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「ゆうづる」

【第86回】 「ゆうづる」


昭和40年代の東京〜北海道間の旅客輸送は国鉄がイニシアチブを取っていた時代であり、上野〜青森間の特急は時を追うごとに増発が重ねられていった。その中核をなしていたのが、上野〜青森間を常磐線経由で結んでいた寝台特急「ゆうづる」で、最盛期は先輩格である「はつかり」「はくつる」をはるかに追い抜き、7往復を誇る北海道連絡の輸送力列車として大車輪の活躍を見せた。

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初期は最後のC62牽引特急としてSLファンを大いに魅了する

「ゆうづる」は国鉄末期から金帯を付けた北海道向け24系客車を連結し、客車時代の最後を飾った。

昭和30年代後半の東北の鉄道は、東北本線電化延伸につれ、昼行優等列車は電車化などの近代化が着実に進められていった。一方、夜行優等列車は蒸気機関車牽引の客車急行が主体という旧態依然の状態だったが、昭和39(1964)年10月1日改正で上野〜青森間に初の寝台特急「はくつる」が東北本線経由で登場、「はつかり」〜「おおぞら」に次ぐ第二の北海道連絡チャンネルとして機能しはじめた。そして、昭和40(1965)年10月1日改正では東北本線が盛岡まで電化され、上野〜盛岡間の特急「やまびこ」が電車化、夜行では増大する北海道連絡の輸送需要に対応するため、上野〜青森間に第二の寝台特急「ゆうづる」が登場した。 「ゆうづる」は急行「北斗」の格上げにより常磐線経由で設定され、この改正で新たに20系客車の受持ち区となった尾久客車区の20系客車13両編成が充当された。ダイヤは5列車/上野21時30分→青森9時15分、6列車/青森21時00分→上野9時25分で、北海道側では同時に新設された函館〜旭川間の特急「北斗」に連絡した。「ゆうづる」の所要時間は下りが11時間45分、上りが12時間25分と、前身の急行「北斗」と比べて約1時間半程度の短縮でしかなかったが、常磐線内がまだ全線電化されていなかったことと単線区間が多かったことを考えると、かなり健闘しているといえるだろう。常磐線が一部未電化だったことはSLファンにとっては幸いで、平機関区のC62が「ゆうづる」の平(現・いわき)〜仙台間を牽引、C62最後の特急牽引区間として、当時のファンを大いに魅了した。「ゆうづる」のC62牽引は、昭和42(1967)年8月20日の常磐線全線電化後に実施された10月1日改正まで続けられた。

「ヨン・サン・トオ」から583系が加わり成長の一途

昭和40年の誕生以降、常磐線全線電化までは平〜仙台間でC62が「ゆうづる」の先頭に立っていた。

「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる昭和43(1968)年10月1日改正では、東北本線の全線電化が達成され、上野〜岩沼間が常磐線経由だった特急「はつかり」は、同区間を東北本線経由に変更されたうえ、583系電車に置き換えられた。583系電車は昼夜兼用の特急型電車として前年に登場した581系電車の50・60kHz両用版で、昼は座席、夜は寝台として使用できる特性を東北でも遺憾なく発揮、「はつかり」と共通運用を組むことで「はくつる」を電車化した。「ゆうづる」の方は既存の1往復が電車化され、20系客車は急行「第3・第2十和田」の格上げにより誕生した新設1往復に充当された。その結果、「ゆうづる」は電車・客車の2往復体制になるとともに、上野〜青森間の夜行客車特急は「ゆうづる」のみとなった。 東北本線の夜行列車は、線内の列車に加えて、磐越西線や奥羽本線へ乗り入れる列車も多数存在するためスジに余裕がなく、上野〜青森間の夜行特急は常磐線に集中させることで増発が図られた。「ゆうづる」は昭和45(1970)年10月1日改正以降、急行の格上げなどにより着実に本数が増やされ、昭和47(1972)年10月2日改正では、電車3往復・客車2往復の計5往復にまで成長している。

