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「かいもん」

【第89回】「かいもん」


43.10改正以降、鹿児島本線門司港、博多〜鹿児島、西鹿児島(現・鹿児島中央)間の急行の総愛称名として使われていたのが「かいもん」だった。愛称の由来は指宿枕崎線沿線にそびえる開聞岳だ。

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夜行「かいもん」の前身は東京〜鹿児島間2夜行の「さつま」

夜行「かいもん」の元祖は、31.11改正で登場した2夜行の長距離急行「さつま」だった。「かいもん」と名を変えた22年後、12系+20系の姿で九州内を結ぶ夜行急行に姿を変えていた。

「かいもん」の全盛期は昼・夜行の両方が設定されていたが、元を辿ると夜行の方に歴史があり、その前身は、昭和31(1956)年11月19日改正で「筑紫」を改称して登場した東京〜鹿児島間の急行「さつま」まで遡る。この「さつま」は昭和33(1958)年10月1日改正で門司港〜鹿児島間の運転に改められ、昭和36(1961)年10月1日改正では再び本州に復帰し、名古屋〜鹿児島間の運転となった。しかし、昭和40(1965)年10月1日改正では昼行区間の名古屋〜博多間が電車化されて「はやとも」を名乗り、再び門司港〜鹿児島間の運転となり「はやと」と改称。昭和43(1968)年10月1日改正では、門司港、博多〜鹿児島、西鹿児島間の急行の列車名が整理され、「かいもん」に改称された。 さて、31.11改正で登場した「さつま」だが、東京〜鹿児島間を2夜行で走るという、想像を絶する長丁場の客車急行だった。下り43列車の場合、東京を発車するのは21時45分、夏ならば愛知県内で夜が明けて、大阪には翌8時26分着。そこから山陽路を日中延々と走り抜け、門司には20時34分着。再び夜行列車の姿となり、鹿児島には翌々日の5時46分に到着した。その所要時間は32時間1分。寝台車や特別2等車こそ連結されていたが、鹿児島直通は両数が少なく、大半の乗客は3等座席車で忍耐の旅を強いられていたに違いない。現在、東京〜鹿児島中央間は東海道・山陽新幹線「のぞみ」、鹿児島本線「リレーつばめ」、九州新幹線「つばめ」を乗り継いだ場合で約8時間。この「さつま」はなんとその4倍もの時間をかけて走っていたわけで、半世紀近くの時間の流れを感じずにはいられない。 なぜこのような想像を絶する長距離急行が設定されていたのかといえば、都市間の長距離輸送が国鉄の独占状態だったという事情もあるが、昭和30年代前半は予算が乏しく車両の増備が思うにまかせられなかったため、1本の列車で昼・夜行を兼ねるダイヤを組まざるを得なかったこともあった。さすがに、優等列車の電車・気動車化が進んだ昭和30年代中〜後半以降は、このような破格の長距離列車は設定されにくくなり、「さつま」のような2夜を貫く列車は登場していない。

