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「なすの」

【第80回】 「なすの」


「なすの」は東北新幹線の愛称名に召し上げられる以前は、在来線の上野〜黒磯間で運転された「新特急なすの」に付けられたが、60.3改正以前は上野〜宇都宮、黒磯、白河間に設定されていた電車急行が、その名を戴いていた。

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「なすの」に先立つ優等列車「しもつけ」と「二荒」

34.9改正で「日光」「中禅寺」との一体運用で誕生した「なすの」は、昭和38(1963)年から165系に置き換えられ、勢力を増した43.10改正からは北関東を代表するローカル急行としてのイメージが定着した。

現在、宇都宮線の愛称で親しまれている東北本線上野〜黒磯間は、昭和20年代末期に実施された昭和29(1954)年10月1日改正時点では大宮以北が非電化であり、上野〜日光間の「日光」、新橋〜東京〜小山〜高崎間の「わたらせ」、上野〜宇都宮、桐生間の「おおとね」という愛称名付き客車列車が運転されていた。 これらは、現在でいえば快速に相当する列車だったが、上野〜黒磯間に快速が登場したのは、これよりやや遅い、昭和30(1955)年3月16日のことで、田端機関区に当時新鋭のキハ17型気動車グループ(当時はキハ45000型と呼称)が配置されたのを機に、気動車で運転された。その当時のダイヤは次の通りだった。 ・511D/上野8時00分→黒磯10時48分 ・514D/黒磯11時09分→上野14時08分 ・513D/上野12時36分→黒磯15時22分 ・516D/黒磯16時02分→上野19時00分 (いずれも上野〜宇都宮間は日光編成を併結)。 この2往復の快速は、東北本線の電化が宇都宮まで延伸した昭和33(1958)年4月14日改正で準急に格上げされ、客車列車化された。 元511D・514Dのスジは「二荒」、513D・516Dのスジは「しもつけ」と命名。快速時代と同様に日光編成を併結しており、行楽列車的要素が強いこともあって、着席が約束された列車指定制が採用されていた。 なお、同年10月1日に実施されたダイヤ改正では、「二荒」の方が、上野〜福島間に新設された準急「あぶくま」にスジを譲ったため消滅している。 昭和34(1959)年に入ると、東北本線は5月22日に黒磯まで、7月1日に白河まで電化が延伸。9月22日に実施されたダイヤ改正では、宇都宮から分岐する日光線も電化開業した。当時の国鉄としては、対日光輸送で1700系を使う東武鉄道の電車特急に対抗する必要上、日光線電化を機に特急型並みの新鋭157系電車を使用した全車指定制準急列車の運転を企図し、上野〜日光間の準急「日光」を同系に置き換え、これを東京〜日光間の運転とした。また、共通運用で新宿〜日光間に準急「中禅寺」が登場したほか、上野〜黒磯間にも準急が設定され、この列車は「なすの」と命名された。これらの列車では、次のように一体といえるほど巧みな運用が組まれていた。 ・501T「中禅寺」/新宿7時14分→日光9時11分 ・951T/日光9時23分→黒磯10時49分 ・502T「なすの」/黒磯10時53分→上野12時59分 ・505T「なすの」/上野13時15分→黒磯15時19分 ・952T/黒磯15時23分→日光16時57分 ・506T/日光17時10分→東京19時07分 ・503T「日光」/東京8時14分→日光10時11分 ・504T「中禅寺」/日光16時20分→新宿18時20分  新宿を発車した「中禅寺」は、日光〜黒磯間の快速と「なすの」運用を挟み、「日光」で東京着。翌日は東京を「日光」として発車、日光→宇都宮と回送され、一旦、宇都宮機関区に入庫。午後に宇都宮→日光と回送され、「中禅寺」で新宿着というパターンだった。当時2編成あった157系をこのように運用したのは、新宿に到着した編成が、東京を基準にした場合逆になるためだった。 これらの列車は、特急並みの設備を誇ることからデラックス準急とも呼ばれたが、一方で、既存の準急「しもつけ」が80系電車に置き換えられ日光編成を分離。上野〜日光間には同じく80系を使用する「だいや」が新設された。

