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「いしかり」

【第120回】「いしかり」


札幌市を中心とする石狩平野は、関東平野に次ぐ日本第2の面積を誇る平野だ。昭和50(1975)年7月18日、北海道初の電車特急としてデビューした「いしかり」の名は、そのスケールの大きなイメージにあやかったものだが、冬期は雪害に悩まされ、登場からわずか5年余りで現在の「ライラック」にその座を譲った不遇の列車だった。

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函館〜札幌間の客車準急から始まった「石狩」の愛称名

北海道初の電車特急として登場した「いしかり」。クハ481-1500の頭部にある2つ目の前照灯が北海道らしさを醸し出していた

「いしかり」の愛称名の起源は昭和20年代にまで遡る。昭和24(1949)年9月15日に小樽〜旭川間で運転を開始した準急2005・2006列車がそれにあたり、昭和26(1951)年4月1日に「石狩」と命名された。この「石狩」は昭和29(1954)年5月1日に函館〜札幌間を「山線」と呼ばれる倶知安、小樽経由で運転されていた急行「あかしや」に統合されるが、小樽〜旭川間は「石狩」時代と同じく準急として運転されるという変則列車だった。 「石狩」の愛称名はこうして一度消えたが、昭和33(1958)年10月1日改正で復活する。今度は函館〜札幌間を「海線」と呼ばれる室蘭本線・千歳線経由で運転する不定期急行として登場した。ダイヤは1101列車/函館5時30分→札幌11時40分、1102列車/札幌16時50分→函館23時05分で、函館〜網走間を「山線」経由で運転する急行「大雪」の補完列車という性格だった。この「石狩」「大雪」はともに青函連絡船深夜便と接続するダイヤが組まれていたが、当時は「山線」経由の「大雪」がメインで、「海線」経由の「石狩」はあくまで脇役だった。この「石狩」は昭和43(1968)年10月1日改正でひっそりと消滅している。
昭和40年代、北海道で一般的に利用しやすい優等列車といえば準急・急行だった。特に、北海道屈指のメインルートとされる札幌〜旭川間は、自由席本位の急行「かむい」が主力だった。「かむい」は昭和34(1959)年9月22日改正で小樽〜旭川、上芦別間に登場し、当初はキハ22による気動車準急だった。その「かむい」は、函館本線小樽〜滝川間電化完成後に迎えた昭和43(1968)年10月1日改正では6往復中1往復が711系電車に置き換えられた。さらに函館本線滝川〜旭川間電化完成後の昭和44(1969)年10月1日改正では、8往復中7往復が電車化され、札幌〜旭川間のビジネス急行としての地位を確立した。 昭和40年代の札幌〜旭川間の旅客は年々増加の一途を辿り、「かむい」の人気はうなぎ上りだった。その波に乗って、国鉄は昭和46(1971)年7月1日、札幌〜旭川間途中駅ノンストップという破格の急行を設定した。それが「さちかぜ」だ。この「さちかぜ」は、特急でさえ1時間45分かかっていた札幌〜旭川間を最速1時間37分で走破した。ダイヤは1802M〜852M/旭川8時00分→札幌9時37分着・9時44分発→小樽10時22分、877M〜1801M/小樽16時59分→札幌17時35分着・17時40分発→旭川19時19分で、旭川から札幌へ向かうには最適なビジネスダイヤだった。なお、小樽〜札幌間は特別快速で運転された。 その「かむい」「さちかぜ」の急行グループも、昭和50(1975)になり、ついに特急時代を迎えることになった。昭和49(1974)年に北海道向けの特急型交直両用電車である485系1500番代が登場、日本海縦貫線の「白鳥」でその耐寒・耐雪性能がテストされ、鳴り物入りで北海道に渡ってきたのだ。「かむい」「さちかぜ」の特急格上げは、当初、昭和50(1975)年7月1日に予定されていたが、労使調整の遅れから7月18日に延期された。 こうして誕生した「いしかり」は、「かむい」3往復、「さちかぜ」1往復の格上げ分を含む7往復で運転され、一躍、札幌〜旭川間の主役に躍り出た。ところが、問題はその後だった。昭和51(1976)年1月23日には、雪害による電気系統のトラブルによって、14本中13本が運休するという不名誉な事態を迎えてしまった。車両トラブルは以後も続き、国鉄では「かむい」の臨時便を運転したり、計画的に間引き運休する対策を講じたが、抜本的な解決にはならなかった。そこで、711系をベースにした新しい酷寒地用特急型交流専用電車・781系を製造することになった。 781系は711系をベースにMTユニット方式を踏襲し、フリーストップ式のリクライニングシートや客室扉に自動ドアを採用するなど、当時としては斬新な車内設備を誇った。「いしかり」への投入は昭和54(1979)年3月19日から順次始まり、翌年6月25日には全列車の置換えが完了した。

