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「狩勝」

【第90回】「狩勝」


石勝線の開業前、優等列車は滝川から根室本線に入り、富良野を経由していた。その当時の代表的な急行が「狩勝」だ。その名は落合〜新得間の雄大な狩勝峠が由来で、昼・夜行両方が運転されていたが、夜行の方は寝台車主体の編成が組まれ、時刻表上にも北海道の列車としては珍しく「寝台列車」の表記が付けられていた。

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北海道の東西を一昼夜の間走り続けた客車準急時代

36.4に気動車に置き換えられスピードアップした「狩勝」は昭和40〜50年代にかけて札幌〜釧路間の都市間輸送で「おおぞら」と並ぶ活躍を見せたが、61.11改正ではグリーン車なしの3両編成がわずか1往復残るのみとなった。

現在の根室本線滝川〜釧路間が全通したのは大正2(1913)年11月10日のことで、戦前の最盛期は函館〜根室間に急行7・8列車、函館〜釧路間に401・402列車、405・406列車が設定され、2・3等寝台車や和食堂車も連結されていたが、急行は昭和18(1943)年10月1日に実施された決戦ダイヤで廃止となった。 戦後になると、昭和20(1945)年11月20日のダイヤ改正で、函館〜根室間に403・408列車、函館〜釧路間に407・406列車が登場、昭和24(1949)年9月15日改正では、函館〜釧路間に急行3・4列車(札幌〜釧路間準急)が運転を開始している。この急行は、根室本線内が夜行で運転されていたが、翌年10月1日改正では、根室本線内が昼行で運転される405・406列車が登場した。この列車のダイヤは、405列車/函館22時53分→釧路翌19時21分、406列車/釧路8時45分→函館翌7時16分で、まる一昼夜かけて北海道の東西を縦断するというスケールの大きさだった。 この列車は函館〜小間は準急として運転されていたが、小〜釧路間は普通列車扱いだったことから、根室本線内ではスピードアップで利便性が向上したわけではなかった。そこで昭和30(1955)年6月1日からは全区間が準急に格上げとなり、405列車/函館23時35分→釧路翌16時03分、406列車/釧路12時55分→函館翌6時13分のダイヤで運転された。これにより、札幌〜釧路間は約12時間から約9時間に短縮された。また、このときから函館〜滝川間で函館〜網走間準急509・510列車を併結するようになった。

36.4では北海道でいち早くキハ58型気動車グループに転身

石勝線開業後、夜行「狩勝」は同線経由の「まりも」となったが、10系寝台車とスハ43型客車グループの編成は「狩勝」時代と変わらなかった。なお夜行「まりも」は57.11改正で寝台車が14系に置き換えられている。

昭和33(1958)年10月1日改正を迎えると、準急405・406列車にようやく「狩勝」の名が与えられた(函館〜網走間準急は「はまなす」と命名)。しかし実態は蒸気機関車牽引の客車列車の域を出ることはなく、狩勝峠の難所が控えていたことも手伝って抜本的なスピードアップには限界があった。そこで、昭和36(1961)年に入ると、キハ58型グループの北海道版であるキハ56・27やキロ26が苗穂機関区に配置されるようになり、函館〜札幌間の急行「すずらん」の一部車両を置き換えるようになった。「狩勝」については、4月15日から北海道ではいち早く全面的に同グループに置き換えられることになり、札幌〜釧路間の気動車急行として新しいスタートを切ることになった。その当時のダイヤは、409D/札幌7時38分→釧路14時03分、410D/釧路15時08分→札幌21時37分で、客車準急時代と比べて一挙に2時間以上も短縮し、札幌〜釧路間6時間台を実現した。 函館〜旭川間に北海道初の特急として「おおぞら」が登場するなど、画期的な出来事で湧いた昭和36(1961)年10月1日改正では、函館〜釧路間に僚友の急行「摩周」が登場し、函館〜滝川間は函館〜網走間の急行「オホーツク」、函館〜稚内間の急行「宗谷」を併結した。「狩勝」の方は「第2・1狩勝」として、札幌〜滝川間で札幌〜網走間急行「第2・1はまなす」、札幌〜稚内間急行「天北」を併結するようになり、501D〜2401D/札幌9時35分→釧路16時12分、2402D〜502D/釧路12時30分→札幌19時15分のダイヤに変更された。さらに、翌年2月1日には、札幌〜帯広間に僚友の急行「十勝」が誕生し、この時点で札幌〜帯広、釧路間の昼行優等列車は3往復と充実した。 昭和37(1962)年5月1日改正では、キハ58型グループがさらに増備され「狩勝」1往復を増発、既存の1往復とともに次のダイヤに再編された。 ・第1・2狩勝=505D(2605D)〜2405D/札幌8時00分(旭川9時10分)→釧路14時45分、2406D〜506D(2606D)/釧路15時50分→札幌22時39分(旭川21時28分) ・第2・1狩勝=401D/札幌10時00分→釧路16時32分、402D/釧路12時40→札幌19時04分 このうち、「第1・2狩勝」は札幌発着編成が札幌〜滝川間を札幌〜網走間急行「第1・2はまなす」に併結されていたほか、旭川発着編成は、単独運転の富良野線内ではキハ22の単行で運転されるなど、北海道らしい姿を見せていた。この2往復の「狩勝」も、同年10月1日改正で特急「おおぞら」が根室本線に進出すると、「第2・1狩勝」が格上げにより姿を消し、再び1往復に戻っている。 昭和38(1963)年6月1日改正では、札幌〜根室間に急行「阿寒」が新設され、「狩勝」「摩周」「十勝」を含めると札幌〜帯広、釧路、根室間の昼行急行は4往復となった。なお、「狩勝」の併結相手だった「第1・2はまなす」はこの改正で「大雪」に改称されている。また、「摩周」は昭和39(1964)年10月1日改正をもって特急「おおとり」に格上げされ消滅している。

