編成の方は、39.10改正以後も山陽特急の「つばめ」「はと」「しおじ」と共通運用となっていたため、下り寄りに豪華な1等座席車クロ151を連結していた。しかし、山陽本線筋では利用率が芳しくなかったため、181系への改造後の昭和41(1966)年10月から昭和42(1967)年4月にかけてクロ181の1等開放室を2等開放室に改造するクロハ化工事が行なわれた。ただし、クロ181は2両が未改造で残ることになり、こちらはおもに「うずしお」「ゆうなぎ」で引き続き運用された。 この2列車が転機を迎えたのは昭和43(1968)年10月1日改正でのことで、同一方面への愛称名が統合された結果、「ゆうなぎ」は「うずしお」へ吸収。「うずしお」はさらに1往復が増発されて新大阪、大阪〜宇野間に3往復態勢となった。また、この改正ではついにクロが消滅し、クロハ連結となっている。 次の昭和44(1969)年10月1日改正では、北陸特急の「雷鳥」「はくたか」用として向日町運転所(現・京都総合運転所)に485系35両が新製配置されたのに伴い、「うずしお」も1往復が485系に置き換えられている。直流区間の宇野線に交直両用の485系が定期列車として入線したのは後にも先にもこの「うずしお」だけだった。 そんな「うずしお」も、山陽新幹線が岡山まで開業した昭和47(1972)年3月15日改正では、四国連絡の列車体系が新幹線と宇野線快速主体に改められたためお役ご免となり、宇野線を走る関西発着の優等列車は急行「鷲羽」だけとなってしまった。

高徳線初の特急で復活した2代目 当初はオール自由席のミニ特急に

47.3改正で姿を消した初代「うずしお」は、36.10改正で関西発着の四国連絡特急として登場。39.10改正後も下り寄りに東海道電車特急の名残である豪華なクロ151(のちにクロ181→クロハ181)を連結していた。

47.3改正で封印された「うずしお」の名は、国鉄時代に復活することはなかったが、JR移行後は、本四備讃線が全通した昭和63(1988)年4月10日改正で高徳線に初めて登場した特急に復活した。この「うずしお」は、急行「阿波」の格上げによるもので、高松〜徳島間に10往復が設定されたが、さらに1往復は宇野線を通り岡山まで顔を見せることになった。運転系統こそ異なるが、宇野線では16年ぶりに「うずしお」の復活となった。 当初の編成は高松運転所の185系気動車2両で、グリーン車はおろか、普通車指定席も連結されなかった。これにより「うずしお」はJRグループ最短の特急という異名を頂いたが、平成元(1989)年3月11日改正では岡山直通列車のみ3両編成となった。 次の平成2(1990)年11月21日改正では、牟岐線直通列車として生き残っていた急行「阿波」を吸収して13往復に。さらに平成5(1993)年10月1日改正では全列車が3両化。平成8(1996)年3月16日改正では要望のあったグリーン車が連結されることになり、中間にキロハ186を組み込んだ4両編成も登場した。この時点で、「うずしお」はキロハ込みの3・4両、キロハなしの3両という3パターンの編成が存在した。なお、その間の平成4(1992)年3月26日には、開業した阿佐海岸鉄道へ一部列車が乗り入れている(ただし、線内は普通列車)。 さて、予讃線や土讃線では、JR移行後に振り子式の2000系気動車や8000系電車の投入が進み高速化が図られていたが、高松と徳島という四国屈指の二大都市間を結ぶ高徳線では高速化が遅れていた。 しかし、平成10(1998)年3月14日改正では、高徳線の高速化工事が一部完成したことから、「うずしお」に130km/h対応のN2000系気動車の投入が開始された。このとき「うずしお」は14往復の大所帯となったが、N2000系はこのうち3往復に投入され、岡山乗入れ列車はすべて2000系化された。 一方、185系気動車の方は5両編成も登場しているが、同年10月3日改正では、「うずしお」15往復中8往復が2000系で占められるようになり、185系気動車はキロハの連結が中止された。 さらに高速化工事が完了した平成11(1999)年3月13日改正では、185系気動車の運用はわずか1往復のみとなり、「うずしお」の2000系化がここにほぼ完了した。これに伴い、「うずしお」用の185系気動車は、その大半が「剣山」と共通運用で徳島以南の牟岐線内を走る新設の「むろと」へ回ることとなった。 2000年代に入ると、平成13(2001)年3月3日改正で、臨時列車の扱いながら上り1本が予讃線伊予西条まで乗り入れるようになったほか、岡山発着の「うずしお」が宇多津〜岡山間で「南風」に併結されるようになった。しかし、伊予西条へ乗り入れる「うずしお」は短命で、平成15(2003)年10月1日改正では予讃線区間が「いしづち」に分離されてしまった。 平成21(2009)年3月14日改正時点で「うずしお」は、平成17(2005)年3月1日改正以来の16往復が運転され、2往復では特急「むろと」「剣山」との運用の絡みで185系気動車が運用されていた。この185系気動車では、平成14(2002)年10月6日に、「アンパンマン」のキャラクターを施したキロハ186改造の「ゆうゆうアンパンマンカー」が登場しており、平成19(2007)年にリニューアルされた車両が「うずしお5号」に連結された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2022/12/01


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