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「大雪」

【第88回】「大雪」


36.10改正で北海道に初の特急「おおぞら」がデビューする以前、北海道内の基幹列車だったのが急行「大雪」だ。「北海道の屋根」と呼ばれる大雪山系に由来する「大雪」の名は、いかにも北海道らしい雄大さを表しているといえるだろう。晩年は札幌〜網走間の夜行1往復のみが残った。

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北海道で戦後最初に復活した急行「おおぞら」登場後は脇役の座に

戦後、北海道連絡の基幹列車としていち早く復活した急行「大雪」は、38.10改正以後、札幌〜網走間を軸にした北海道内輸送に転身、客車による1往復が最後まで残った。

急行「大雪」は、昭和20(1945)年11月20日から運転を開始した倶知安、小経由の函館〜旭川間急行1・2列車がその前身だが、この区間は戦前から優等列車が運転されており、そのルーツは昭和9(1934)年12月1日改正で登場した函館〜札幌間急行3・4列車だった。この列車は昭和12(1937)年6月1日に旭川まで、昭和14(1939)年11月15日改正で網走まで延長された(旭川〜網走間は普通列車として運転)。この時が戦前の絶頂期で、戦時体制が濃くなった昭和17(1942)年11月15日改正で廃止されてしまった。 さて、戦後、北海道の急行として真っ先に復活した1・2列車は、終戦後の不安定な輸送事情で廃止、復活を繰り返し、昭和22(1947)年6月29日には急行7・8列車としてようやく日の目を見た。その当時のダイヤは、7列車/函館22時40分→旭川9時19分、8列車/旭川16時55分→函館3時48分で、翌年7月1日に実施されたダイヤ改正ではほぼ同じスジのまま列車番号が1・2列車に戻された。さらに12月15日からは上野〜青森間急行201・202列車の1等寝台車(当時は「特別寝台車」と呼称)マイネ40が青函航路を介してこの列車に連結されている。 戦後初めての大規模なダイヤ改正となった昭和24(1949)年9月15日を迎えると、急行1・2列車は網走まで延長され、1列車の函館→札幌間のスジが夜行から昼行に改められた。その当時のダイヤは、1列車/函館6時10分→網走23時08分、2列車/網走5時10分→函館22時47分で、旭川〜網走間は普通列車として運転された。この列車が晴れて「大雪」と命名されたのは昭和26(1951)年4月1日のことだった。 昭和31(1956)年11月19日改正では、東海道本線が全線電化されたことにより、これまで東京〜大阪間の特急「つばめ」「はと」を牽引してきたC62が小築港機関区に転入、翌年2月から「大雪」の函館〜小間を牽引するようになった。これはC62が北海道内で優等列車を牽引した最初のケースで、長万部〜小間の「シロクニ」重連牽引もこのときから始まった。 昭和36(1961)年10月1日に実施されたダイヤ改正は、80系気動車により全国的な特急網が築かれた画期的な改正で、北海道にも初めての特急「おおぞら」が函館〜旭川間に登場した。これにより「大雪」は北海道内の優等列車の王座を「おおぞら」に明け渡した形になったが、「おおぞら」がスピードを重視して平坦区間の室蘭本線・千歳線経由となったため、倶知安、小経由のいわゆる「山線」を経由する「大雪」は、運転区間が函館〜札幌間に縮小されたものの、まだ存在価値が残されていた。特急が運転開始したとはいえ、まだまだ輸送力は弱く、この区間の直通客にとって「大雪」は、「おおぞら」の補完列車として重宝されていた。 一方、昭和36(1961)年には北海道にキハ58型気動車グループの北海道向け車としてキハ56・27、キロ26がデビューし、4月から札幌〜函館間の「すずらん」(一部車両)や札幌〜釧路間の「狩勝」に投入。同年10月1日改正で登場した、函館〜網走、釧路、稚内間の「オホーツク」「摩周」「宗谷」にも投入され、北海道内急行の気動車化が推進されつつあった。そんな中で「大雪」も昭和38(1963)年6月1日改正で気動車化され、その名を「ライラック」と改めた。