「国鉄離れ」で低迷しはじめた昭和50年代後半の「ゆうづる」

「ゆうづる」の末期は583系電車2往復のみとなった。

昭和48(1973)年、20系客車以来の集中電源方式となる24系客車がデビューし、関西〜九州間の寝台特急にいち早く投入された。翌年には24系客車のB寝台を2段化した24系25型客車がデビューし、徐々に20系客車の存在を脅かしつつあった。24系客車は、昭和50(1975)年3月10日改正で東京口の寝台特急にも進出、昭和51(1976)年10月1日改正では、東京口の「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系25型客車に置き換えられたことに伴い、捻出された24系客車が4往復の客車「ゆうづる」に充当された。これにより、B寝台車のベッド幅が52cmから70cmに拡大するなど居住性の改善が図られたが、一方で「ゆうづる」の20系客車は上野〜仙台間の急行「新星」、上野〜秋田間の急行「天の川」へ玉突きで転出し、「ゆうづる」から姿を消した。 東京〜北海道間の鉄道利用者数は、昭和48(1973)年頃がピークで、この時代は上野〜青森間の夜行列車としてはもっとも本数が多かった「ゆうづる」が大車輪で活躍したが、繁忙期に寝台券を確保するのは至難の業だった。「ゆうづる」は、昭和50(1975)年3月10日改正時点で急行格上げにより最多の7往復が設定されたが、あまりにも急速な増発だったために、特急化に伴う寝台数の減少で急行時代より輸送力不足になることや、寝台をセットする車掌補の不足が懸念されたため、583系による1往復は翌年10月1日改正までは寝台セットを行なわず、寝台特急ではない全車指定席の座席特急として運転された。 昭和50年代前半は国鉄の相次ぐサービスダウンと運賃・料金値上げにより旅客の「国鉄離れ」が急速に進み、昭和55(1980)年頃を境に東京〜北海道間の鉄道と航空機の利用者比率が逆転した。このような流れのなか、この年の10月1日に実施されたダイヤ改正は国鉄初の減量ダイヤとなり、「ゆうづる」は7往復体制が維持されたものの、2往復が季節列車化され、24系25型を使用する列車からA寝台車の連結が中止されるなど、衰退への道を歩みはじめる。昭和57(1982)年11月15日改正では、東北新幹線大宮暫定開業の影響により、1往復が廃止、1往復が「はくつる」に振り替えられ、3往復が583系電車、1往復が24系25型客車、1往復が24系24型客車の計5往復となった。 東北新幹線が上野開業を迎えた昭和60(1985)年3月14日改正では、東北の夜行列車の削減がさらに進められ、「ゆうづる」は電車1往復・客車2往復の3往復に減便された。最盛時の半分以下の陣容となり、かつては主要な目的としていた北海道連絡の使命も影が薄くなっていた。そんな「ゆうづる」に国鉄分割・民営化直前にやや明るい話題が訪れた。JR移行後の昭和63(1988)年3月13日改正では、上野〜札幌間に特急「北斗星」が運転を開始したが、「北斗星」用の北海道向け客車の改造は昭和61(1986)年頃から進められており、その試験運用が昭和62(1987)年3月21日から「ゆうづる」で実施されることになった。この中には2人用A個室「ツインDX」を備えるオロネ25型500番代も含まれており、「北斗星」向け改造車は従来車と区別するため帯が金色となっていた。 だが、「北斗星」の登場は、逆に客車「ゆうづる」に引導を渡す結果となってしまった。「北斗星」の寝台車は「ゆうづる」の24系客車を捻出することにより充当されたため、「ゆうづる」から客車運用が消滅、583系電車の2往復のみとなった。このうち1往復は季節列車扱いだったが、平成5(1993)年12月1日に実施されたダイヤ改正では、定期1往復だった「ゆうづる3・4号」が東北本線経由の「はくつる」にコンバートされ「はくつる3・2号」となり、残る季節1往復は臨時列車に格下げとなった。この臨時「ゆうづる」も、平成6(1994)年8月を最後に運転されなくなり、「ゆうづる」の30年近い歴史にピリオドを打った。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/03/01


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