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「北星」

【第87回】「北星」


現在、東京〜盛岡間は東北新幹線で2時間台の所要時間にまで短縮されているが、そんな区間にも57.11改正前までは夜行列車が設定されていた。それが「北星」で、同列車は38.10改正で初の宮城、岩手県指向の寝台急行として誕生、50.3改正で特急に格上げされたが、座席車が連結されていた1年間を除き全車寝台で運転され、「寝台列車」として生涯を全うした。

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38.10改正で登場した宮城・岩手両県指向の寝台急行

宮城、岩手県指向の寝台急行としてスタートした「北星」は、50.3改正で特急に格上げされ、57.11改正まで運転された。座席車が連結されていた1年間を除き全車寝台として運転され、分家的存在として上野〜仙台間の急行「新星」もともに活躍していた。

昭和36(1961)年10月1日改正時の上野〜青森間夜行は、常磐線経由の「北上」「北斗」「十和田」「いわて」「おいらせ」といった急行がラインアップを飾っていた。しかし、寝台列車の「北上」「北斗」はもっぱら北海道連絡を意識した列車であり、宮城県内や岩手県内を有効時間帯に収めていなかった。上野〜盛岡間は、当時の特急「はつかり」でも7時間以上を要したことから、夜行列車が立派に成立する長距離区間であり、寝台車の需要も高かった。そこで、昭和38(1963)年10月1日改正では、上野〜盛岡間に寝台専用の夜行急行として「北星」が東北本線経由で新設されるようになった。この列車は、改正前まで上野〜仙台間で運転されていた準急「あぶくま」を急行に格上げのうえ、盛岡まで延長したもので、その運転開始当初のダイヤは、33列車/上野22時55分→盛岡8時14分、34列車/盛岡19時35分→上野6時18分だった。前身の「あぶくま」が仙台指向の列車であったことから「北星」には仙台回転の寝台車が連結されたが、下りの仙台着は5時10分、上りの仙台発は23時25分と、寝台を利用するにはやや時間不足のため、下りは6時30分まで、上りは21時から寝台を利用できるよう便宜が図られていた。 なお、「北星」へ発展的解消を遂げた「あぶくま」は、「北星」が全車寝台となったことから、旧「あぶくま」の座席利用者を考慮して上野〜仙台間に夜行準急「しのぶ2・2号」が設定された。この列車は、前身の「あぶくま」と同様、上野〜郡山間を磐越西線直通の「ひばら」に併結され運転された。昭和39(1964)年3月20日改正では、昼行の「しのぶ1・1号」が電車化され「あづま」と改称、残った夜行のスジも急行格上げ後の昭和43(1968)年10月1日改正で「あづま」に吸収され、昭和60(1985)年3月14日改正まで運転された。また、「あぶくま」の名は38.10改正で白河〜仙台間に新設された電車準急にコンバートされたが、昭和57(1982)年11月15日改正では急行として廃止を迎えている。

39.10で仙台回転車を「新星」に40.10までは座席車を連結

特急格上げ当初は20系で運転されていた「北星」も、53.10改正では14系寝台車に置き換えられ、サービス向上が図られた。

このように、運転開始当初の「北星」は、宮城、岩手の2県をターゲットにした列車だったが、昭和39(1964)年10月1日改正では、両県の旅客を分散させるため、「北星」の仙台回転車を利用して上野〜仙台間に寝台急行「新星」が新設された。その運転開始当初のダイヤは、35列車/上野23時30分→仙台6時22分、36列車/仙台23時20分→上野5時59分で、上り列車に限り仙台では21時30分から寝台を利用することができた。今や東北新幹線で1時間台の上野〜仙台間に夜行急行が設定されていたのは、当時、目的地で最も時間を効率的に使える交通手段が夜行列車であったからで、夜行高速バス網がまだ発達していなかった当時は、このような短距離でも夜行急行が十分成り立っていた。 「新星」の登場により「北星」は全車が盛岡まで直通するようになったが、それと引換えに2等座席車が連結されるようになり、「寝台列車」の呼称は変わらなかったが、編成的にはややスケールダウンした恰好となった。しかし、昭和40(1965)年10月1日改正では、常磐線経由の急行「北斗」が特急「ゆうづる」に格上げされ20系化されたため、捻出された一般型寝台車により「北星」は再び全車寝台化されている。

50.3で特急に格上げし20系化 東北新幹線の本格運転を機に消滅

上野〜黒磯間の直流区間は永年、EF57、58といった直流機が牽引していたが、末期はEF65型1000番代が先頭を飾るようになった。

40.10改正では、東北本線の電化が盛岡まで延伸し、上野〜盛岡間で電車特急「やまびこ」が運転を開始したが、昼行列車が夜行需要を吸収するまでには至らず、昭和40年代の「北星」は安泰の日々が続いた。そして昭和50(1975)年3月10日改正では、東京口の寝台特急「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系化され、尾久客車区に20系が転出したことから、「北星」は「北陸」とともに20系に置換えのうえ、特急に格上げされた。その当時のダイヤは、31列車/上野22時35分→盛岡6時20分、32列車/盛岡22時00分→上野5時58分だったが、スジ的には急行時代とほとんど変わらず、特急化は余剰気味の20系の有効活用的な意味合いが大きかった。 そんな特急「北星」も、昭和53(1978)年10月2日改正では「あかつき」の14系15型化により尾久客車区へ捻出された14系14型が「北陸」とともに充当されるようになり、ベッド幅が52cmから70cmに広がるなど体質改善が図られた。しかし、この時期、東北新幹線の工事は急ピッチで進んでおり、昭和57(1982)年6月23日には大宮〜盛岡間が暫定開業し在来線の「やまびこ」が廃止された。「北星」はこの時点では存続したものの、新幹線の本格運転が始まった昭和57(1982)年11月15日改正では、大幅な新幹線への旅客移転が予想されることから、ついに廃止された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです

公開日 2020/04/01


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