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「きたぐに」

【第77回】 「きたぐに」


JRの急行の中で、「はまなす」「銀河」「能登」とともに永年にわたって奮闘してきたのが大阪〜新潟間の「きたぐに」だった。583系を使用する唯一の定期列車という点でも貴重な存在だったこの列車は、もともと北陸本線の気動車急行としてその名を発し、43.10改正で「日本海」から伝統の血筋を受け継いで、大阪〜青森間1000km超をロングランしていた。

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スジは大阪〜青森間急行の流れを汲み 名は金沢〜新潟間急行に端を発する

日本海縦貫線の看板急行だった「日本海」の血筋を43.10改正で受け継いだ「きたぐに」は、57.11改正で大阪〜青森間から大阪〜新潟間に運転区間が縮小され、ほぼ現在のダイヤとなった。その当初は14系客車で運転された。

急行「きたぐに」は大阪〜新潟間の夜行急行として運転されていたが、これは戦後まもなく復活した大阪〜青森間急行に端を発し、のちに「日本海」と命名された列車の流れを汲んだものだ。しかし、愛称名としての「きたぐに」は昭和36(1961)年10月1日改正から運転を開始した金沢〜新潟間の昼行ローカル気動車急行に端を発する。この「きたぐに」のダイヤは、402D/新潟7時40分→金沢13時10分、401D/金沢15時40分→新潟21時00分で、この改正で新潟機関区に新製配置された6両のキハ58型が運用された。この列車は、現在でいえばさしずめ特急「北越」の使命を担っていたといえる。 北陸本線が金沢まで電化されたのを機に実施された昭和38(1963)年4月20日改正では、上り方が大阪発着に変更され、ローカル急行から幹線急行へ昇格した。また、この時、大阪〜金沢間では七尾線輪島(現・廃止)まで乗り入れる「奥能登」を併結する2階建て列車となり、併結区間ではキロ28が3両も連結される豪華列車となった。その当時のダイヤは、501D/大阪11時05分→新潟21時00分、502D/新潟7時40分→大阪17時55分で、「きたぐに」は引き続き新潟機関区、「奥能登」は宮原機関区の受持ちとなった。

43.10で急行「日本海」を受け継ぐものの昭和47年には火災事故を起こす

「きたぐに」は、アイボリーにグレーのJR西日本色に塗り替えられた583系で運用され、「能登」と並び北陸本線を走る急行として活躍した。

昭和43(1968)年10月1日改正を迎えると、大阪〜青森間に初めて日本海縦貫線経由の夜行特急が新設されることになった。これに伴い、大阪〜青森間の急行「日本海」はその名を新設特急に譲ることになり、従来の急行「日本海」は代わって「きたぐに」と命名された。これまで「きたぐに」を名乗っていた大阪〜新潟間の昼行気動車急行は「越後」に改称されたが、この名は昭和40(1965)年10月1日改正まで上野〜新潟間の夜行準急に命名されていたものだった。 2代目「きたぐに」は、伝統の「日本海」から改称されたものの、車両は引き続き「日本海」時代同様、10系客車とスハ43型客車グループの混成だった。その当時のダイヤは、501列車/大阪20時45分→新潟8時48分・9時07分→青森18時32分、502列車/青森11時51分→新潟20時57分・21時20分→大阪9時22分で、新潟での停車時間が永いのは寝台車を解結していたためだった。大阪〜新潟間は夜行急行、新潟〜青森間は座席車のみの昼行急行というふたつの顔を合わせ持っていたのが「日本海」時代以来の「きたぐに」の大きな特徴で、下り列車では青函航路を介して函館〜札幌間の夜行急行「すずらん6号」と連絡していた。この場合、大阪〜札幌間を乗り通すと2夜行となり、「トワイライトエクスプレス」が同区間を1夜行で結んでいる現在では考えられない長丁場の旅を演出していた。 さて、この「きたぐに」にとって忘れてはならないのが、北陸トンネル内で発生した列車火災事故だろう。昭和47(1972)年11月6日1時12分頃、北陸本線敦賀〜南今庄間の北陸トンネル内敦賀寄り5.3km付近を走行中の下り「きたぐに」の11両目・オシ17 2018から出火。乗務員は列車を緊急停止させ、火災車両と12両目以下を切り離して脱出を試みたものの、火災のため架線が停電して走行不能となった。その結果、30人が死亡、714人が負傷するという、国鉄史上最悪の列車火災事故を招いた。国鉄ではこの事故を教訓に、異常時はトンネル内や橋梁上は停車しない処置手順を確立させるとともに、車両の不燃化対策を早急に進めた。なお、火災を起こしたオシ17 2018は事故後すぐに使用停止処分となり、警察の証拠物件としてしばらく保管されていたが、昭和56(1981)年9月24日付で正式に廃車となった。また、この事故を契機に上野〜青森間の「十和田」に連結されていたオシ17も使用が中止され、同形式は昭和49(1974)年3月に事故車を除いて全廃となった。かつては特急「つばめ」「はと」の食堂車として華々しくデビューしたオシ17も、事故によって引導が渡されるとは皮肉であった。

