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「やまばと」

【第83回】 「やまばと」


「やまばと」はかつて上野〜山形間で運転されていた奥羽本線の特急で、「つばさ」を補完すべく登場。気動車特急時代の一時期はのちの特急「あいづ」の前身となる会津若松編成を連結していた。43.10改正以後は上野〜山形間の単独運転となり、最盛時で3往復の陣容となったが、東北新幹線が上野まで開業した60.3改正で廃止され、後進を「つばさ」に譲った。

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山形編成と会津若松編成を併結した2階建ての気動車特急時代

「やまばと」は39.10改正で気動車特急として登場、40.10改正から山形行きと会津若松行きの2階建て編成となったが、食堂車は連結されなかった。

「やまばと」の名は、永く上野〜山形間の特急に使用されていたが、昭和30年代前半は、名古屋〜下呂間の臨時列車の愛称名に使用されていた時期があった。この列車はC58が牽引する週末運転の客車準急で、下呂温泉への行楽輸送向けに運転されていたという。 さて、特急としての「やまばと」の歴史は、昭和36(1961)年10月1日改正で上野〜秋田間に誕生した奥羽本線初の特急「つばさ」が、当時数少ない昼行の秋田直通特急ということで人気が高く、特急券の入手困難な列車であったことから、これを補完すべく昭和39(1964)年10月1日改正で急行「第1・3ざおう」を格上げして上野〜山形間に登場したのが始まりだった。その当時のダイヤは、3D/上野9時45分→山形15時17分、4D/山形16時10分→上野21時40分で、運転開始に際して尾久客車区に11両の80系特急型気動車が新製増備された。 しかし、翌10月1日改正では「つばさ」の慢性的な輸送力不足に対処するため、この「やまばと」を秋田まで延長し「つばさ」へ編入、「やまばと」は「つばさ」の盛岡編成が483系電車に置き換えられ「やまびこ」に改称されたことから、捻出された80系気動車を使用して上野〜会津若松、山形間の気動車特急として再出発した。その当時のダイヤは、7D(〜2007D)/上野15時00分→山形20時29分(会津若松19時14分)、(2008D〜)8D/(会津若松9時45分)山形8時35分→上野14時10分で、80系気動車17両が山形機関区へ転配されたことから、山形基準の日帰りダイヤが組まれた。山形編成と会津若松編成は上野〜郡山間で併結され、同区間では12両の堂々たる編成で運転されたが、両編成とも食堂車の連結がなく、当時の気動車特急としてはやや淋しい編成内容だった。

43.10改正で電車化され会津若松編成と山形編成が分離

「やまばと」の電車化当初は仙台運転所の483・485系が使用され、ボンネットタイプのクハ481が先頭を飾ったが、53.10改正では秋田運転区の485系1000番代に置き換えられ、ボンネットタイプのクハ481は「やまばと」から消えている。