「ひびき」への157系拠出でボックスシートの平凡な準急へ

60.3改正では急行としてはピリオドを打った「なすの」だったが、代わって上野〜宇都宮、黒磯間に特急「新特急なすの」が登場し、新前橋区の185系で装いを新たにした。

昭和35(1960)年8月15日には、33.10改正で廃止された「二荒」の愛称が、上野〜宇都宮間を毎日運転する臨時準急に付けられ、「ふたあら」とされた。この列車は昭和37(1962)年10月には定期列車に昇格し、この時点で、上野〜宇都宮、黒磯間系統の定期準急は「なすの」「しもつけ」「ふたあら」のラインアップとなった。 昭和38(1963)年に入ると、勾配電化区間の切り札として、抑速ブレーキと高出力のMT54を搭載した急行型電車の決定版、165系の第1陣が登場した。この当時、東海道本線では、不定期特急「ひびき」を増強するため、157系を充てることになり、この影響で「なすの」「湘南日光」「中禅寺」と80系電車の「ふたあら」は、3月25日から新鋭の165系に置き換えられることになった。また、「日光」は157系のまま残されたが、こちらは「ひびき」にサロを供出したため、2等車のみのモノクラス編成となった。 この165系化に際し、田町電車区には同系が15両配置されたが、サロの配置はなく、これまで157系だった「なすの」「湘南日光」「中禅寺」は1等車のないボックスシートの一般的な準急に変貌した。ちなみに、対日光輸送のライバル・東武鉄道は、昭和35(1960)年から豪華な1720系特急車を就役させており、サービス面で国鉄は大きな遅れを取ることになった。

60.3で「新特急」へ発展 95.12で東北新幹線の愛称に

43.10改正では「なすの」では異色の列車として、451・455系を使用する白河発の列車が登場した。

昭和40年代に入ると、「ふたあら」が昭和40(1965)年10月1日改正で「しもつけ」に吸収されるという動きがあったが、急行に昇格したのちの昭和43(1968)年10月1日改正では、その「しもつけ」も「なすの」に吸収され、「なすの」は一挙に不定期を含む5往復の勢力となった。また、これまでにはない列車として、交直両用電車の451・455系を使用する上り白河発の「なすの」が誕生したほか、下り1本は車両繰りの都合で115系が充当されるようになり、「なすの」は165系、451・455系、115系の3形式におよぶ多彩な列車に変貌した。なお、昭和43(1968)年9月1日には両毛線が電化開業したが、同線を走る急行「わたらせ」は43.10改正で165系に置き換えられ、「なすの」の一部と併結運転を開始している。 以後の「なすの」は、昭和51(1976)年11月1日改正で115系使用の下り1本が快速に格下げられるという動きはあったものの、北関東のローカル急行の代表として、ほぼ43.10改正時の勢力を維持し続けた。そして、昭和57(1982)年11月15日改正では、「日光」が廃止されたことも手伝い、下り7本・上り9本の最大本数となったが、東北新幹線が上野まで延伸した昭和60(1985)年3月14日改正では、上野口の急行型電車を使用する昼行急行がすべて姿を消すことになり、「なすの」は「わたらせ」と運命をともにした。 しかし、「なすの」の名は、この改正で新設された上野〜宇都宮、黒磯間の在来線特急に受け継がれることになり、「新特急なすの」と命名された。185系を使用するこの列車は当初、9往復設定されたが、JR移行後は乗客の新幹線への移転が進み、その大半が相次いで快速に格下げられ、平成7(1995)年12月1日改正では、最後まで残ったスジが「新特急ホームタウンとちぎ」「新特急おはようとちぎ」に受け継がれた。代わって「なすの」の名は、東北新幹線東京〜那須塩原間系統の各駅停車タイプに移り、現在に至っている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/08/01


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