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「たかやま」

【第91回】「たかやま」


岐阜県の北部に位置する高山市は、江戸時代に幕府の直轄領だったこともあって、現在も古きよき城下町の風情が残る「飛騨の小京都」として知られている。その高山の名をダイレクトに愛称名にしたのが「たかやま」で、昭和40(1965)年に名古屋鉄道と高山本線を結ぶ直通準急としてスタート。昭和46(1971)年には大阪発着の高山本線直通急行へコンバートされ、JR移行後も特急「ひだ」の後塵を拝しながらしぶとく生き残ったが、99.12改正では「ひだ」に吸収され姿を消している。

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名鉄・国鉄間直通運転を果たした名鉄製豪華気動車の初代「たかやま」

唯一の大阪発着高山本線直通急行として運転されていた「たかやま」は、登場以来、一貫して国鉄色のキハ58型気動車グループが充当されており、JR移行後は、飛の合掌造りをモチーフにした円形ヘッドマークが掲げられるようになった。

下呂温泉や城下町・高山などが控える岐阜〜富山間の高山本線は、戦前から中京地方との結びつきが強く、名古屋発着の特急「(ワイドビュー)ひだ」が10往復を数える盛況ぶりを見せた。「ひだ」の場合、名古屋から岐阜を経由して、スイッチバックで高山本線に入るが、かつては、名古屋鉄道(以下、名鉄)犬山線の新鵜沼から高山本線の鵜沼へ入り、高山方面へ至る列車も運転されていた。 名鉄からの直通運転は、岐阜経由よりも運転距離が約15km短く、東海道本線ではフォローできない愛知県北部の需要も見込めるため、名岐鉄道時代の昭和7(1932)年10月8日から土曜・休日に柳橋(現・廃止)〜下呂間で運転が開始され、高山本線全通後の昭和15(1940)年10月10日からは押切町(現・廃止)〜富山間での運転となったが、太平洋戦争末期に廃止されている。 戦前の高山本線は、優等列車が1本も運転されていなかったが、戦後は、昭和33(1958)年3月1日に準急「ひだ」が名古屋〜富山間で運転を開始すると、気動車優等列車がまたたく間に普及。これに刺激されて、名鉄側でも気動車による高山本線直通準急が企図され、昭和40(1965)年8月5日から神宮前〜高山間で準急「たかやま」の運転を開始した。 その当時のダイヤは、3711D/神宮前8時45分→高山12時16分、3712D/高山12時48分→神宮前16時41分で、当時の準急では珍しい全車座席指定制となっていた。  「たかやま」の運転に際しては、国鉄のキハ58型気動車グループの投入も検討されたが、名鉄線内の車両限界が小さいこともあって見送られ、その代わりに、7000系の車体とキハ58型気動車グループの足回りを組み合わせた8000系気動車6両が名鉄側で新製されることになり、通常時は4両、多客時は6両で運転された。 当時のキハ58型気動車グループは、冷房は1等車のみ、2等車は4人掛けのボックスシートという仕様だったが、8000系気動車は準急に使用するにもかかわらず、全車が冷房付きで、2等車は特急タイプの転換式クロスシートという豪華仕様だった。いかにも「社型」らしい意欲的な車両で、その人気は本家の国鉄気動車急行をはるかに凌いでいたという。 昭和41(1966)年3月5日、国鉄の料金制度改正により自動的に急行に格上げされた「たかやま」は、スキーシーズンを迎えた同年12月1日に飛古川まで延長。昭和44(1969)年4月20日からは2等車に自由席が設けられ、その人気に応えた。 そんな「たかやま」も、全通が迫った立山黒部アルペンルートに備えて、昭和45(1970)年7月15日には富山地方鉄道立山まで延長されることになり、同時に列車名が「北アルプス」に改称された。 立山延長に際しては8000系気動車が6両増備されたが、名鉄〜国鉄〜富山地方鉄道の3社直通運転となることから、精算処理の合理化も兼ねて利用率が低いグリーン車が昭和44(1969)年8月31日限りで廃止され、キロ8101・8151は、キハ8101・8102に改造されてしまった。 ちなみに、キロ8101・8151は、昭和44(1969)年5月10日に国鉄の等級制度が改正されたのを機に、名鉄車であるにもかかわらずグリーンマークが付けられるようになったが、その期間はわずか3カ月余りと短かった。 「たかやま」から変じた「北アルプス」は、昭和51(1976)年10月1日改正で特急に格上げ。JR移行後も存続し、平成3(1991)年3月16日改正では新鋭の8500系気動車に置き換えられ、高山本線内ではJR東海の「(ワイドビュー)ひだ」と併結運転を行なうこともあったが、名鉄線内の合理化により平成13(2001)年10月1日に廃止され、8500系気動車は福島県の会津鉄道へ譲渡されている。

全室グリーン車を連結した最後の気動車急行となった2代目

平成2(1990)年以降は、普通車にもリクライニングシートを取り付けたアコモ改良車に置き換えられ、ピンクとアイボリーの斬新な塗色が古き良き日本の伝統が残る高山本線に映えた。実際には、多客時などに国鉄色の車両が併結されることもあった。

「たかやま」の名が、高山本線の優等列車に復帰したのは昭和46(1971)年10月1日改正のことだった。これまで、大阪〜高山間では季節急行「くろゆり」が運転されていたが、愛称名と行先が直感的でなかったため、前年に空いた「たかやま」の名が充てられたのであった。 この2代目「たかやま」は、次の昭和47(1972)年3月15日改正で定期列車に格上げされ、4711D/大阪8時00分→高山13時16分、4710D/高山14時58分→大阪19時57分のダイヤで運転されるようになった。関西から下呂温泉や高山への1泊2日の旅行にはまずまずのダイヤで、季節によっては岐阜〜高山間で急行「のりくら51号」を併結していた。 昭和53(1978)年10月2日改正では、運転区間が飛古川まで延長されているが、高山本線内では特急「ひだ」、急行「のりくら」の名古屋発着グループに埋もれるように1往復運転が続き、それはJR移行後も変わることはなかった。  平成2(1990)年3月10日改正で85系気動車の増備により急行「のりくら」が全廃されても、高山本線唯一の気動車急行として生き残り、平成2(1990)年から平成3(1991)年にかけて、充当されている向日町運転所(現・京都総合運転所)のキハ58・28、キロ28にアコモ改良工事が施工された。これらは6000番代に区分され、車体は、ピンクとアイボリーのツートンカラーとなるなど、イメージを一新した。 平成8(1996)年3月16日改正で急行「丹後」が廃止されると、ジョイフルトレインを除いて全室のグリーン車を連結する気動車急行は「たかやま」だけとなり、国鉄気動車急行の正調編成を維持する唯一の存在として気を吐いていたが、車体は寄る年波に勝てず、平成11(1999)年12月4日改正では特急「(ワイドビュー)ひだ」に格上げされ姿を消している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2020/08/01


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