室蘭本線・千歳線電化により「いしかり」は「ライラック」へ

55.10改正で「いしかり」を引き継いだ「ライラック」。当時781系は6連が基本だった。

昭和55(1980)年10月1日の全国ダイヤ改正では、室蘭本線・千歳線の室蘭〜苗穂間が電化開業し、これまでの特急「いしかり」が、室蘭〜札幌〜旭川間を直通する「ライラック」に統合され、9往復と躍進を遂げた。また、この改正では東京〜北海道間の鉄道対航空機のシェアが逆転していたことを踏まえ、函館本位から札幌本位のダイヤ構成に改められ、当時の千歳空港と直結する連絡駅として千歳線美々〜千歳間に千歳空港(現・南千歳)駅が開業している。 「ライラック」は昭和59(1984)年2月1日改正で下り11本・上り12本と躍進し、これと引換えに711系「かむい」は風前の灯と化した。昭和61(1986)年3月3日改正では、千歳空港〜札幌、旭川間にさらに3往復の特急が増発されたが、こちらは札幌以外は途中駅ノンストップとしたため「ホワイトアロー」という愛称名で区別された。この列車は、2往復が千歳空港〜札幌間わずか44.0kmの運転となり、国鉄最後の最短距離特急となった。 「ライラック」「ホワイトアロー」は、同年11月1日改正で、中間車の先頭車化改造により全列車6連から4連に短編成化、「ホワイトアロー」は6往復となり、運転区間はおもに苫小牧〜旭川間となった。その陰で、急行「かむい」は711系による運用が廃止された。 JR移行後の北海道の電車特急は「ホワイトアロー」を吸収した「スーパーホワイトアロー」が主役の座に踊り出る。平成2(1990)年9月1日改正では、新鋭の785系特急型電車の投入により13往復が登場し、781系「ライラック」とともに活躍するが、「ライラック」の方は平成4(1992)年7月1日の新千歳空港駅開業により札幌〜室蘭間は「すずらん」に分離され、特急としての運転区間は札幌〜旭川間のみとなった(一部は新千歳空港〜札幌間を快速「エアポート」として運転)。 平成12(2000)年11月上旬からは、721系の快速「エアポート」に、よりグレードアップした指定席「uシート」が連結されるようになり、翌年7月1日改正では「ライラック/エアポート」(新千歳空港〜札幌間快速)として新千歳空港に直通する781系にも登場した。この「uシート」は平成14(2002)年3月16日改正で「スーパーホワイトアロー」にも連結を開始、781系による「ライラック/エアポート」の新千歳空港直通は785系による「スーパーホワイトアロー/エアポート」に改められた。現行ダイヤとなる平成16(2004)年3月13日改正では、「スーパーホワイトアロー」15往復、「ライラック」11往復が設定され、前者は785系5両編成の新千歳空港直通空港アクセス列車、後者は781系4両編成の札幌発着特急という性格分けになった

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2023/01/01


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