12系→14系とグレードアップされ60.3改正では現在の583系が登場

60.3改正で583系に置き換えられた当初の「きたぐに」は国鉄色だった。

昭和44(1969)年に波動輸送用の新系列客車として誕生した12系は、冷房完備でシートピッチの広いボックスシートが評判だった。登場からしばらくの間は本州各地の臨時列車に使用されていたが、昭和48(1973)年10月1日改正を機に初めて定期列車にも充当されることになり、京都〜広島間の急行「音戸2・1号」と「きたぐに」の普通座席車を置き換えた。編成面では、「きたぐに」のグリーン車と寝台車は旧態依然のくすんだ一般型客車であったことから、ボディも新しく、照明も明るい12系客車はひと際目立っていた。 昭和50(1975)年3月10日改正では、大阪発着となる北陸本線のほとんどの優等列車が前年に開業した山科〜近江塩津間の湖西線経由に変更された中で、「きたぐに」は「ゆのくに」とともに米原経由のまま存置された。「きたぐに」の米原経由は現在も続いており、また定期券でも乗車できることから、大阪〜米原間ではホームライナー的な使われ方もされている。 そんな「きたぐに」も、上越新幹線が開業し、特急が大増発された昭和57(1982)年11月15日改正を迎えると、新潟〜青森間が特急「いなほ」「白鳥」にスジを譲る形で廃止され、14系に置き換えられた。これが現「きたぐに」の当初の姿で、運転区間は気動車時代の「きたぐに」に戻る形となった。 さらに、昭和60(1985)年3月14日改正では、塗色こそ異なるものの、現在の583系に置き換えられた。同系は当時、長距離旅客の新幹線や航空機への移転が進んだことから活躍の場が狭められつつあり、一部は近郊型の715系や419系に改造されていた。また特急としての運用も東北筋が中心となり、山陽筋からはすでに撤退していた。北陸本線では、昭和57(1982)年11月15日改正で不定期化された急行「立山」から運用に入っていたが、寝台車使用は12両中わずか3両というエコノミーなスタイルで運転され、寝台需要の少ないシーズンは全車座席車となることもあった。 さて、「きたぐに」は客車時代から一貫してA寝台車が連結されていたが、583系にはA寝台の形式がなかったことから、この改正を機にサハネ581を改造したサロネ581が6両登場している。3段式寝台の中・上段を撤去して、新たに上段を新設して2段化した車両だったが、それ以外は基本的なアコモデーションに大きな変化はなく、電車3段寝台と比較して割高な印象は拭えなかった。 JR移行後の「きたぐに」は、昭和63(1988)年3月13日改正で下りの新津〜新潟間が快速列車に格下げられたほか、583系が平成4(1992)年からライトパープルの新塗色に、平成9(1997)年には、現在のアイボリーにグレーのツートンカラーに塗色変更された。 また、並行して運転されていた大阪〜新潟間の特急「つるぎ」が平成6(1994)年12月3日改正で廃止されたことから、以来、大阪と新潟を結ぶ唯一の北陸夜行として、根強い需要に支えられて運転されたものの、平成15(2012)年3月のダイヤ改正により、定期運行は廃止された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/05/01


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