特急「はやぶさ」を凌ぐ健脚ぶりを発揮していた昼行「かいもん」

鹿児島本線が全線電化された45.10改正で登場した電車「かいもん」は、50.3改正で昼行全列車を占めたが、5年後の55.10改正では一挙に消えてしまった。

さて、最初から「かいもん」を名乗っていた昼行に目を向けると、その始まりは昭和34(1959)年9月22日改正で登場した博多〜西鹿児島間の気動車準急だった。驚くことに、昭和33(1958)年当時、鹿児島本線全線を走る昼行急行は東京発着の「霧島」のみで、九州内から熊本以遠へ向かう乗客は座席の確保が困難だった。そこで、北九州と鹿児島を結ぶ新たな優等列車の設定が待望され、キハ55型気動車グループの増備が進んだのを機に準急「かいもん」が新設された。その当時のダイヤは、110列車/西鹿児島7時00分→博多12時15分、109列車/博多16時00分→西鹿児島21時17分で、鹿児島から福岡へ指向する列車だった。注目したいのは所要時間で、博多〜鹿児島間は東京発着の特急「はやぶさ」より約15分速かった。「はやぶさ」は特急とはいえ、古色蒼然とした蒸気機関車牽引の客車列車であったのに対して、「かいもん」は当時最新鋭のキハ55、キロ25を使用しており、日豊本線〜豊肥本線の準急「ひかり」で実証した健脚ぶりを鹿児島本線でもいかんなく発揮していた。  この実力が功を奏したのか「かいもん」は人気を呼び、昭和35(1960)年6月1日改正では北九州から鹿児島指向の列車として1往復が増発され、指宿線(現・指宿枕崎線)山川まで運転された。ダイヤは107列車「第1かいもん」/博多7時10分→山川13時30分、108列車「第2かいもん」/山川15時38分→博多22時08分で、下りの博多〜八代間は肥薩線、吉都線経由で宮崎まで運転された「第1えびの」を併結していた。この「第1・2かいもん」こそ、列車名の由来通り開聞岳のお膝元を走る「かいもん」だった。

43.10改正で北九州〜鹿児島間の急行が「かいもん」に統一される

ED76に牽引される夜行「かいもん」。JR化後も12系座席者がグレードアップされるなどしてなんとか存続したが、787系の夜行進出により99.3改正で消えた。

以後、昼行「かいもん」はしばらく2往復体制で運転されていたが、昭和42(1967)年10月1日改正では1往復の博多〜熊本間が新設の特急「有明」に格上げされ、1往復の運転に戻った。しかし、昭和43(1968)年10月1日改正では、前述のように門司港、博多〜西鹿児島、鹿児島間の急行の愛称が「かいもん」に統一されることになり、夜行「はやと」1往復と昼行「かいもん」下り1本、上り2本(うち1本は不定期列車)を抱合し、「かいもん」は新たなスタートを切った。 待望の鹿児島本線全線電化開業を迎えた昭和45(1970)年10月1日改正では、特急「有明」が南福岡電車区の581・583系により電車化された。また、鹿児島運転所には急行型交直両用電車の457系32両が新製配置され、南福岡電車区から転属してきた475系42両とともに「かいもん」「そてつ」各1往復の電車化に充当され、電車「かいもん」が登場している。この時点で「かいもん」は電車、気動車、客車の3本建てとなり、昭和48(1973)年10月1日改正では下り5本、上り4本となり全盛期を迎えた。 山陽新幹線が九州まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、九州内の各優等列車は小倉と博多で新幹線と接続する連絡態勢が強化され、鹿児島本線では特急「有明」が10往復に成長した。一方、「かいもん」の方は急行型交直両用電車の本州直通運用がなくなったことから昼行は全列車電車となったほか、博多〜熊本間では僚友の急行「ぎんなん」が下り9本、上り8本設定され、相互に補完する形が採られていた。 昭和50年代に入ると、寝台特急の14系、24系、24系25型への置換えが進み、20系の急行転用が開始された。九州内の夜行急行も例外ではなく、昭和53(1978)年3月18日までには、「かいもん」と日豊本線経由の「日南」の寝台車が20系に置き換えられ、座席車は12系に体質改善された。 昭和55(1980)年10月1日、赤字にあえぐ国鉄は初めての減量ダイヤに取り組むことになり、各地でローカル急行の廃止などを進めた。その極端な例が九州であり、この日の改正では、鹿児島本線の昼行電車急行が全廃され、すべて特急「有明」に格上げとなった。これにより昼行「かいもん」と「ぎんなん」が一挙に消え、「かいもん」はわずか夜行1往復のみとなった。その残る夜行「かいもん」は、昭和61(1986)年11月1日改正で寝台車が24系25型にグレードアップされたが、JR移行後は九州内で客車列車の合理化が推進されたことにより、平成5(1993)年3月18日改正では787系による特急「ドリームつばめ」に格上げされ姿を消した。その「ドリームつばめ」も、平成16(2004)年3月13日改正で九州新幹線新八代〜鹿児島中央間が開業すると廃止されている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです

公開日 2020/06/01


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