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「赤倉」

【第84回】 「赤倉」


赤倉温泉は、長野県と新潟県に接する妙高山の麓にある温泉で、周辺にはスキー場も多いことから、明治時代から北信越のリゾート地として知られてきた。その赤倉温泉にちなんで命名された急行が「赤倉」だった。

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「きそ」「あさま」を1本にして登場 登場から約20年は気動車一筋で運転

愛知、岐阜、長野、新潟の4県を走破する気動車急行「赤倉」は、準急「きそ」と「あさま」を統合し、名古屋と信州、信州と新潟を結ぶ多目的な長距離急行として約20年間は気動車で運転された。

キハ58型気動車グループが中央西線の急行に本格的に投入された昭和36(1961)年10月1日改正では、従来から運転されていた「しなの」「ちくま」のほかに、「あずみ」「信州」といった気動車急行がラインアップを飾るようになったが、同線の老舗格である準急「きそ」は、昼行の「1・1号」も客車のまま存置されスピードアップが待たれていた。そこで、昭和37(1962)年から翌年にかけて、新潟機関区(現・新潟車両センター)にキハ58型気動車グループ54両が新製配置されることになったのを機に「きそ1・1号」の気動車化が図られることになったが、同時に小諸〜新潟間で設定されていた準急「あさま」をこれに編入し、名古屋〜長野〜新潟間を1本の列車として運転することになり、この列車は「赤倉」と命名された。運転開始は昭和37(1962)年12月1日で、当時のダイヤは2801D/名古屋11時00分→新潟19時36分、2802D/新潟8時40分→名古屋17時50分だった。所要時間は「きそ」部分だった名古屋〜長野間では客車時代より1時間以上のスピードアップとなったが、長野以北はほとんど変化はなく、車両が「あさま」時代のキハ55型気動車グループからグレードアップされたのみとなった。 その後の「赤倉」は、他列車の増発があったにも関わらず、その歩みはマイペースだった。昭和43(1968)年10月1日改正では中央西線で初の特急「しなの」が運転を開始し、昼行急行の大部分は「きそ」に統一されたが、大阪直通の「ちくま」と新潟直通の「赤倉」だけは独立した愛称名で残された。中央西線が全線電化開業した昭和48(1973)年7月10日改正では「きそ」の一部が電車化され、「赤倉」が走る名古屋〜新潟間も全線で電気運転が可能となったが、車両繰りの関係で気動車のまま残され、昭和50年代に入っても、架線下DCの代表格として走り続けた。

豪華なアコモ改善車も使われた北信越に根拠を持つ2代目

57.11改正では「佐渡」と共通の新潟所165系に置き換えられ、「架線下DC」から全区間電気運転へ脱皮した。

そんな「赤倉」にようやく変化らしい変化が訪れたのは昭和57(1982)年11月15日改正でのことだった。この改正では、新潟運転所上沼垂支所(現・新潟車両センター)の165系電車10連に置き換えられ、上越線の「佐渡」と共通運用となった。これで、一挙に全区間の電気運転が実現したが、昭和60(1985)年3月14日改正では、全国的に優等列車の系統分離や短編成化が進められたことから、「赤倉」は旅客の流動に応じて名古屋口を特急「しなの」に託し、長野(松本)〜新潟間にスジを残した。しかし、愛称名は「南越後」に改称され、「赤倉」の名はこの時点で一旦姿を消した。この「南越後」は「赤倉」時代に引き続き新潟所の165系で運転され、同区間を走る「とがくし」と共通運用となったが、編成は6連に短縮されグリーン車も連結されなかった。まさに、北信越のローカル急行として細々と走っていたわけだが、JR移行後の昭和63(1988)年3月13日改正では、「南越後」と「とがくし」の急行区間が妙高高原以北のみとなったことから、妙高高原と縁の深い「赤倉」の名が再び使われることになった。 「南越後」と「とがくし」を吸収したこの2代目「赤倉」のダイヤは次の通りだった。 ・「1・2号」=311M/(長野7時00分発)妙高高原7時51分→新潟10時36分、312M/新潟7時00分→妙高高原9時45分(小諸11時30分着) ・「3・4号」=313M/(小諸12時21分発)妙高高原14時14分→新潟16時48分、314M/新潟8時38分→妙高高原11時09分(松本13時49分着) ・「5・6号」=315M/(松本14時03分発)妙高高原16時29分→新潟19時04分、316M/新潟18時04分→妙高高原20時45分(長野21時38分着) 当時の使用車両は、上沼垂運転区の165系国鉄色3連だったが、平成元(1989)年3月11日改正では1往復に快速「ムーンライト」(現「ムーンライトえちご」)、「フェアウェー」と共通運用で、165系アコモ改善車が充当されるようになった。全車自由席ながら、座席はかつてのグリーン車並みのリクライニングシートという豪華な急行となったが、短距離急行の中途半端さは否めず、平成3(1991)年3月16日改正では上田、長野〜新潟間に快速「やひこ」が新設された関係で1往復が廃止された。一時は専用塗色の編成も用意されたが、残る2往復は、長野新幹線が開業した平成9(1997)年10月1日改正で高田〜新潟間の特急「みのり」にあとを託して姿を消した。その「みのり」は平成14(2002)年12月1日改正で廃止されてしまったが、代わって新井〜新潟間に快速「くびき野」が誕生している。以来、「赤倉」が辿っていた北信越には定期優等列車が1本も運転されなくなったが、「くびき野」は「みのり」時代と同じく特急型の485系で運転されており、183・189系で運転されている普通(快速)「妙高」とともに、車両面では優等列車らしい雰囲気を残している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2019/12/01


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