43.10で根室本線の全急行を吸収 JR移行後もかろうじて1往復が残存

石勝線が開業した56.10以降も「狩勝」は2往復が残り、北海道では最後までグリーン車を連結した気動車急行だった。

昭和40(1965)年10月1日改正では、併結相手の「大雪」が「なよろ」と併結となり、「狩勝」は単独運転に戻った。また、昭和43(1968)年10月1日改正では、「阿寒」「十勝」が「狩勝」に統一され、これまで札幌〜釧路間で運転されていた夜行急行「まりも」をも吸収し、「狩勝」は次のようなラインアップとなった。 ・1・2号=401D(2601D〜401D)/札幌7時05分(旭川8時15分)→釧路13時46分、406D(406D〜2606D)/釧路15時30分→札幌22時02分(旭川20時56分) ・2号=403D/札幌13時05分→根室22時06分(下りのみ) ・3・1号=402D/帯広6時40分→札幌10時55分、405D/札幌18時00分→帯広22時17分 ・4・3号=417列車/札幌21時30分→釧路6時20分、418列車/釧路21時25分→札幌6時30分 このうち「2号」は旧「阿寒」、「3・1号」は旧「十勝」、「4・3号」は旧「まりも」の流れを汲む列車だった。また、昼行のうち上りが1本少ないのは、旧「阿寒」を受け継いだ列車が根室→函館間の「ニセコ3号」として運転されたためだった。「まりも」を受け継いだ「4・3号」はその大半が寝台車で、わずか3両の座席車も全車指定席となっていたため、北海道の夜行列車では珍しく「寝台列車」の表記が付けられていた。 昭和40年代も後半に入ると、北海道にも80系特急型気動車の勢力が拡大し、「狩勝」と並行する「おおぞら」は昭和47(1972)年3月15日改正時点で3往復となっていた。しかし、「狩勝」は勢力を脅かされるまでには至らず、昭和50年代に入っても43.10改正時の勢力を堅持した。このうち昭和50(1975)年7月18日改正では、「1・2号」の旭川〜富良野間が普通列車に格下げられたほか、昭和53(1978)年10月2日改正では、上り「ニセコ3号」を札幌で系統分離の上、根室〜札幌間を「狩勝」に編入した関係で、「狩勝」は晴れて4往復のすっきりした形となった。 しかし、これも束の間で、昭和56(1981)年10月1日には、道央と道東をショートカットする千歳空港(現・南千歳)〜新得間の石勝線が開業し、特急「おおぞら」のほか、急行「狩勝」昼行1往復、夜行1往復が石勝線経由に変更され、「まりも」に改称された。残る「狩勝」は旭川編成を含む1往復と札幌〜帯広間の1往復のみとなったが、その後、石勝線中心の列車体系がさらに進み、昭和61(1986)年11月1日改正で「狩勝」はグリーン車なしのわずか1往復に落ち込み、平成2(1990)年9月1日改正で急行としての使命にピリオドを打った。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/07/01


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