昭和40年代に入ると、東北地方では電化開業が相次ぎ、昭和40(1965)年10月1日改正では東北本線が盛岡まで、昭和42(1967)年7月1日には磐越西線郡山〜喜多方間が電化開業した。そして昭和43(1968)年10月1日改正を機に東北本線の全線電化が達成され、特急列車の電車化が急進した。 「やまばと」も例外ではなく、磐越西線電化後の昭和43(1968)年9月18日には会津若松編成が483系電車に置き換えられ、山形編成から分離。列車名は山形行きの「やまばと」と区別するため暫定的に「会津やまばと」と命名された。この列車は同年10月1日に「あいづ」と改称、上野直通列車としては平成5(1993)年12月1日改正まで運転された。 一方の山形編成は、9月23日に奥羽本線米沢〜山形間が電化開業したことにより、9月28日から仙台運転所の483・485系電車9両編成に置き換えられ、10月1日改正以後は単独の「やまばと」として2往復態勢で運転されることになった。その当時のダイヤは、1012M「1号」/山形7時55分→上野12時30分、1011M「1号」/上野13時20分→山形17時55分、1016M「2号」/山形12時35分→上野17時10分、1015M「2号」/上野17時00分→山形21時35分だった。上野〜山形間の所要時間は4時間35分で、気動車特急時代と比べて55分の大幅なスピードアップを果たした。 昭和47(1972)年3月15日改正を迎えると、「やまばと」は1往復が増発され3往復となり、奥羽特急は181系気動車により2往復運転されていた「つばさ」を含めて5往復となった。この時点で「やまばと」の受持ちはすべて仙台運転所だったが、昭和50(1975)年3月10日改正では1往復が青森運転所へ移管され、貫通型の485系200番代の「やまばと」が登場している。また、この年の11月25日には奥羽本線羽前千歳〜秋田間が電化開業し、奥羽本線全線の電気運転が可能になった。このため、僚友の「つばさ」は485系に置き換えられることになったが、投入される予定だった485系の耐寒・耐雪型である1000番代が、落成の遅れから電化には間に合わず、当初は200番代が代用され、1000番代は翌年2〜4月にかけて順次「つばさ」に投入された。そして、昭和53(1978)年10月2日改正では「やまばと」全列車が秋田運転区の1000番代に置き換えられ、ボンネット型の485系が「やまばと」から姿を消している。

43.10改正で電車化され会津若松編成と山形編成が分離

奥羽本線の特急は山形までの利用客が多く、秋田特急「つばさ」の混雑緩和のために登場したのが「やまばと」だった。53.10改正からは485系1000番代がその任に就いた。

昭和40年代に入ると、東北地方では電化開業が相次ぎ、昭和40(1965)年10月1日改正では東北本線が盛岡まで、昭和42(1967)年7月1日には磐越西線郡山〜喜多方間が電化開業した。そして昭和43(1968)年10月1日改正を機に東北本線の全線電化が達成され、特急列車の電車化が急進した。 「やまばと」も例外ではなく、磐越西線電化後の昭和43(1968)年9月18日には会津若松編成が483系電車に置き換えられ、山形編成から分離。列車名は山形行きの「やまばと」と区別するため暫定的に「会津やまばと」と命名された。この列車は同年10月1日に「あいづ」と改称、上野直通列車としては平成5(1993)年12月1日改正まで運転された。 一方の山形編成は、9月23日に奥羽本線米沢〜山形間が電化開業したことにより、9月28日から仙台運転所の483・485系電車9両編成に置き換えられ、10月1日改正以後は単独の「やまばと」として2往復態勢で運転されることになった。その当時のダイヤは、1012M「1号」/山形7時55分→上野12時30分、1011M「1号」/上野13時20分→山形17時55分、1016M「2号」/山形12時35分→上野17時10分、1015M「2号」/上野17時00分→山形21時35分だった。上野〜山形間の所要時間は4時間35分で、気動車特急時代と比べて55分の大幅なスピードアップを果たした。 昭和47(1972)年3月15日改正を迎えると、「やまばと」は1往復が増発され3往復となり、奥羽特急は181系気動車により2往復運転されていた「つばさ」を含めて5往復となった。この時点で「やまばと」の受持ちはすべて仙台運転所だったが、昭和50(1975)年3月10日改正では1往復が青森運転所へ移管され、貫通型の485系200番代の「やまばと」が登場している。また、この年の11月25日には奥羽本線羽前千歳〜秋田間が電化開業し、奥羽本線全線の電気運転が可能になった。このため、僚友の「つばさ」は485系に置き換えられることになったが、投入される予定だった485系の耐寒・耐雪型である1000番代が、落成の遅れから電化には間に合わず、当初は200番代が代用され、1000番代は翌年2〜4月にかけて順次「つばさ」に投入された。そして、昭和53(1978)年10月2日改正では「やまばと」全列車が秋田運転区の1000番代に置き換えられ、ボンネット型の485系が「やまばと」から姿を消している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/11/01


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