43.10改正では5往復の陣容に 石北本線系統急行の総愛称名となる

38.10改正以後の昼行「大雪」はキハ56・27、キロ26の気動車編成となり、60.3改正まで存続した。

気動車化を機に「山線」から退いた「大雪」は、同時に札幌〜網走間の気動車急行へ転じた。これは改正前の「第1・2はまなす」を改称したもので、以後、気動車「大雪」は札幌〜網走間を基幹系統とし、昭和43(1968)年10月1日改正では、石北本線系統の急行が昼・夜行を問わず、すべて「大雪」に改称されることになった。その当時のラインアップは次の通りとなっていた。 ・大雪1・5号  613D/旭川6時40分→釧路15時16分、516D=網走16時50分→旭川21時43分(上下とも遠軽〜網走間「天都」併結)。 ・大雪2・4号  501D/小7時05分→網走14時23分(小〜滝川間「そらち1号」、小〜旭川間「なよろ1号」併結)、506D/網走15時20分→札幌22時13分(旭川〜札幌間「なよろ2号」併結)。 ・大雪4・3号  603D/小9時38分→釧路19時55分、604D/釧路9時10分→小19時35分。 ・大雪5・1号  505D/札幌17時01分→網走23時43分、502D/網走5時35分→札幌12時05分(上下とも札幌〜深川間「はぼろ」、札幌〜旭川間「紋別」併結)。 ・大雪6・6号  123〜517〜1527列車/函館12時28分→網走7時58分、1528〜518〜124列車/網走20時40分→函館16時35分(上下とも函館〜札幌間、北見〜網走間は普通列車)。 このうち「1・5号」は「あばしり」、「4・3号」は「はまなす」、「5・1号」は「オホーツク」、「6・6号」は「石北」を改称したもので、札幌〜網走間昼行を基幹として、石北本線内ローカル、釧網本線直通、函館〜網走間夜行と4つの顔を持つ「大雪」が確立した。特に「5・1号」は、函館本線内で留萌本線、羽幌線直通の「はぼろ」、宗谷本線、名寄本線直通の「紋別」を併結する3階建て列車として60.3改正まで存続した。

61.11改正で昼行がすべて消え夜行1往復のみ札幌〜網走間に残る

夜行「大雪」の北見~網走間は普通列車となったが、昭和50(1975)年まではこの区間でC58牽引が見られた。

昭和47(1972)年10月2日改正では、札幌〜網走間に特急「オホーツク」が誕生した。この列車は、以後、「大雪」を駆逐する存在となり、昭和60(1985)年3月14日改正では、札幌〜網走間で1往復残っていた昼行「大雪」を廃止に追い込んだ。石北本線ローカルの方はしぶとく残り、キハ22、キハ40、キハ53といった車両を使い細々と単行で運転されていたが、昭和61(1986)年11月1日改正で廃止された。 この時点で「大雪」として残ったのは夜行1往復のみだった。夜行「大雪」は昭和45(1970)年10月1日改正で函館〜札幌間の普通列車区間が分離されて札幌〜網走間の運転となり、昭和40年代末期まで普通列車となる北見〜網走間でC58が牽引していたことから、蒸気機関車がスロ54やオロネ10などの優等車を牽引する最後の列車として知られていた。また、A寝台とB寝台の合造車である珍車・オロハネ10が最後まで連結されていた列車としても有名だった。 そんな夜行「大雪」が一般型客車により運転されていたのは昭和57(1982)年11月15日改正までで、この改正からは座席車のみが14系に置き換えられた。寝台車は翌年7月20日に置き換えられ、オール14系化が完了した。
夜行「大雪」はJR移行後もしばらく存続したが、平成4(1992)年3月14日改正では、ついに特急に格上げされ、183系特急型気動車に置き換えられた。また列車名は「オホーツク9・10号」と改称され、ここに伝統の「大雪」の名が消滅した。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/05/01


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